名も無き迷宮・前
「名も無き迷宮・後」まで執筆が終わってない…
季節はまだ夏真っ盛り。
元の世界なら湿度が高く気温も四〇度に達するような時期だが、この世界の夏はなかなかに快適だ。
流石に直射日光の下にいれば暑さも感じるが、それさえ避けていれば半袖で快適に過ごせる。
それでも戦闘装備は色々と着こむことが多いのでこの時期はなかなかに辛かった。
捕虜の捜索から救出へと続いた作戦を終えて戻ってきた時には、三,四キロ痩せていたんじゃないだろうか。
先週まで森や岩山を駆け回っていた事を考えれば、ここでの生活は天国のようにも思える。
ルイーゼはタフになったか。特に変わった様子を見せない。
レティには疲れが見えるな。今までは兄の為にと気丈に振舞っていたと思うが、それも抜けて今は一人の女の子だ。
そこにリゼットがメルを連れて現れる。
「旦那様、こちらが南国オレンジの果実水になります」
椅子に座りくつろいでいる俺の首元に、背後から細く小さい手が周りモモが現れる。
そして俺の肩越しに大きな目を更に見開いて、果実水を見ていた。
別段変わった様子も無いただの果実水だ。
氷で冷やされたガラスの器に水滴が付いているただの……氷?
エルドリア王国は温暖な気候で、一部の山岳地帯を除いては雪も降らないし、凍るようなことも無い。
ならこの氷はどこから来た?
ルイーゼもレティもその果実水を見て言葉が無いようだ。
少しだけその様子を楽しむように見ていたリゼットだけが、出所を知っているのか。
「あっ!」
その器に手を触れたレティが、瞬時に手を放す。
「熱く……ない? えっ? 冷たい?」
「氷だな」
「氷ですか?」
「ああ。そのガラスに入っている透明の塊が氷だ」
「アキト様、氷とはなんでしょうか?」
「なんと言えば良いかな。
水の塊なんだが、ただの水では無くて温度がある一定以下になるとこういう状態になるんだ」
「水がこのような形にですか」
雪も氷も見たことが無ければ不思議な物だろう。
「普段何気なく飲んでいる水が、これほど奥の深い物とは思いませんでした」
「リゼットが作ったのか?」
「以前、魔封印の魔法具を探している時に手に入れたアーティファクトですが、ようやく使い方がわかりました」
なんでも作戦本部に詰めていた時、同様のアーティファクトを貴族が使っているのを見てヒントを得たとか。
魔道具は起動のプロセスが必要で、一度起動してしまえば誰にでも使える。動力源は魔力だ。
俺は以前にも氷を作るために水と火の魔法でなんとかならないものかと考えたことがあるけれど、火は温度を操るものではなく、その字のごとく火をおこすだけだった。
温度を操るには古代魔法が必要だと分かったところでくじけていた気がする。
古代魔法は精霊魔法と違い、いろいろな魔法の複合により実現している部分があり、見本を直視しながら覚えた転移魔法が精一杯の俺には、手のつけられない世界だった。
それがアーティファクトで手に入るとは……高いのかな。
その能力次第では色々と出来るのだが。
「残念ながら私の魔力量では氷一〇〇〇個程度がやっとですね。
それ以上を作ろうとしても、最初のが溶け出してしまうようです」
「それが元々の性能なのか、単に動力源が足りないのかを確認したいな」
「魔道具は魔力を吸収して動作するものですが、魔力を付与してでも動きます。
アキト、試してみますか?」
「やらない理由がないな」
お風呂に続いて念願の氷が手に入る。
それはつまりアイスが食べられるということだ。
ここで試さなければ男がすたるだろう。
◇
そして俺達は今、こぶし大の氷に埋もれていた。
「アキトさん、やり過ぎですー」
レティも俺同様に、氷に埋もれながら苦言を上げる。
確かにやり過ぎた気がする。
ルイーゼが冷たさに震え、リゼットが頭を抱える。
モモは元気に氷の塊を太陽にかざして、その輝きを楽しんでいた。
「モモ、すまないがこれを片付けてくれるか」
頷くモモが手元の一つだけを残して片付けてくれたおかげで、ようやく落ち着く。
「これなら俺にも使えるし、生活を豊かにする魔道具を集めるのも悪くないな」
「アキト、莫大なお金が掛かりますよ」
「お金は貯めればいいし、いざとなれば取りに行けばいいさ」
生きることを楽しむために働く。
良いじゃないか単純で。
◇
と言う事で、これを売り物にするに当たり、メルとリルに頑張ってもらうことになるが……。
「私は三〇個ですね」
「リルは一五個ですぅ」
残念ながら売り物として出すには数が足りなそうだ。
「アキト、この製氷機――俺の命名になる――は魔石も動力源に出来ますので、先々のことを考えれば、魔石を大量に用意しておくのも手だと思います」
「なるほど、となれば久しぶりに行くか、迷宮に!」
「手軽な魔物が多くいる遺跡に、心当たりがあります」
迷宮じゃなく、遺跡。
違いは分からないが、似たようなものか。
「思いついたら早速だな」
「それは僕が混じってもいいのかい?」
「お兄様?!」
白いブラウスにパンツ姿のリデルだ。
鎧でも騎士服でもない姿を見るのは久しぶりだな。
こうして見ると、重い鎧を着て剣を振るっているとは思えないくらい線の細い貴公子何だが――敵に回すと怖いほどに強い。
そんなリデルを見て、通りを行く女性が足を止めるのも仕方がない。
「騎士団の方はさぼってても良いのか?」
「今は無理やり慰安のために休まされているよ。
おそらく任務地が決まる二週間ほどは暇が続くだろうね」
「よし、それじゃリデルの装備でも整えに行くか」
今までのは俺がぶっ壊してしまったからな。
ここは俺の方で用意するとしよう。
「心配には及ばないよ。
正式に騎士団の装備が揃ったところだ」
「良いのか、公私混同じゃないか」
「そんな決まり事はないさ。
もともと、貴族が魔物狩りをすること自体まれなことだしね」
それもそうか、本来魔物狩りは生活の為に行われている物だ。
生活に困るような貴族が兼業で冒険者というのは嫌な話だ。
「流石にそのままというのも何だから、適当な陣胴服でも用意するよ」
あれちょっと格好良いよな。
鎧剥き出しより、何かそれっぽくて俺も欲しいかもしれない。
「それじゃ、みんな準備はいいか?」
リデル、リゼット、ルイーゼ、レティ、そしてモモが頷く。
久しぶりの狩りに少しずつ足りなかったものが埋まっていく気がした。
◇
道中をふっ飛ばしていきなり遺跡に到着した――とは行かなかった。
リゼットの空間転移には距離制限と前もって転移場所を認識するために、転移先に念波転送石が必要だった。
早くバージョンアップしてもらいたいものだ。
とは言え、道中はそれなりに楽しいものだった。
予定では三泊四日になる。
久しぶりの馬車の旅に昔を思い出す。
最後に乗った馬車はルイーゼと二人だけだった。
結構寂しかったのを覚えている。
場合によっては、あの道をルイーゼが一人で帰ることになっていたと思うと、居た堪れない。
次に解呪が必要になることがあれば、万全の体制で挑もう。
◇
ここは王都の南に発見された、まだ新しい遺跡。
一つの遺跡の発見は一つの町を生むと言われているくらいで、数年後にはここにも町の形が作られているのだろう。
遺跡から上がってくる発掘品だけでも経済の活性化に繋がるが、町が出来るということは冒険者や商人だけでなく、あらゆる職業につく人々にとって大きな商機となる。
大量の木材、石材、レンガ、粘土、砂利といった土木関連素材から始まり、実際にそれらを使う職人、職人を相手にした仮設の食堂や宿。
基礎工事が終われば今度は建築ラッシュが始まり日用品、家具、調度品が入ってくる。
それらが進むに連れて人がどんどん集まり、人が集まれば娯楽も増え、徐々にお金が回り始め、更に人が増えていく。
そして、ここは王都から商業都市カナンに伸びる主要道路が近いこともあり、地理的にも交通の便が良く、発展確実の優良物件だ。
おそらく将来的にはここに出来た町を通る経路が出来上がることも想像がつく。
今はまだ町の姿もないこの遺跡には、それでも多くの冒険者が押し寄せ、その冒険者の落とすお金を目的に仮の宿場街が出来ていた。
その殆どはテントをベースとしたもので、平民ではゆっくり出来ない物ではあるが、旅慣れた者にとっては盗賊や動物の脅威がないだけでも十分に休みを取ることが出来る。
俺達もその一つを利用したいところだが、残念ながらとても空いていそうにはなかった。
適度に離れた位置にテントを張る必要がありそうだが、同じ様に宿に入れなかった冒険者も多いから、そこに紛れることにしよう。
「あれが遺跡か」
所々からは鉄を撃つ音が聞こえ、日中でありながら多くの人で賑わっていた。
何から何まで仮設といった感じなのに、その中で工夫して商売を始めている商人の逞しさに驚かされる。
「どうするリデル、今日は準備にしておいて、明日潜るか?」
「今のリーダーはアキトだよ。
それを決めるのも大切なことだからね」
「なるほど、そうだな」
王都を出るのが遅かったので、今は一五時位だ。
まだ日が高いとはいえ、今からだと遺跡に潜っていられるのも二時間位だろう。
「よし、今日は潜らずに早めに休んで、明日の朝一で潜ろう」
「了解」
「はい」
「わかりました」
「了解しました」
リデル、ルイーゼ、レティ、リゼットと続く。
賑やかで何よりだ。
「アキト様、お食事の準備をいたしますね」
「いや、折角だから今夜は出店で星でも眺めながら食事にしよう」
「それはいい考えだね」
「いいですねぇ」
レティは両手の指を胸の前で組むと、早くも空を眺め始めた。
「私は少し情報を仕入れてきますね」
俺は結構軽い気持ちで遺跡に入ってしまうが、リゼットはきちんと情報を揃えて潜るようだ。
段取り八割という言葉もあるし、俺もこの辺は見習うべきだな。
「わかった、一時間後には食事に出るからそれまでに戻ってきてくれ。
こっちは適当に野営の準備でもしておく」
テントは二つ用意することにした。
今までは一つで済ませていたが、女の子には女の子の事情もあるだろう。
モモにも女性陣に付いてもらう。
モモ最大の恩恵はその魔法に因る収納能力だが、それに隠れて家事の助けになる魔法がある。
それは服が汚れても、その汚れを落としてくれる魔法だ。
服の痛みまでは直せないけれど、それでも十分に助かる。
初めてモモに出会った時は服も一着しか無かったから、モモに汚れを落としてもらえたので助かった。
俺はその魔法をクリーニング代わりにしか使っていなかったが、女の子たちは汗を流したり、花を摘むのに良かったりと色いろあるらしい。
モモのおかげで俺達の野営は大分楽になっている。
もちろん俺も女の子組大人気の害虫除外の魔法で旅の補助に貢献だ。
虫に刺されないし、この世界にもいると分かった黒い彗星も寄ってこない素晴らしい魔法だ。
俺はこの魔法だけで人気者になれる自信がある。
◇
「お兄様は大丈夫でしょうか」
「まぁ、取って食われることもないだろう」
リゼットの戻りを待って食事に出た俺達は、適当な出店のテーブルについていた。
ここは給仕がいないため、頼んだ料理を自分で取りに行くことになる。
その時、たまたまリデルと離れた隙をついてか、他のパーティーの女性陣がリデルの下に押し掛けていた。
それに巻き込まれたルイーゼがあたふたしている。
王都では見かけることの少ないタイプの女性が多く、重苦しい防具を脱いだ姿は開放的で、女性らしい特徴を誇示する姿は蠱惑的だった。
女性の冒険者は少ない。
それでも、冒険者が二〇人も集まれば一人くらいは女性がいる。
ここは今人気最前線の遺跡ともなれば、総数が増えるのだから女性も多くなる。
平民生まれの女性にとって、その取り得る生き方は多くはない。
さっさと結婚できれば良し、そうでなければ自分でなんとか食い扶持を探さなければならない。
失業率がどれくらいか分からないが、仕方なしに冒険者になる女性も多かった。
その場合、元々の知り合いでもない限り女性同士でパーティーを組むことが多いのも特徴だ。
まぁ、荒くれ者と言われやすい冒険者の中に女性が一人でいるというのも、なかなか難しい話だろう。
そしてレティが自然と見付けた居心地に良い店に、女性が集まるのも自然か。
女性には入りやすい雰囲気の店があるのだろう――今日はたまたま出店だが。
そんな所にいい男が舞い込んだら諦めるしか無い。
まぁリデルのことだ、そんな女性達を傷付けること無く、適当に断って逃げ出してくるだろう。
気が付くとレティが難しい顔をしていた。
「どうしたレティ?」
「え、あ、いえ……その……アキトさんも(カッコいいのに)なぜ誰も声を掛けてこないのかと思いまして」
「そりゃ、すでに二人も綺麗どころを連れているんだから、おいそれとは寄ってこれないだろう」
かわいいモモは取り敢えず置いておく。
リゼットとレティの二人は同じような事情を持ち、人と接することが少なかった。
そのせいか自分がどれくらい魅力的なのか分かっていない気がする。
「私、綺麗になりましたか?」
レティのこの質問は何度目だろうか。
どことなく何かを急いでいる、そんな感じを受けるな。
「レティは綺麗になったし、強くなったよ」
「そうですか?!
アキトさん、待っていてくださいね」
別に置いて行ったりはしないが、レティの焦りの要因となっていることが何か分からなかった。
「アキト。
私達はそろそろ将来について考える時期に入ったということです」
将来。
いつまでもみんなと一緒にという思いは当然あるが、現実的ではないことも知っている。
いつかは誰もが誰かと一緒になり、別の道を歩んでいくのは必然だ。
そこには当然ルイーゼやレティ、リゼットも含まれる。
なんだろうこの寂しさは。
娘を嫁に出す父親の気分?
まぁ、考えても詮無いことだ。いつか嫌でも答えが分かるだろう。