名も無き迷宮・中
翌日。
この遺跡はほぼ全面を石畳で覆われており、古い割にはしっかりとした構造を保っていた。
雰囲気的には迷宮都市ルミナスと似ている。
中は時折現れる大広間とそこから別の大広間に通じる幾つもの通路が合わさり、迷路とまでは言わないが、油断すると方向感覚を失う程度には複雑な作りをしていた。
大広間はおおよそ長方形の形をし、長手方向で一〇〇メートル近い。
その天井は一〇メートルほどありそうだが、通路は低いところで二メートルと意外と低い。
大広間には天井を支える為か、幅一メートルほどの柱が所々に立ち並び、その様子を光苔が薄っすらと映し出す様子は、なかなかに荘厳な印象を受けた。
ここが昔何に使われていたのかは分からないが、俺の第一印象はデパートのような物だな。
ちなみに光苔は魔力を吸収して発行するらしく、魔道具のランプにも使われている。
魔力濃度が高ければ光量も上がる為、遺跡を奥に進めば進むほど明るくなる傾向があった。
「リゼット、頼む」
「この遺跡は東西南北に広がっています。
私とルイーゼは何度か潜っていますが、この辺の事情は特に変わっていませんね。
今のところ、東のブロックの探索が極端に遅れています。
東側の浅瀬に住む巨大蟻の大群が原因だと思われます。
巨大蟻自体はランクE程度ですが、群れをなす習性があり、その場合の脅威度はランクCに匹敵すると言われていますから」
昔良く戦った牙狼と同じタイプか。
蟻という名前からして甲殻系の魔物だろう。
鉄の剣では刃が通らなかったかもしれないが星月剣ではどうだろうか。
どんなに切れ味が良くても、滑ってしまえば変わりない気もする。
「ランクの高い冒険者は、獲物として魅力の薄い巨大蟻を相手にするより、奥に進んでアーティファクトの発掘を優先しているようですね。
かと言って巨大蟻は駆け出しの冒険者が相手にできる魔物でもありません。
現状は穴場と言ってよいでしょう」
今回の目的は大量の魔石だ。
強い魔物の魔石の方が魔力保有量も多いが、討伐に時間も掛かるし、個体数も少ない。
弱い魔物の魔石でも数を稼げるなら問題なかった。
それに甲殻系の魔物であれば素材がそこそこいい値段で売れるし、何よりその先には未開の東ブロックが広がるとなれば夢も広がる。
「よし、東ブロックにしよう」
単体ではランクEと言うなら、こちらの火力はオーバーキルもいいところだ。
群れをなしていると言っても焼け石に水のようなものだろう。
飽きてきたら奥に進んで未発見のお宝探しも楽しそうだ。
◇
甘かった。
熟練の冒険者が避けている巨大蟻の大群なだけあって、俺の想像を超える大群だった。
倒しても倒しても途切れることのない巨大蟻の群れに圧倒されるばかりだ。
追い立てられるように戦いの場を移動していたら十字路に出くわし、四方から攻められ、さらに状況が悪くなっている。
「リデルは北側の通路を抑えてくれ!
ルイーゼは東側だ!
レティは南側に火壁を頼む!」
「わかった!」
「はい!」
「わかりました!」
リデルの張る多重障壁は巨大蟻の群れを押し止めているが、すでに何枚か貫通されている。
魔力を節約するために全方位ではなく前面にだけ展開しているが、やはり魔力の消費は激しいようだ。
ルイーゼは巨大なメイスと盾を振るい、一撃のもとに巨大蟻を倒している。
しかし、一人で守るには駆けまわる必要があり、いつまでも続けられることではないだろう。
レティの火壁で焼かれる巨大蟻も多かったが、仲間の死体を乗り越えて来ようとする巨大蟻も多い。
火壁の維持には継続的な魔力の供給が必要になるため、いつまでも抑えられる状況ではなかった。
「リゼットまだ掛かるか?!」
俺は西の通路から迫ってくる巨大蟻を抑えつつ、リゼットの空間転移が発動準備を終えるのを待つ。
俺の攻撃の多くは単体を相手にするもので、群れをなす敵には効果が薄かった。
幸いにして星月剣は巨大蟻の甲殻を切り裂くことが出来たので、倒すことに支障はなかった。
ルイーゼと同じで通路内を駆けまわっている状態だが、魔弾や魔刃が有るだけルイーゼよりはマシと言える。
「アキト!」
「全員集まってリゼットの手を掴み、絶対に離すな!」
みんなが素早くリゼットに駆け寄り、その手を掴む。
それを確認したリゼットが魔力を具現化すると、瞬時に景色が森の中へと変わった。
◇
大失態だ。
何も無謀に奥へ進んでいった訳じゃない。
魔法感知で巨大蟻に注意しつつ退路の確認は怠らなかった。
ただ、放置されていた期間が長かったせいか、巨大蟻が全部巣穴に引き返してしまったようで、気が付かないうちに奥に入り込んでいた。
そこまでなら仕方がないとも取れるが、その後の対応が悪かった。
試しに戦ってみると思った以上に巨大蟻が弱く、俺は倒すことに夢中になってしまった。
その時、俺の魔力感知の外側で包囲網が完成しているとは思わず。
気が付いた時には四方八方から迫り来る巨大蟻の群れに囲まれていた。
それでもすぐに引き返していれば群れを突破できただろう。
なぜなら、この遺跡に住む巨大蟻は自分のテリトリーの外までは追ってこようとしないのだから。
俺は十分対応出来ると思っていたのだが、巨大蟻が天井を使い攻めてきたあたりから様子が変わってしまった。
三次元的に攻撃を受けるようになった瞬間、守ることがきつくなり、そこからはジリ貧だった。
リゼットの空間転移がなければ、もっと慎重に事を運んだと思うがそれは甘えだろう。
それに慣れてしまっては危機感が薄れる。
空間転移はあくまでも保険であって、それを使う前提では良くない。
「すまない、順調過ぎて魔物を甘く見ていた。
それはリーダーとして仲間の命を軽く見ていたことになる」
「僕もすこしリーダーの判断に任せすぎていたかもしれないね」
「私もいざとなれば空間転移でという気持ちがあったと思います」
リデルとリゼットのフォローを受ける。
「アキトさん、私、自分がする事でいっぱいになってしまって状況がよく掴めていませんでした」
「アキト様、力不足で申し訳ありません」
レティとルイーゼは全力で頑張ってくれた。
それ以上を求めるのは間違っているだろう。
判断を誤ったが、誰も怪我をする事なく戻ってこれてよかった。
「久しぶりに反省会となったけど、次は対策を考えよう。
そして今の気持ちを忘れないうちにもう一度遺跡に入る」
「了解」
「そうしましょう」
「わかりました」
「はい」
必要なリスクは有る。でも今のは不要なリスクだ。
リゼットが事前に情報収集を行っていた時、俺も見習うべきかと思っていたのに、リゼットから魔物の説明を聞いて理解したつもりでいた。
その時点ですでに考えが軽かったに違いない。
改めよう、その機会を与えられたうちに。
◇
ここは東ブロックを三〇分ほど進んだ地点で、最初に来た時に巨大蟻と遭遇した地点よりは随分と手前だ。
「だいたいこの辺りまでが巨大蟻のテリトリーみたいだな」
「そうですね、北も南もこの辺までは出てこないようですから、この辺を起点として東に進むのが良いと思います」
俺とリゼットで、今までに得た情報から探索方向を絞っていく。
リデルはルイーゼとレティに立ち位置の確認や、無理をしてしまうことの危うさを教えている。
特にルイーゼは頑張りすぎてしまうので、俺も目が離せない。
今回はリデルがいることで、ルイーゼの立ち位置が今までと変わる。
前面にリデルが出るので、ルイーゼはリゼットとレティの護衛として動き回ることになった。
リゼットやレティもルイーゼの実力は信頼している。
安心して身の守りを任せられるだろう。
これにより、俺が二人の守りに入らないで済むため攻撃に専念出来る。
そして、パーティーの攻撃力が上がれば、いざ囲われそうになったとしても強引に突き進むことが出来る。
リデルが敵を抑え、俺とレティで魔物を倒す。
リゼットが状況把握を行い、ルイーゼが後衛を中心に守る。
モモには足場が悪くならないように、倒した魔物を随時片付けてもらい、いざとなれば身体回復薬と魔力回復薬を配ってもらう。
パーティーって素晴らしいな。
◇
「アキト、そろそろ一時間になります」
「わかった!
リデル、戦線を下げる!
レティ、火壁を頼む!
ルイーゼ、後方に回りこむやつを頼んだ!」
「了解」
「わかりました!」
「はい!」
戦線を当初考えていた安全エリアまで下げる。
やはりここまでは追って出てこないようだ。
穴場とはいえ、誰も居ないというわけではなかった。
気がつけば周りで幾つかのパーティーも似たような戦い方をしていた。
むしろ初めにそうした戦い方をしなかった俺の作戦ミスなのだろう。
「一時間ほど休憩をしよう」
他のパーティーの邪魔にならない程度に距離を開けて床に座り込む。
ある程度余裕を持って動いていたが、波状攻撃のように押し寄せてくる巨大蟻を凌ぎきるのは、なかなかに骨の折れる仕事だった。
正直何匹の巨大蟻を倒したか検討もつかない。
後始末を考えると、少しうんざりしてくる位は倒した。
一〇〇匹は余裕で超えて、二〇〇匹近い気もする。
もう解体からギルドに任せてしまった方が良いだろうか。
「はぁ、はぁ、はぁ。
わ、わたし、もうしばらくは、蟻を見たくありません、はぁ、はぁ」
「残念なお知らせだが、しばらくはここを拠点とする予定さ」
「えぇぇ……」
俺達前衛組と違ってレティの場合は精神的な疲れが大きい。
魔力の状態と精神の安定は関係があるというのが経験上で得た知識だ。
魔力を消耗し、疲れが重なったことで少し弱気になったと思える。
俺はレティの許可を得てその背中に手を当て、不足した魔力を補う。
「はふぅ……はわわわわぁ。
あぁ、わたしはこの為に戦った気がします……はぁぁ」
なんとも緊張感の抜ける声に俺の気も緩む。
気が緩んだのはみんなも同じようだったが、その瞬間を突いて地鳴りのような音、続いて微振動が起こる。
「アキト!」
「?!」
くっ、指示が遅れた。
俺まで動揺していてどうする。
「状況がわからない、一旦下がる!」
「了解!」
「はい!」
「わかりました!」
「了解です」
俺達が下がると同時に微振動が大きくなり、ついで大広間の中央付近の床が爆発した。
土埃が舞い上がり何が起きたかが正確に分からないが、土埃の中心には強力な魔力反応があった。
それはルミナスで出くわした牙大虎をも上回る反応を見せる。
「中心に魔物だ! 大きい!」
土埃が薄れるなか、紅い二つの光点が現れる。
直感で俺はそれが眼だと認識していた。
「アキト! 女王蟻です!」
巨大熊は大きかった。巨大鰐も大きかった。牙大虎も大きかった。
だが女王アリはそれらを足したような大きさだ。
紅い双眸を持つその頭の位置がはるか頭上、五メートルには届くかという高さに有る。
顎は人間を獲物とするための物とは思えないほどに巨大で、あの巨大熊でさえ挟まれれば助かるとは思えなかった。
「あの大きさだ、通路まで下がれば追ってこられないはずだが……」
俺達は休憩していたため、いち早く下がれた。
それは運が良かったと言えるが、たまたま巨大蟻と戦闘中だった他のパーティーにとっては、背後に女王蟻が現れた形となり、逃げ場を失っている。
「決めるんだ、アキト」
そうだ、俺が今はパーティーのリーダーだ。
仲間の命を預かり、同時に『蒼き盾』の名前も受け継いだ。
「倒そうとは思っていない。
だけど、可能なら残されたパーティーが逃げられる程度の時間を稼ぎたい」
「あの、王鷲に使った火球はどうでしょうか?」
「向こうのパーティーが近すぎて危険だな」
それで怒り狂って暴れ出したら目も当てられない。
「気を引く程度に動きまわり、まずは女王蟻を大広間の端に誘導する。
そこなら、いざとなればそのまま南の通路に逃げ込める」
「目的は誘導だね、了解」
「レティ、出来るだけ離れて火矢を適当に撃ちこんでくれ。
リゼットはレティと共に、状況が変わったら後は任せる。
ルイーゼ護衛を頼む!」
「了解です」
「わかりました!」
「はい!」
リデルが女王蟻に駆け寄る。
その直ぐ後ろを俺が付いていく。
いつもリデルの背中を見て戦っていたな。
この感覚、久しぶりだ。
「アキト、注意を引いてくれ!」
「わかった!」
近付くだけで圧倒されそうな大きさだ。
今の俺達が全力で戦ってどこまで通用するのか試してみたい気持ちもあるが、俺の興味で出来ることではないな。
放った魔弾が女王蟻の頭部を僅かに揺らす。
全力で撃ったが、気を引いた程度か?
それでもリデルが詰めるだけの時間は稼げた。
リデルの敵愾向上が発動し、女王蟻が甲高い悲鳴のような声を上げる。
リデルを敵対する者として認識を強めたようだ。
女王蟻がその牙を持ってリデルを捉えようと頭を振り下ろしてくるが、それをリデルの張った多重障壁が阻む。
意外な抵抗を受けた女王蟻は、その質量を武器に多重障壁に乗りかかる形になると、耐え切れずに多重障壁が粉砕されていく。
「離れる!」
「分かった!」
多重障壁が砕け散り、その顎がさっきまで俺達がいた場所に突き刺さる。
軽々と石畳の床を粉砕する攻撃は、ただ大きく重いというだけでも十分な攻撃力を持っている事を示していた。
幸いにしてその動きは速いものではなかった。
きちんと引きつけて躱す分には攻撃を受ける心配はないだろう。
「足を止めたいところだな」
「流石に力押しとは行かないだろうね」
地面に刺さった顎を引き抜き、ゆったりと獲物を追い詰めるように女王蟻が迫ってくる。
その一歩一歩が石畳を踏みしめる都度、確かな揺れを感じるほどだ。
「何時もなら足を狙うところだが……」
一抱えはありそうな甲殻に包まれた足は、星月剣を持ってしても簡単に切断という訳には行かない感じだ。
「アキト!
関節に大きなダメージを与えれば、あの巨体を支えらるとは思えません!」
リゼットが後方よりアドバイスをくれる。
そう言えば格闘技なんかでも、まずはローキックで崩すのが基本だったな。
「それじゃ狙ってみたいところだが、リデルの方でもう一度気を惹けるか?」
「やってみよう。
僕が合図をしたら、女王蟻の頭付近から視線を逸らしてくれ」
「わかった」
リデルが魔法の詠唱に入る。
俺はちらほらと近寄ってきた巨大蟻を魔刃で片付け、リデルの合図に備える。
火矢が俺達の横を通り抜け、よってくる巨大蟻を火だるまにしていく。
レティも俺の指示より巨大蟻を優先してくれたらしい。
リゼットのアドバイスがあったのかもしれない、いずれにしても助かる。
やはり全体を俯瞰的に見られる立ち位置の仲間が一人いると、臨機応変な対応が出来る。
しばらくは俺がやっていたけれど、それで攻撃力が落ちていたことは確かだ。
リゼットが代わりに見てくれるのはありがたかった。
「アキト!」
俺が女王蟻から視線を逸らして一拍後。
まばゆい光の爆発が起こった。
衝撃も無ければ爆発音も無い。
ただ一瞬だけ溢れ出した強烈な光に女王蟻の動きが止まる。
魔力が光に変換されただけだが、暗闇に住み、目を瞑ることも出来ない女王蟻には中々きつい攻撃だっただろう。
俺は歩みを止めた女王蟻の左前足、その第二関節部分に斬り込む。
女王蟻が動きを止めていたのは僅かな時間だったが、俺の方が早い!
女王蟻の関節から白っぽい体液が吹き出し、体重を支えきれずにバランスを崩す。
地面に腹を付けた女王蟻の頭部が直ぐ近くに迫り、禍々しいほどの赤い色をした複眼が、まるで俺を睨み付けるように動くのを感じた。
一瞬怯むが、視界に女王蟻の触角が入ったところで思い出す。
確か蟻の触角は重要なセンサーで、それを失うと人間で言えば五感を失うようなものだ。
俺は星月剣を振るい、その触覚を切り落とす。
「いけませんアキト!」
リゼットの制止する声が聞こえたが、その時には女王蟻の触覚が宙を舞っていた。