マリオンの冒険・2
本日3話投稿予定2話目になります。
しばらく一角獣の消えた森の奥を見続けていた少女の耳に、複数の馬の蹄が駆ける音が響く。
今度は重く慌ただしい、不快な音だった。
折角の美しい出来事の後に、良い気分もぶち壊わされたと思った少女は、そんな不躾な事をするのは誰か、文句の一つも言ってやりたい気分で歩き出す。
幾つかの藪を抜けた先で目に止まったのは騎馬に乗った騎士が五人、続けて場に不似合いなほどの豪奢な馬車が一台。
そして、それらを囲むようにして褐色に近い肌を持つ巨躯の人影が一〇人ほど。
(魔人族……あれは、オーガ族ね)
「馬車を守れ! 後続が着くまで何としても馬車を死守しろ!」
騎馬に乗った中でも、一際装飾の施された鎧に身を包んだ男が声を上げる。
その声に答えて他の四人の騎士が馬を降り馬車の四方につく。
御者をしていた二人も剣を抜き、馬車の両脇についた。
それを待っていたわけでもないだろうが、オーガ族も動き出す。
騎士達は流石にオーガ族の猛攻に耐えていたが、それでも数が違いすぎた。
おそらく戦闘に慣れているわけではないのだろう、その使命感から剣を抜いた御者がまず崩れる。
(後三〇メートル)
少女はオーガの伏兵に注意して距離を詰める。
オーガ族は人間族と比べて身体能力が高い。
しかし少女は見た感じで、聞いていたほどの脅威を感じなかった。
速さだけなら黒豹のほうが圧倒的で、力強さだけなら迷宮蟷螂の方が上に思えたし、その両方を持つ牙大虎ほどの強さを感じるオーガはいなかった。
ただ、オーガの数は脅威だった。
(助けに入ったら、私は死ぬだろうか)
少女には騎士達が苦戦を強いられているように見えた。
こんな所で人を助けに入って死んだりしたら、何のために旅立ったのか。
少女は自分の目的を優先すると決める。
ただ、オーガが去った後に生き残っている人がいれば助ける。
それが目的を優先した自分にできる最後の誠意と考えた。
また同時に、もし戦闘に介入する必要がでた場合のことも想定する。
「僕も戦おう!」
豪奢な馬車から侍女が引き止めるのも聞かずに一人の青年が出てくる。
その高貴そうな身なりからして護衛対象なのだろう。
「行けませんハインツ様、後続が来るまではなんとしても我々が守ります、どうか中に――」
ハインツと呼ばれた青年の目の前で、気を削がれた騎士の一人がその胸を湾曲した剣で貫かれていた。
「ぐほっ……ど……どうか、なか……」
「キャーッ!」
侍女が血を吐く騎士を見て悲鳴を上げる。
それを見て少女が駆け出す。
さっきまで戦闘に介入するつもりのなかった少女の中で何かが変わっていた。
(後二〇メートル)
崩れ落ちる騎士を見て、ハインツはその場に立ちすくむ。
経験から、恐怖で体が動かなくなる事を少女は知っている。
でも知っているからこそ、敵を前にして動こうとしないハインツに腹が立った。
動けなければ死を待つだけだ。
騎士の胸からその湾曲した剣を引き抜いたオーガが、次に狙ったのはハインツだった。
ハインツは立ちすくんだままなんとか剣を上げているが、それでは攻撃を受けることも出来ないだろうと少女は思うが、オーガにとっては好機だった。
(後一〇メートル)
オーガの剣がハインツに向けて振り上げられる。
「ハインツ様!」
おそらく騎士長と思われる男が叫ぶ。
しかしオーガの二人を相手にし、その場を動くことが出来ない。
「た、助けてくれ!!」
(魔刃!!)
ハインツに向けて振り下ろされた剣が、途中から力が抜ける様にその軌道を逸らす。
続けてその剣を掴む腕が、仰け反り、倒れ込んだハインツの腹の辺りに落ちる。
剣先がハインツの顔を掠め、わずかに切り裂いていたが死ぬような怪我ではない。
少女は不意打ちの効果が残っているうちに、手身近な二匹目のオーガに背後から斬り付ける。
(次!!)
貯めこんだ魔力を刃に乗せて放ち、三匹目のオーガの足を切断する。
少女の乱入に気付いたオーガが振り向くが、それは遅い。
身体強化を発動して、一気に間合いを詰める少女は、その勢いを持ってオーガの脇を切り裂く。
少女の持つ剣は、魔闘気を纏うというオーガに対して十分な威力を発揮していた。
それは、その剣が魔剣であることを意味していた。
少女は再び貯め込んだ魔力で五匹目のオーガの頭を飛ばす。
しかし、魔刃を撃った後の硬直を突いて横合いから飛び出してきたオーガの剣が少女の背中を打った。
硬直は上手くやれば消すことが出来る、でも少女には実戦の中では難しかった。
その隙を見つけられたことに、少女は自分の未熟さを感じる。
強い衝撃に息が詰まり咽そうになるのを堪え、怪我の状況を確認する。
(大丈夫、打たれた痛みだけだ)
少女の着る鎧は驚異的な身体能力を持つというオーガの攻撃からも身を守っていた。
(でも! せっかくの鎧を傷つけたのは許さない!)
「ロゼマリア様!!」
少女は懐かしい呼びかけの声に、バランスを崩しながらも踏み留まる。
そして、攻撃してきたオーガを確認すると、反撃を開始した。
◇
私はドルトス・ベーガー。王都騎士団に属する騎士長の一人だ。
此度の任務においてオードラン公爵の嫡男であられるハインツ様の護衛の任務を賜り、西のルドラ大正門まで向かう予定であった。
その道中、街道まではめったに出てこないオーガ族の襲撃に合い、その包囲網をなんとか抜けてきたまでは良かったが、二重の待ち伏せに嵌まり包囲される事になった。
私はこの時点で、任務の失敗、そして自身の死を感じていた。
過去の経験が現状を認識した時点でそう結論づけた。
諦めた訳ではない。
だが現実問題として、立ち塞がる脅威に対し為す術がないのも事実だ。
ここから脱出する為に必要なのは状況の変化だが、オーガ族の油断に期待するのは難しいだろう。
囲まれたこの状況では奇策を用いる事も出来ない。
そもそも私には奇策など思いつかない。
出来る事といえば耐え忍び、最初の罠を抜けてきた後続が合流するのを待つくらいだ。
だが、それしか無いのであれば、それに全力を尽くそう。
そうして目の前のオーガと幾度かの攻防を繰り返した時、馬車を降りるハインツ様の姿に気が付いた。
馬車の中が安全とは言えない。
それでもオーガ族と直接対峙するよりは長く生きられるだろう。
自身を上回る巨躯を持つオーガを前に、震える手に剣を持ち対峙出来ただけでも立派なのかもしれない。
だがその行為は幾ばくか残っている生存の可能性を縮めるだけだった。
ハインツ様に向けて振り降ろされた剣を止める術がなかった。
奇跡を祈る以外に出来ることがなかった。
だが、奇跡は起きた。
振り下ろされた剣はその途中で力なくハインツ様の上へと落ちていく。
剣を握りしめたオーガの腕とともに。
続けて黒い影が視界に入り、オーガが倒れこむ。
更に剣を振るうだけで別のオーガが足を失い倒れる。
とても剣の届く間合いではなかったが、オーガは倒れた。
更に続く黒い影の攻撃に次々とオーガが倒されていった。
私は目の前のオーガに出来た隙を突き、なんとか一体のオーガに深い傷を負わせることが出来た。
だが致命傷には至らない。
私の剣は先代より受け継いだ名工の品であり、決してナマクラではない。
だが、オーガの纏う魔闘気に阻まれ、その肌に深く斬り込むことが出来なかった。
そのオーガを圧倒し切り伏せる黒い影に、他のオーガよりさらに一回り体つきの大きいオーガが斬りつけた。
おそらくオーガリーダーと思われるそのオーガの攻撃を受けた黒い影は、一瞬動きを止める。
しかしダメージはないのか、まさに鬼気迫るといった勢いでオーガリーダーに向かい、信じられない速度そして力強い攻撃を続けて放つ。
オーガはただでさえ人の手に余る強さを持つ。
そして、そのオーガを力で従えるのがオーガリーダーだ。
だが黒い影はそのオーガリーダーに力でも速度でも、そして技でも劣っていなかった。
どちらかと言えばその黒い影は小柄であり、細身で体格も良くなく、おおよそ実戦向きとは思えない。
それが速度や技ならまだしも、力でオーガリーダーを抑えこむ様子は不気味でさえあった。
黒い影が踏み出すと軸足が地面に沈み込む。
ただ力任せに撃ち込むだけでは体重が軽いだけ攻撃も軽く、オーガリーダーを圧倒することは出来ない。
それを補うかのように踏み込んだ軸足を起点として、しっかりと力を乗せた一撃がオーガリーダーに向かって放たれる。
重く素早い攻撃だった。
オーガリーダーは堪らずに小さく後方に飛び、間合いを空ける。
それを追いかけるように黒い影が剣を一閃。
だが、その一振りはオーガリーダーに届かず、空を切る。
しかし、軽く残心の構えに移る黒い影の対面で、オーガリーダーの頭が落ち、続けて軽い地響きを立てて体が倒れた。
まるで離れたことが致命傷になったと言わんばかりの出来事に恐怖すら覚える。
一体何が起きたのか。
離れる前には、すでに斬られていたのか?
しかしそれでは離れることすら出来なかっただろう。
黒い影の戦いに戦慄したのは私だけではなかった。
オーガリーダーが倒れたのを見て、残りのオーガも森に姿を消していった。
後に残されたのは八人のオーガの死体と、兜を取り、燃え上がるような赤い髪を靡かせる少女だった。
深い森の中、零れ日が光の柱となって降り注ぐ中で、その光を浴びて佇む少女は英雄譚に出てくる戦乙女を思い起こさせた。
◇
目の前に立つオーガは強かった。
剣を一合わせしただけで勝てないと思った。
力が強くスピードがあり、そのどちらもがわたしを上回っている。
唯一素直な攻撃がわたしに一筋の逃げ道を作っていた。
でもそれはそう長くは続かない道だ。
半数も倒せば形勢が変わると思ったけど、上手くいかなかった。
数では無く、最初に不意打ちで目の前のオーガを倒すべきだったかな。
でもそんな事はここを生き延びてから考えれば良い。
まずは彼女を救って、そこから始める。
彼女を守れないほど無力な私なら、この先も無い。
ならばここで最後まで戦う。
わたしは躊躇せず、ありったけの魔力を身体強化につぎ込む。
アキトに鍛えてもらった魔力制御能力で、私は生まれて初めて魔力という力が自分の中に流れていることを感じた。
そして、その力を身に付けていくことで、わたしはわたしの中に流れる獣の血を感じ始めていた。
剣を振るうほどに血が滾り、その血が魔力をともない体を駆け巡ると、身体強化魔法だけでは敵わないようなオーガの力にも負ける気がしなかった。
戦いが進むほどに気分が高揚し、気分が高揚するほどに力が湧き上がる。
今ならどんな敵でも討ち倒せる、そう勘違いするほどに絶好調だった。
だけど、今は最悪だった。
体中の節々が強力な力に耐え切れず悲鳴を上げ、強烈な筋肉痛のような痛みが全身を襲っている。
なんとか暑苦しい兜を脱ぎ捨て、新鮮な空気を取り入れる。
わたしは回復魔法を覚えきれなかった事を後悔する。
いくら教えてもらっても、うまく出来なかった。
どちらかと言えば回復魔法よりも身体強化魔法ばかり練習していたからかもしれない。
失敗だ。
今からでも遅くないかな。
今度はもっと練習しよう。
「ロゼマリア様!!」
全身を襲う痛みに体が悲鳴を上げて、勝手に意識を閉ざしていく。
最後に駆け寄ってくる彼女を見て、一人だけでも救えた事に、その力を与えてくれたアキトに感謝した。