初めてのパーティー・中
翌日、俺達は討伐対象の魔物である巨大熊が発見された地点に来ていた。
今いる街道はカシュオンの森の東側を迂回するように作られていて、北に行けばグリモアの町、南に行けば港町ヘレスに行き着く。
右手は街道沿いにずっとカシュオンの森が続いていて、左手は地平線の彼方まで草原が続いている。
この街道は一〇〇メートル程先で森に消えていた。街道が森を迂回するように作られている事が分かる。
この世界では多くの森に魔巣が存在する為、森の中を抜けていく街道は皆無と言って良かった。
草原側はともかく森側は視界の通りも悪く魔物の襲撃を警戒しての移動は神経を使う。
討伐依頼を出したトムリナ村まではあと一時間ほどで着くらしいが、トムリナ村まで行く予定は無い。しばらく歩いたら来た道を戻る形で索敵を続ける事になる。
最後に巨大熊の被害を受けたのは一週間前らしいので、もうこの辺にはいない可能性がある。まずは巨大熊がまだこの辺にいるのか痕跡を探る必要があった。
魔巣と森の関係は解明されていないが、多くの説では魔巣の生み出す魔力が成長を促進する為に自然が発達しやすいと考えられている。
ここで言う自然とは即ち動植物で、動物が魔力の影響を受けて変異したのが魔物だ。
強い魔物は強い魔力を好む為、基本的には魔巣の中心にいる事が多い。
今回の巨大熊は魔物ランクDに当たる強い魔物で、本来であれば魔巣の外周にまで出てくるような魔物では無かった。
この場合の可能性としては別の魔巣に移動する所か、奥まで行った冒険者が引き連れて逃げてきたかだ。
巨大熊の討伐にはパーティーが推奨されている。
冒険者ランクと魔物のランクの関係は、魔物と同ランクの冒険者が適切なパーティー構成で討伐が可能と言う事を示す。
熊髭達は冒険者ランクDの為、ベストな状態であれば討伐可能圏内――だから熊髭も依頼を受けた訳だが――になる。
もちろん奇襲を受けたり準備不足だったりすれば余裕が無いレベルの為、戦闘は回避するべきだ。
ちなみに俺はまだランクFだ。その上、パーティーもリデルと二人。純粋な攻撃役も魔術師もいないし、治癒術が使える仲間もいない。
俺達だけで巨大熊に遭遇したら逃げの一手だろう。
しかし、熊髭の話では見た目以上に素早く凶暴な為、巨大熊に対して逃げるのは悪手にもなりかねないようだ。状況で判断するしか無い。
場合によっては数日掛けてこの辺を探索し、巨大熊の痕跡が発見出来なければ既に移動したか森の奥に戻ったと冒険者ギルドに報告する事になる。
この場合は依頼の失敗では無いが討伐した訳でも無いので報酬は殆ど実費程度らしい。
熊髭達としては可能な限り討伐を目指す予定だ。
もし見つからなかったと冒険者ギルドに報告をした後に、再び巨大熊の被害が出るようだとパーティーの活動としてよろしくなかった。
そういう後のトラブルを回避する為にも討伐してしまうのが無難だ。
見つかる前に見付けるというのは気を遣う困難な作業だった。
慣れない俺は身の隠し方が悪いだとか気配を消せだとか、それが出来たら忍者にでもなれそうな要求を受ける。失敗する都度げんこつが落ちてくるのはどうにかして欲しい。
リデルはと言うと、そつなく熟している。出来ない事や苦手な事はあるのだろうか。
◇
これはなかなか骨の折れる作業だと思っていたが、巨大熊はその直後に見つかった。
俺でも直ぐに分かったくらいだ。
なぜなら、街道が折れて森の影になった先から瓦礫の崩れるような音と共に人や馬の悲鳴が聞こえたからだ。
熊髭達は状況を確認する為に現場に向かう。
俺達もそれに続き、熊髭達が巨大熊を相手している時に寄って来た他の魔物の相手をする手はずだ。流石に俺達が巨大熊との戦闘に参加するのは足手纏いになるからだ。
それよりも周りの警戒をして余計な魔物を退けた方が貢献出来る。
「なんだ、あの魔物は!」
熊髭が戸惑いの声を上げる。他の三人も同意のようだ。
でも俺は何を疑問に思っているのか分からなかった。
巨大熊を見るのは初めてだ。でも巨大と言うくらいだから巨大な熊なのだろう。
俺の記憶ではヒグマの大きいのが立ち姿で三メートルくらいだ。この世界の魔物は俺の知っている動物より大きい傾向があるから四メートルくらいだと想像していた。
目の前にいる巨大熊の大きさは想像よりちょっと大きくて五メートルくらいだが、まぁ誤差の範囲だと思う。
「あれって、大きい方なの?」
熊髭が何に驚いているか念の為確認した。
「でかいなんてもんじゃ無いだろ、予定より二回りはでかい。話が違いすぎるだろ」
「逃げるか?」
何も無理をする必要は無い、死んだら元も子もない。
襲われた人は可哀想だけれど結局他人の事だ、まずは自分が生き残る方を選択する。
「いや、なんとかなるな。
だがこいつは予定外だ、俺達四人でやるから坊主と貴族の坊ちゃんは離れていろ。
俺達の内で誰かが倒れたら構わずに逃げろ、どうせいても役にたたん。
逃げて応援でも呼んでくれた方がマシだ」
ここはベテランの意見を素直に聞く。
なんだかんだ言っても冒険者になってまだ一ヶ月だ。一〇年も続けてきた熊髭の命令を聞いておくのが良いだろう。
「わかった、無理そうなら逃げてね」
俺は念の為に弓を準備してリデルと戦闘域を離れた。
◇
俺達が現場に駆け寄るまでに、巨大熊は腕の一振りで荷馬車を粉砕し、次の一振りで荷馬車に繋がれた二頭の馬を殴り飛ばしていた。
直接殴られた馬は腹の辺りから贓物を撒き散らして吹っ飛び、もう一頭は転げ回って骨折したのか地面でのたうち回っている。
馬車の側には御者だろうか、頭の辺りから血を流して倒れている。とても生きているとは思えない。
その先、壊れた荷車に隠れるようにして男と少女がいた。
男は怯えているようだ。少女はフードをかぶっていてその表情を見る事は出来ないが、体が竦んでいるようだ。
当然だろう。ここしばらく魔物を相手に狩りをしていた俺でもこれは怖い。
隙があれば二人を救い出そうと思ったが、その二人の直ぐ近くにもう一匹の巨大熊が現れた。
二匹目の巨大熊は最初の巨大熊より二回りほど小さい。
ギルドからの討伐依頼が出ていたのはこっちで、熊髭が相手をしている方は予想外の魔物のようだ。
「もう一匹いるのか!」
リデルが状況の悪化を危惧する。
小さいとは言え巨大熊だ、熊髭達が相手をしている巨大熊と合流するのは戦況的に良くない気がする。
ベルモンドの方も最初の巨大熊の相手で手がいっぱいに見えた。
小さな巨大熊をリデルと二人で受け持つか撤退か……熊髭達はとても撤退どころの様子では無かった。
拮抗した戦いの中で背中を見せようものなら一気に戦況が悪い方に傾く。
「アキト、あの巨大熊を合流させる訳には行かない。倒せないまでも、向こうが片付くまでの間こちらに引きつけておこう」
リデルも小さな巨大熊を熊髭達の方に行かせるべきでは無いと考えている用だ。
その間にも小さな巨大熊は荷車に隠れた二人に襲いかかる。
「お、お前が囮になれ!」
荷車に隠れていた男が少女を置いて逃げ出す。
少女も逃げようとしたが突然首を押さえて蹲ってしまった。フードの中の顔が一瞬だけ見えた。幼い……あれは……。
「助けてくれ! 礼はする!」
少女が蹲る間に男が一人でこっちに逃げてくる。
巻き込むなとも言えない。
男はともかく、俺は少女を助けなければいけない。
「あれは!奴隷紋が効いている、彼女は逃げられない!」
リデルが珍しく怒りの声を上げる。
奴隷紋がなんだか分からないが、少女が逃げられないならこっちに注意を引くしか無い。
俺は弓を引き絞り小さな巨大熊の胸を狙い、矢を射る。
的が大きいので矢は外れる事無く小さな巨大熊の背中に刺さった。
しかし遠い、たいしたダメージは与えられないようだ。
それでも気を引く事は出来た。
さらに二回、続けて矢を射る。
胴体を狙った矢は二本とも外す事無く胸と肩の辺りに刺さった。
「グルガアアッ!」
小さな巨大熊は怒りを露わにして目標を俺に変えた。
そして驚くほどの早さで四つん這いからダッシュしてきた。
俺は森の大木に向かって走るが、身を隠す前に追いつかれる。
巨体のわりになんて早さだ。
「はっ!」
横合いからリデルが盾で小さな巨大熊の横面を殴り飛ばす。
狙いを邪魔された事に怒り、今度は狙いをリデルに変えた。
小さな巨大熊の攻撃は、立ち上がって丸太の様な二の腕を振り回す単調な物だ。
しかし、その攻撃をまともに受けると盾ごと吹っ飛ばされる。
単純に質量をぶつけるだけの攻撃でも人間に取っては脅威だ。
その上、指先の爪がやけに鋭い。最初に馬が襲われた時もその爪で肉を引き裂かれていた。
俺達は小さな巨大熊が立ち上がってその両手を振るうタイミングで距離を取る。
どう見ても接近戦をするのは間違いだ。
小さな巨大熊は再び四つん這いからのダッシュで間合いを詰めてくる。
リデルが立ち止まり盾を構えると小さな巨大熊は四つん這いの状態から上半身を起こし、右手を振り下ろす。
リデルは凶牛の右手の力をいなすようにその攻撃を受け流す。
それでも強力な威力を持った爪がリデルの盾をボロボロにしていく。
「アキト!長くは持たない!」
弓では小さな巨大熊に致命傷が与えられそうに無い。魔弾の威力では足止めがせいぜいだろうか。俺は弓を剣に持ち替えて小さな巨大熊の右手に回る。
リデルが小さな巨大熊の攻撃を盾で受けると同時だ。
リデルの盾が砕け散るのが見えたが、俺は小さな巨大熊の伸びきった腕にめがけて、上段から全力で身体強化した一撃を加えた。
その腕を切断するつもりで剣を振り下ろしたが、剣は上腕を半分ほど切り裂き骨に当たって止まった。
ガルアアアッ!
予想外の痛手に小さな巨大熊の攻撃が止まる。
その隙を逃さずリデルが小さな巨大熊の左手に回り、後ろ足に切りつけた。
小さな巨大熊は堪らずに四つん這いになるが、右腕に走る痛みの為か体勢を崩し右肩を地面に付けた。
俺とリデルは小さな巨大熊を挟んで対面する形で、隙を窺う。
小さな巨大熊は右手が使えない為、左手でバランスを取っている。立ち上がるにもリデルの攻撃で足にもダメージを受けていた。
しかし、まさに手負いの獣なのか、小さな巨大熊はさらに攻撃的になっていた。
両手での攻撃が出来ない為、今度は噛みつこうとしてくる。
その都度、俺とリデルは近づいてきた顔を切りつける。
もう無理をする必要は無いと思えなかった。
俺とリデルも攻撃をする事で今の戦況を保っていると感じていた。
確かに俺とリデルは攻撃を食らっていないが、攻撃を食らった時が死ぬ時だと感じている。これほどの強敵と戦う事は無かったけれど、それでも恐怖心が今の状況を維持する事を強いていた。
手負いの小さな巨大熊からでさえ逃げられる気がしなかった。
何度目かの攻撃で右目に攻撃が当たり視界を奪う。
右の視界を奪われた小さな巨大熊は、左目で見えるリデルに攻撃の対象を切り替えるが俺はその隙を見逃さなかった。
幸いにして、と言うか俺は今までの狩りで常に、リデルが作り出す隙を狙って攻撃をしていた。今回も半分は反射的に体が動いていた。
小さな巨大熊のがら空きとなった右首筋に、腕を切り落とした時と同じ上段からの一撃を叩き込む。もちろん身体強化全力だ。
しかし、打点が高い。分厚い筋肉に包まれた首を切り落とす事は出来ない。
それでも動脈を切り裂いたのか、小さな巨大熊は首から大量の血をまき散らし激痛に暴れる。
でもそこまでだ。
隙を逃さず、リデルの剣が小さな巨大熊の心臓に突き刺さっていた。
リデルが守り隙を作る。その隙を俺が狙い撃ち、止めをリデルが刺す。この流れは今までの狩りの主流といえる戦い方その物だった。
小さな巨大熊は大量の出血をし、しばらく暴れていたが、それも三分程で動かなくなった。
「ギリギリだった」
リデルが呟く。
「ギリギリだった」
俺も同じ言葉を返した。
攻撃は全く食らっていないが、一撃食らえば死ぬ可能性もあった事を考えると、楽に勝てたとは言えなかった。
結果的に見れば最初に腕に大怪我を負わせたのが大きい。あそこでしくじっていたら盾を失ったリデルとそれを頼りにしている俺の二人では勝てなかったかもしれない。
「熊髭達は?!」
熊髭はまだ戦っていた。
相手をしている巨大熊は小さな巨大熊に比べてさらに倍近いタフさを誇るようだ。
それでも、攻撃その物は似たような物で二の腕を振り回すだけとなっている。スピードはどちらかというと小さな巨大熊の方が早い気がする。
ただし、その攻撃の威力は比べようも無かった。巨大熊の一撃は直径三〇センチほどの立木をへし折っている。
だが、熊髭とマーカスが上手く巨大熊の攻撃を捌きニコラスの弓とクロイドの魔法でダメージを重ねていた。
そして一際大きな火球がクロイドの頭上に発生し、それが巨大熊に突き刺さると炎にくるまれながら倒れた。
巨大熊が仁王立ち状態から倒れた時は、小さな地震でも起きたのかと思うほどの揺れがあった。
「出来れば毛皮を取るのに丸焼きにはしたくなかったけれど、そんな選択が出来る余裕も無かったので仕方ないですね」
弓のニコラスはちょっと残念そうだが、クロイドの言い分も確かなので何も言わない。
巨大熊の攻撃を前衛として受け持っていた熊髭と槍のマーカスが軽い怪我をしているようだが、大事は無いようだ。
「坊主に貴族の坊ちゃんも良くやってくれた。さすがにそっちの巨大熊に背後を突かれたら全滅していたぜ」
「あぁ、おかげで助かったな」
熊髭と槍のマーカスだ。前衛として巨大熊を相手していただけに焦りも大きかったのだろう。
「牽制だけでも十分助かったのに、まさか二人で倒してしまうとは驚きだな」
「普通駆け出しの冒険者に倒せるような魔物では無いのですけれどね。
偶に視界に入ってくる戦いを見ていた限りでは二人の連携が良く出来ていたようだね」
弓のニコラスとクロイドも驚きが隠せないようだ。
当然だろう、俺達だって驚いているのだから。
倒せなければ俺達が死ぬという、引くに引けない状態に陥っていた事は言わないでおこう。