名も無き迷宮・後
できたてほかほか=ストック切れ
僅かな時間をおいて、女王蟻が暴れ出す。
先程までの鈍足な感じは何だったのかと思うほどの動きで足が振るわれ、俺は地面を転げ回ってはその攻撃を避ける。
おおよそ攻撃というよりはただ暴れる女王蟻に振り回されているだけとも言えた。
良く見れば女王蟻の巨大な下腹部がちぎれて無くなっていた。
動きが鈍重と思えたのは、本当に体が重かっただけだったのだろう。
その証拠に、今はその巨体からは想像が出来ないほどの速さで、狂ったように俺を攻撃してくる。
足を躱した俺の頭上に顎が迫る。
それをリデルが盾で弾き、僅かに軌道を逸らす。
身体強化状態のリデルでもそれが精一杯。
そのおかげで俺も僅かに逸れた顎をギリギリで躱す事が出来た。
躱した顎が地面を粉砕し、その勢いで俺とリデルが跳ね飛ばされる。
そして再び振り上げられた顎が振り下ろされる前に火球がその頭部に炸裂する。
気が付けば転がりながら逃げ回っている間に周りのパーティーからは距離が取れていた。
目に付くのは一つのパーティーだけだが、他のパーティーは既に逃げ出したのだろう。
そうなれば、俺達も長居をする理由は無い。
上半身? を炎に包まれながらも女王蟻は無事な方の前足を振るう。
どうしても俺だけは許せないらしい。
リデルが多重障壁を張り、その攻撃を受け止める。
同時に俺も魔盾を張り、協力して何とか直撃を防ぐ。
だがこの意味は大きかった。
今まで躱すしか無かった攻撃を受け止めることが出来た。
下腹部を失ったことで力を上手く入れられなくなったのかもしれない。
再びレティの火球が女王蟻を焼き上げる。
折れた腕や下腹部からしたたる体液が炎に焼かれ気分の悪い匂いを出すが、今は我慢するしか無い。
二度の火球を受け、体の殆どを焼かれた女王蟻に最初の勢いは無かった。
俺は苦痛に藻掻く女王蟻の後足。その関節を狙い再び飛び出す。
リデルも同時に出る。
俺が後を、リデルが中を。それぞれが関節を外すこと無く斬り付け、女王蟻の自由を奪う。
逃げることも出来なくなった女王蟻に三度目の火球が炸裂すると、その炎の中で複眼の双眸から光が失われていった。
「アキト、立てるかい」
「あぁ、打ち身程度でたいした怪我はしていない」
躱すのに転がりまわったせいであちこちに痛みはあるけれど、直撃は無かった。
むしろ直撃を食らっていたらそれっきりだったかもしれない。
「アキト様!」
ルイーゼが駆け寄ってくる。
レティとリゼットの周りには巨大蟻の死体が転がり、決して後で楽をしていたという状況では無かった。
その中でも俺達を優先して女王蟻に三度の火球を当ててくれたレティは、胆力も随分と上がったようだ。
「大丈夫だ、リデルに助けられたからな。
怪我らしい怪我も無いよ」
「今回は僕も打つ手が見付からず困っていたよ。
レティ、強くなったね」
「お兄様……ありがとうございます」
戦いに慣れていないリゼットも護身用のナイフを手にし、左手の辺りには血の流れた痕があった。
「リゼット、腕を見せてくれ」
躊躇するリゼットの腕をとり、袖を捲る。
そこには巨大蟻に噛まれ掛けたのか、鋭い物で引っ掻いたような傷があった。
俺の回復魔法では跡が残ってしまうだろう。
「ル――」
「アキト、いいのです。
傷跡などたいした問題ではありません。
それに、安易に奇跡に頼ってはいけません」
前にこれほどの奇跡に対価は必要ないのかと思ったことがある。
その内、機会があればと思っていたが。
「何か対価が必要だったりするのか?」
もし、良くある術者自身の寿命とかだったら俺は取り返しの付かない事をしていたんじゃ無いだろうか。
「これは聖エリンハイム教会の教えですが、奇跡の対価は使用者が死後に同等の苦痛を味わうとされています。
その際、受ける苦痛に魂が耐えられなければ、その魂は砕け散り二度と生まれ変わることは出来ないそうです。
ですからむやみに使うものではなく、教会の教えに従い、高い恭順を示す者を優先しています」
俺が願いルイーゼが助けた人達を思い出し、それがルイーゼの身に起こると思ったところでリデルに支えられる。
どうやら足から力が抜けてふらついていたようだ。
ルイーゼも少し青い顔をしていた。
「脅してしまったようですが、それが一般的な認識になります。
ですが私は教会が力を示すために用意した明文と思っています」
誰でも直すのでは無く、選ばれた者を直す。
その選ばれた者は信徒となり高い恭順を示す必要がある。
高い恭順って、お布施か?
お金のある者はそれなりに身分も高いのが普通だ。
それらの囲い込みに奇跡を利用するのか。
「すこし俗物的な物が見えてきたから、安心した」
「ただ、安易な奇跡の行使は神への冒涜とも取られかねません。
この程度のことで奇跡を願うのは止めておいた方が無難でしょう」
流石にそこまで考えていなかった。
せいぜいバレなければ面倒なことにはならないだろう程度だ。
俺はリゼットの怪我を治していく。
出来るだけ傷が残らないよう、傷みが早く引くよう女神アルテア様に願いながら。
≪どうしたのアルテア?≫
≪今、アキトの願いが届いたような≫
≪それはない。あれはまだ卵≫
「アキト」
リデルの声に振り向くと、遠くから残って様子を窺っていたパーティーが歩み寄ってきた。
「本当に倒したのか……」
二五歳前後だろうか。五人冒険者パーティーで、一人だけ女性が混じっていた。
見た感じの雰囲気からして初心者という感じでは無い。
その使い古されてはいても手入れされている装備を見れば、熟練の冒険者であることが窺えた。
もっともこの辺は初心者にはきついので最低でもランクDだと思う。
その内の先頭を歩いてきた男が、焼けた女王蟻を見て尚、信じられないとばかりに口を開く。
「こいつはランクBクラスの魔物だぞ」
ランクBか、どおりで最近は強くなったつもりでいたのに軽くあしらわれた訳だ。
あれだけ硬かったリデルの多重障壁すら簡単に貫いてきた時は、正直足止めもきついと思ったが。
致命傷に繋がるダメージを与えたのはレティの火球だった。
魔術師が一人パーティーにいるとチームのランクが一つ上がると言われている。
俺達は、リゼット以外はランクCだ。
レティは正式にはランクDだが、昇級試験を受けていないだけで、ランクを示す特殊魔晶石の色はランクCを示す緑色になっていた。
そういう意味では俺とルイーゼの特殊魔晶石は黄色、つまりランクB相当になっている。
パーティーのレベル的には、女王蟻と戦える土俵くらいには上がっていたのだろう。
「これは俺達の近くに湧いて、それを倒そうと思ったところでお前達に持って行かれたんだ。
マナーで言えば優先権は俺達にあった。
だから、こいつは俺達が貰っていくぞ」
次いで出て来た言葉に絶句する。
確かにあの時は、断ることも無く女王蟻をこちらに引き連れてきた。
ただあのままでは危ないと思ったからで――それは俺の主観か。
俺達に倒せたのだから、彼らに倒せないとは言い切れない。
「それはすまなかった」
俺が素直に謝った為か、逆に相手の男は面食らったようだ。
「い、いや、分かれば良いんだ。
それじゃこれは貰っていくぞ」
「その前に、女王蟻を倒せると言うだけの実力を見せてくれ」
「なんだと」
俺だって仲間の命を危険に晒して倒したんだ。
そう簡単に素材を渡す訳には行かない。
せめて女王蟻を倒せると言うだけの実力が無ければ、渡す気にはなれなかった。
「お前を打ち負かせば良いのか?」
相手も俺達を子供と思って侮っている部分が多いはずだ。
だが、人との揉め事は出来るだけ穏便に済ませたい。
「いや。俺には直感で分かるんだが、もう一匹女王蟻がいる感じなんだ。
それをおびき出すからそちらだけで倒して欲しい。
これはお詫びのような物だから。周りの巨大蟻はこちらで何とかしよう」
「なっ?!」
もちろん嘘だ。
そもそも女王蟻が二体も近くにいるとは思えない。
でも、そんな嘘でも実際に女王蟻を倒した人間が言うとハッタリ位にはなるのだろう。
明らかに向こうは怖じ気づいていた。
「それじゃそこにいてくれ、今から誘い出してくる。
俺達は手を出さないと約束をする。
そちらがもし崩れたなら、後始末は俺達がやるから安心してくれ」
俺が適当な方角に歩き出すと――
「ま、待ってくれ。
俺達はこの後用事があるのを思い出した。
女王蟻と戦っている時間はないし、仕方ない、それは譲ってやる」
何ともお粗末な。
最初からダメ元で言い掛かりを付けてきたとは思っていたが、俺の嘘さえ見抜けないとは。
「それじゃ次回、機会があったら女王蟻を紹介するよ」
男達は苦虫を噛みつぶしたような表情で去って行った。
「アキトも遇うのが随分と慣れて来たものだね」
「そりゃあ、貴族様を相手にするよりは何倍も気が楽だからな。
国王陛下と話すことに比べれば何って事無いさ」
「アキトは彼らが貴族に関わる者ではないと思って?」
「あ……」
リゼットに指摘されて気付いたが、何で俺は彼らが貴族では無いと勝手に決めつけたのだろう。
もし貴族だった場合は、あの手の人間のすることだ。
面倒なことになりかねない。
「安心して良いよ。
僕の見立てでは、彼らに青い血は流れていない」
この世界でも貴族は青い血と表現されるのか。
ひとまず安心した。
俺達はモモに丸焼きになった女王蟻と巨大蟻を片付けて貰う。
モモは俺の切り落とした女王蟻の触角を頭に付けようとしていたが、残念、モモの頭は小さすぎた。
「そう言えば、俺が女王蟻の触角を切り落とす前に、リゼットが止めたよな。
俺は止まりきれずに斬ってしまったけど」
「女王蟻は触角を失うと凶暴化するのです。
これは最初に伝えるべき情報でした。私のミスです」
女王蟻が出てくることなど想定してはいなかった。
巨大蟻でも同じかもしれないけれど、巨大蟻が凶暴化したところでたかがしれている。
この世界は俺が生きていける程度には元の世界と似ていた。
だから元の知識に当てはめて物事を考えがちだけれど、それは危険なことなのかもしれない。
今回のように弱点と思ったことが、そうでは無かった場合、より危険な状況になる。
そうか、俺が慢心していたのはそう言うところか。
なんとなく知ったつもりになっていた事が、多少は戦えるようになった俺の中で油断になっていた。
「俺も似たような相手を想定して、勝手に弱点だと思っていた。
似ているだけだと分かったよ。俺のミスでもある」
改めよう、ここは異世界だ。
◇
「それじゃ一日目の狩りを無事に終えたことに乾杯」
「乾杯」「乾杯です!」「乾杯」「乾杯」「?!」
リデル、レティ、ルイーゼ、リゼット、モモが持つ果実水が入った器合わせる。
軽い木の音に混じって、氷の鳴らす音が夏の夜に響いた。
早速回収した魔石で氷を作ったところ、一つの魔石から一〇〇個位取れる感じだった。
これでしばらくは『カフェテリア』のメニューにオプションとして載せられるだろう。
なによりウォーレンに頼んでおいたコーヒー豆が来月には届く。
南のプローヴァから取り寄せて貰っていたが、半年掛かった。
収穫の時期や往復の時間などを考えれば仕方が無いのだろうけれど、運送費の方が何倍も高いというほど安い値段で手に入ったのだ。
合わせて頼んでおいたカカオの実も一緒に入ってくる。
ついに俺の『カフェテリア』が食堂からカフェに変わる時が来たと言えよう。
食堂は食堂で二号店を出すのも良いかもしれないな。
そんな事を考えていると、隣の席のモモが誰かに持ち上げられ、その誰かが隣に座る。
続けて膝の上にモモを座らせて抱え込んだ。
「ミーティア様?!」
レティが目を丸くして驚いている。
まぁ、俺も驚いたが。
「ミーティア、なんでここに?」
「仕事が終わった。王都に帰る」
相変わらず歌姫モードじゃない時はテンションが低いな。
それでもモモを抱きしめて頬ずりしている内にだんだん幼児化してきた。
「アキト」
ミーティアが口を開けて待つ。
俺はそこにドルベアの実を放り込む。これは独特の歯ごたえと渋みがあり、俺の周りではレオしか食べられなかった。
ミーティアはそれを美味しそうに頬張る。
「アキト」
続けてブルボットと言う青汁の入ったコップを手渡す。
これはレオも飲めず、俺だけが飲んでいる野菜ジュースだ。
「満足」
「そうか、よかったな。
満足ついでに一曲歌ってくれないか?」
「わかった」
「ミーティア様の生歌?!」
ミーティアのファンであるレティは大はしゃぎだ。
会えただけでサプライズの所に生歌付きとなればテンションも上がるだろう。
そして、テンションが上がったのはレティだけでは無かった。
ミーティアが歌い出すと、その歌声に引かれて出店にいた冒険者が集まり、その歌声に酔いしれる。
一曲が歌い終わる都度、その歌に乾杯が鳴り響き、再び次の曲に酔いしれる。
俺とリデルも酒を勧められ、慣れる必要もあるかと一緒に酒を飲み、気が付けば内のお姫様達も真っ赤な顔をしていた。
まぁ、そんな事も偶には良いだろうと、その宴はミーティアが歌い疲れて眠るまで続いた。
◇
「それでは後は私が」
ミーティアの付き人さんだ。
直ぐに一人で抜け出すミーティアに振り回される可哀想な人でもある。
とは言え、今日引き止めてしまったのは俺の方なので、付き人さんに案内され、馬車までミーティアを背負って運ぶ。
確か前にもこんな事があったな。
この一年でミーティアの胸は成長していないようだ。可哀想に。
「ミーティア様が、これほど警戒心も抱かずにお休みになられているのは珍しいことです」
「普段は違うんだ」
「そうですね……やはりエルフの方ですから、人と接しているのは疲れるのかもしれません」
「どうしてミーティアは里を離れて、一人この国で歌っているんだ?」
「わたくしも知っているのは、それが約束だからと言うことだけです」
「約束か」
ミーティアはエルフだけあって長寿だ。見た目通りの年齢のはずが無い。
ずっと約束を守って一人歌い続けるのはどれほど過酷な生き方だろうか。
そんな約束と思ってしまうのは他人事だからなのだろうな。
◇
「歌姫さんは無事に送り届けられたかい」
「あぁ。最後までぐっすりだったよ」
「酔いも覚めただろう。もう少し付き合ってくれるかい」
「そうだな。そろそろ俺より飲めるようにならないとな」
「僕はそこそこ飲めるようになったと思うのだけれどね。
アキト、魔法でアルコールを消して無いかい?」
魔法で?
「そんなつもりは無いけれど、最近怪我をした瞬間とか無意識に自己治癒魔法を使っているからな。
まさかとは思うけれど、アルコールも抜けるのか」
「無意識に使えるとはびっくりだね。
アルコールも一種の状態異常だと思えば回復魔法で治るのかもね」
「前に鍛錬で痛い思いをしては直ぐに魔法で治していたのが癖になったかもしれない」
今でもレオの膝蹴りを食らった時の痛みと苦しみは思い出すだけでもげんなりする。
「それじゃ今夜はその辺の話を種に、魔法が使えなくなるまで飲むとしよう」
「先に酔うなよ」
「コツを聞いたからね、僕も試してみるよ」
リゼット、ルイーゼ、レティ。みんな気の許せる仲間だが、それでもやっぱり俺の中では守るべき対象としての気持ちが残っているのかもしれない。
リデルと二人で過ごす他愛も無い時間は、気が置けない安らかな一時だった。