閑話・バルカス
レンガで囲われた幅二〇メートルほどの鍛錬場に、鉄を打ち合う音が鳴り響く。
その元となるのは鍛錬場の中央で対峙する二人の男だった。
打ち合っては離れ、離れては打ち合う、すでに何度目の攻防になるか、男たちの足元に飛び散る汗で、すでに三〇分を超える時間になろうとは想像が出来た。
一人は二本の剣を持ち、半身から一方を前に、もう一方を後ろに構えている。
一人は剣と盾を持ち、盾を前面に押し出して、剣を中段に構えている。
しっかりと武装した二人の男が隙を窺いつつ攻撃し、あるいは隙を作りつつ攻撃を誘っていた。
そして一度歯車がずれると、そこを攻め立てるように一方的な攻撃が続き、それに合わせて剣戟が激しくなっていく。
戦いも小一時間に届くかという時間、すでにお互い体力も尽き掛ける中でなんとか動いている状態だった。
「バルカス、腕を上げたな。
今ならお前に背中を任せるのも悪く無い」
「悪いが俺にはイベルトの背中を守る趣味はない。別の奴に頼むんだな」
バルカスがゆっくりと間合いを詰め始める。
その様子に今までとは違う何かを感じたイベルトは攻撃の手を止め、防御に回る。
その勘は正しかった。
何処にそれだけの力を残していたのか、今日一番のスピードで間合いを詰めてくるバルカスに、イベルトはその剣を受け止めるので精一杯だった。
だがバルカスはそれが誘いだとばかりに盾を振るう。
普段であれば面での攻撃くらいは防具任せに受け止めるところだが、イベルトはそれを選ばなかった。
再び勘を信じて躱す。
そしてそれもまた正しかった。
盾というよりは鉄槌が通り過ぎるような圧力に、肝を冷やす。
だがバルカスの本命はその後にあった。
後ろに飛ぶように躱したイベルトを追いかけ間合いを詰める。
再び想定を超えるバルカスのスピードに舌を巻きつつ、次の攻撃に備え身を固めたイベルトは、立ち止まっているバルカスを見てフェイントに掛かったことに気付く。
イベルトの足元、地面の土が盛り上がりその足を絡めとる。
「たまには勝たせろ!」
「面白い! やってみろ!」
動きの止まったイベルトにバルカスが詰める。
イベルトはその両手に持つ剣を交差するように足元に振るう。
その一振りで足を絡めとっていた土を粉砕し、迫るバルカスに向けてカウンターで魔法を放つ。
「出鱈目な!」
常人の技ではない。
少し手元が狂えば自分の足を切断することだって有るだろう。
躊躇うことなく実行し、お返しとばかりに魔法を唱えてくる。
一気に片を付けるつもりで飛び出したバルカスが、作戦が崩れたことに逡巡する僅かな隙を突いてイベルトの火弾が襲う。
バルカスは火弾を盾で防ぐ。
しかしそれを受けている間に間合いを詰めたイベルトがその二刀を持って猛攻を仕掛けた。
たまらずに間合いを空けるバルカス、それの動きを読んでいたイベルトが再び火弾を放つ。
火弾は威力こそ小さい魔法だが、無視出来るほどでもない。
そして詠唱時間が短いのもこうした戦いでは有意義だった。
いかに戦いの中で時間を作り魔法を挟めるか、それが強者と言われる世界の常識だった。
その点においてはバルカスよりもイベルトの方が圧倒的に経験豊富であり、その流れになった時点でバルカスに勝ち目はなかった。
◇
「バルカス、俺が遊んでいる間に追いついてきたな」
「負かすつもりだったんだがな」
「イベルト、本当に遊んでいると次は負けるわよ」
鍛錬場で大の字になり横たわる二人の元に、一人の女性が歩み寄る。
「ボールデン男爵夫人ともあろうお方が、このような汗臭い場所に用事があるとはな」
「今はアウラーデよ。
二人の戦いを見ていたら、私も久しぶりに体を動かしてみたくなったわ。
相手をしなさいバルカス」
アウラーデは軽装の防具に身を包み、身長ほどの槍を携えていた。
「おい、イベルト。ご婦人が無茶振りしてくるんだが」
「諦めろ、あいつの性格は知っているだろう」
「さぁ、バルカス。男と寝ているとか趣味が悪いわ」
「そんな品の無い言葉を口にしていると、娘にうつるぞ」
諦めて重い腰を上げるバルカス。
そんな姿を見るアウラーデの表情はどこか昔を懐かしむようでもあった。
◇
時間は遡って前日。
ここはエルドリア王国の中心から東に一週間ほど進んだところにあるミモラの町。
そしていまバルカスがいるのは、その町と周辺を収めるボールデン男爵の屋敷だった。
「ヴァルディス士爵――今は男爵だったな。
改めて礼を言う、よく救い出してくれた。おかげで俺も役を果たせた」
「良いさ、ちょっとした知り合いでもあったしな。
あいつらは見ていると面白い。昔を思い出すよ」
「あら、私達が冒険者だったのはそれ程昔のことだったかしら」
夫人手ずから入れられた紅茶を片手に、イベルト――ボールデン男爵が王国騎士救出作戦の結果報告を受けていたところだ。
「いじめるなよ。
俺の娘もすでに一二歳だ。一昔と言うくらいには時間も過ぎただろう」
「そうね。カトアは元気かしら?」
「元気過ぎて、未だに尻を叩かれているよ。
なんなら俺よりあいつの相手をしてやって欲しいくらいだ」
「バルカスにはそれくらいが丁度良いのよ」
扉をノックする音に続いて、扉越しに声が聞こえる。
「お父様、エニスとクリスです」
「入れ」
入ってきたのは、母親譲りの銀の髪を持つエニスと、父親譲りの金の髪を持つクリスだった。
「お久しぶりです、バルカスさん」
「バルカスさん、いらっしゃいませ」
二人はスカートをつまんで軽く持ち上げ、腰を折ってあいさつをする。
「二人共元気そうでなによりだ。
来年から王都学園に通うそうだな」
「はい。王都トリスティアはまだ慣れていませんので、ご案内くださいね」
「俺より若い奴らを紹介してやる。
未来のボールデン男爵候補なら王都学園に一杯いるからな」
「バルカス、まだ早い」
「いえ。あなた、もう遅いくらいですよ。
一五歳にもなって婚約者の一人もいないようでは社交界でも笑われてしまいます」
「しかし――」
「お父様。私達もそろそろ、そうしたお話がないのは不安です」
「イベルト、流石に子煩悩すぎるだろ」
「良く言う。ならお前のところの娘にいい男を紹介してやろうか?」
「バカ言え、うちのはそれこそまだ早い」
「二人共、女を不幸にするのだけは止めてよね」
アウラーデが呆れた顔をする横で、二人の少女は未来の出会いを楽しみにしていた。
◇
「あ、お父さんおかえりなさい」
「ただいま。カトア、セリア」
「バルカス、早かったわね。イベルトとアウラーデは元気だった?」
「俺より元気で困るくらいだ。
今度行くときは一緒に行ってアウラーデの相手をしてやってくれ」
「それは楽しみね」
あれから二週間。
一通りの報告を終えて王都に帰ってきたバルカスは、一ヶ月ぶりの我が家で、一ヶ月ぶりの家族の顔をみる。
「お父さん、騎士様が来て手紙を置いて行ったよー」
「気持ちは決まったの?
私なら平気よ。前みたいに子供じゃないから、多少のやっかみや蔑み程度で壊れたりしないわ」
昔、冒険者だった頃にはなんの不安もなかった。
だが家族を持ってからのバルカスは、王都学園の講師を止めて復帰した冒険者稼業に本腰を入れられなかった。
どんなに気を付けていようと常にリスクはつきまとうのが冒険者だ。
だから、家族を残して魔物を狩りに出るのはいつも気が重かった。
国の為に戦うというほど高尚な気持ちがあるわけじゃないが、家族の為に戦うのだと思えば騎士という道も悪くない。
バルカスはセリアを呼び寄せると、久しぶりに抱きあげる。
「お父さん?!
私、もう子供じゃないんだから!」
「確かにもう、子供じゃないな」
少し怒ったような言葉とは裏腹に、セリアの表情には笑みが浮かんでいる。
「カトア、話を受けることにする」
「はい、あなた」
バルカスが冒険者として旅に出る事はもう無い。
だが、それは遅かれ早かれやってくる事だ。
冒険者の平均年齢は魔術師を除くと三〇歳前後と言われている。
多くは三〇代で別の道に進み、四〇代で続けているのはほんの一握りだ。
それも五体満足で別の道を進める者も多くはない。
そう考えればバルカスに訪れた転機は丁度良かったのだろう。
セリアを抱き上げるバルカスの背にカトアが寄り添い、一人の男の戦いが終わったのを労う。