異世界転移魔法
世界線を越えて意思を伝える魔法石。
全てはこの魔法石を見付けた時から始まった。
◇
俺は結城彰人、十五歳。誕生日を迎え、春休みが明ければ高校生だ。
今は弟に「ちょっと異世界に行ってくる」と告げ、忙しなく準備をしている。
準備とは言っても持ち込める物は何もないので、身の回りを片付け、リラックス出来るように自分のベッドに横になったくらいだが。
これから、ボッチなお嬢様――もといリゼットの友達になる為、そして今の境遇から助ける為に世界を渡る。
正しくはリーゼロット・エルヴィス・フォン・ウェンハイム辺境伯爵令嬢。
リゼットは正当な貴族の血を引きながらも黒い髪を持つ事で忌み嫌われ、爵位継承権を持つ事で命を狙われた。
忌み嫌われる理由。それは、これから向かう世界で災厄をもたらした魔人の髪の色が黒かったからだという。
俺からすれば些細な事と思えるが、それは他人事だからだろう。
リゼットの住む国の貴族は、その魔人を打ち倒した勇者の末裔に当たるらしい。
その正統なる後継者の髪が黒い事は、貴族にとって禁忌とされていた。
それでも法は法。
ウェンハイム家の長女として生まれたリゼットには第二位の爵位継承権があった。
結果として、それを快く思わない者により命を狙われる。
リゼットの父親はそれに気付いてか、リゼットを遠くリザナン東部都市の別邸に軟禁する事で守っているつもりになっていた。
確かに命の危険は減ったかもしれない。でも、それでは心が死んでしまう。
俺もどうかしている。会った事も無い、ましてや異なる世界に住むリゼットの事を助けたいと思うなんて。
ただ、リゼットがどうなったかを思い続けながら生きていく事が出来なかった。
◇
俺は最後に自分の気持ちを確かめ、準備が出来たことをリゼットに伝える。
『本当によろしいのですか』
リゼットの言葉が念波転送石を通じて俺の意識に伝わってくる。
「リゼット、始めてくれ」
『わかりました。異世界転移魔法を開始します……』
俺はこれから異世界転移魔法により、軟禁されているリゼットに会いにいく。
何が出来るかは分からないが、いつまでもボッチでは可哀想だ。
まずは初めての友達になろう。
◇
天から光が差すような演出も、足下に魔法陣が発生するような演出も、激しい爆発に見舞われるような演出も、特になんの前触れも無くそれは起こった。
体中が痛むと言うより細胞の一つ一つが引き離され分解されていくような、全身に走る電気的な痛みで意識が遠のき、再び痛みで覚醒する。
耐える事すら許されない痛みが続き、死ぬのだろうかと朧気な意識の中で覚悟した瞬間――
突然の浮遊感と共に全身を襲っていた痛みが消えた。
時間の感覚が全くない。一秒とも一年とも思えるような曖昧な時間と空間の中で自分の意識だけを感じていた。
俺は死んだのだろうか。
周りには何も無い、色も感じなかった。
暗いでも無く、明るいでも無く、何も存在しない。
この感覚はなんだろう。
自分自身がエネルギー体のような感覚だ。
意識だけがそこに存在し、肉体の感覚が全くなかった。
魔法は成功したのだろうか、それとも失敗して俺はこの世界で彷徨っているのだろうか、不安と焦りで思考が定まらない。
リゼットは言っていた。念波転送石が相互位置を繋ぐと。
念波転送石はどこだ?
肉体が無いのだから念波転送石も無いと思えた。
そもそも念波転送石は元の世界に残るはずだ。
俺が帰る為に必要な物で有り、家族と連絡が取れる唯一の手段だ。
今ここにあるのはむしろおかしい、無くて良いはずだ。
しかし、リゼットは手放すなと言っていた。
あの痛みの中で手放してしまったとも考えられるが、その結果は意味が無いので今も自分は持っていると仮定する。
そう、俺は念波転送石を持っている何があっても手放したりしていない、くそっこんな事なら食べてしまえば良かった。それなら無くさないだろう。
いや、それでも肉体が無いなら同じか。
やっぱり俺は持っている……必ず持っている……世界を繋ぐたった一つの道だ、手放すはずが無い絶対に持っている、俺は持っている!
何も無い空間に青く光る蛍の様な光が見えた。念波転送石から零れる光と同じだ。
俺は見覚えのあるその光に意識を向ける。
そして光はどんどん強まっていく。
光源は小さいのに目を閉じてなお、眩しさに意識が飛びそうになる。
光の奔流、その流れの中で眩しかった光が次第に収束していく。
光が失われると、意識だけだった俺に肉体の感覚が蘇えってきた。
同時に、最初と同じ強烈な痛みが全身を貫く。
うぐ……っ! ……ごはっ! ……がは……っ!
霞む意識の中、最初と違う点が一つだけあった。
肉体に宿る新たなエネルギーを感じる。
苦痛の中でこれが魔力だと自然に認識できた。
今なら自分の意識でこの力を制御出来る気がする。
それこそ、息をするのと同じように。
魔法はリゼットに習っている。
元の世界にいた時に、魔法を使いたくて色々聞いたし、試していた。
結局、理由が分からないが使えなかった。
でも今なら分かる。
元の世界には魔力その物が無いんだ。
魔力のあるこの世界なら回復魔法も使えるだろう。
少しでもこの苦痛が癒やされるなら癒やしたい。
ぐぐ……が……あああぁあ……っ!
俺は藁にも縋る思いで回復魔法を使った。しかし効果は現れない。
魔法に失敗したのか成功したけど意味が無かったのかも分からない。
がはっ!
浮遊感が薄れ、逆に体を押しつぶすような重圧に肺の空気が漏れ出し呻き声を上げる。
しばらくして、体を襲っていた重圧が薄れると、次第に意識もはっきりしてきた。
「ハァ、ハァ、ハァ……うぐっ!」
空気が濃い。
濃密な何かが空気に混ざっている感じで、息が上手く出来なかった。
水の中じゃ無いのに溺れそうだ。
「がはっ……ごほっ! う、が……」
駄目だ、本当に溺れる。空気をくれ!
そもそも水の中じゃ無いのに、俺は何に溺れそうになっているんだ。
「ハァー、ハァー、ハァ」
息が落ち着き、状況を理解する余裕が出てくると、自分の体に違和感があった。
服を着ていないのか……そうか、服は転移出来ないんだった。
俯せで倒れていたようだ。
仰向けに体を起こすと満天の星空と、星空に浮かぶ月が見えた。
この世界にも月があるのか。
俺の世界よりかなり大きくて青白いけど。
あれ? 何で外にいるんだ? というかリゼットはどこだ?
リゼットの所へ現れるはずだが、ここは外だ。
リゼットは外で異世界転移魔法を使ったのか。
「うっ!」
不意に強烈な腐敗臭が襲ってきた。
俺はその場を離れようと立ち上がり、何かに躓いて転んだ。
その何かに目を向け、そして後悔する。
見るんじゃなかった。
腐敗臭とか原因になる物は大体決まっているだろ。
淡い月の光に照らさせ、早速視界に入ってきたのは、いくつかある原因の内最悪な状況だった。
一目で分かる惨状。
人が沢山死んでいた。
生きている人がいるかもしれないという希望的観測すら出てこないほどの惨状だ。
ただ死んでいるわけでなく喰われたような……いや喰われたとしか言いようがないほど死体は損傷していた。
苦い物がこみ上げ、四つん這いになり吐いた。
何が何だか分からない。
今頃はリゼットの部屋でお茶でも飲みながら、二人で元の世界に戻る方法を実験しているはずだった。
それがどうしてこうなった?
何で人の死体なんか見ている。
元の世界にいたって、人は良く死んでいた。
病気や事故、事件に巻き込まれて死ぬ人。
ニュースでは毎日戦争の話が流れ、何人もの人が亡くなっていると報道している。
自分では人の死は日常だと考えていた。
だから、リゼットから戦争や魔物の話を聞いた時も、その危険に対して死のイメージが軽かった。
これは違う。
弱い物はただ死ぬ。喰われて死ぬ。そういう世界だ。
そして俺はどう考えても弱い。
?!
獣の遠吠えが聞こえた。
犬じゃないとしか分からないが、それほど遠くもない。
俺の脳裏に目の前の惨状に自分が加わる姿が思い浮かぶ。
気が付くと体中が震えていた。
落ち着けと考えても体は意思に反して震えている。
誰もいない、何も持っていない。
どうすれば死なないで済む?
何でこんな事に……いや、それは後回しだ。
何でじゃ無くて、どうする。
取り敢えずすべき事は生き延びてリゼットに合う事だ。
その為に来たんだし、それ以外に状況を理解する手段が分からない。
そもそもリゼットは無事なのか。
まさかここにいないだろうな。
ざっと見た感じでは、女の子らしい死体は無い。
少しだけホッとした。
?!
再び獣の遠吠えが聞こえた。
武器……そうだ、まずは武器になりそうな物を探すんだ。
俺は吐きながら何体かの死体を漁り、武器と服、それから小物類におそらく貨幣と思える物を集めた。
防具は痛みが激しく使い物にならなそうだったので諦める。
武器は剣だ。刃渡り六〇センチくらいで両刃だった。
改めてこの世界が俺の住んでいた世界とは、少なくても日本とは違うと感じる。
マンガかゲームの世界だ……。
最後に細々とした荷物をまとめ、布に包む。
何に使う物か分からない物も多いが、分別は後ですれば良い。
今はここに長居をしたくなかった。
どっちに進めばいい?
四方は森で囲まれている。
遠吠えがした方にだけは行きたくない。
後は位置関係が分からない以上どっちへ行っても同じか……水の音?
近くで川の流れる音が聞こえた。
とにかく森の中にいるのはまずい。
俺は音を頼りに進み、川辺にたどり着く。
川は幅二〇メートルくらいで比較的流れは穏やかで、向こう岸も森が続いているのが見える。
俺は川沿いをさかのぼり、とにかく遠吠えから離れる事にした。
しばらく歩いた所で、さっきかき集めた服を洗う。
流石に洗わずに着られるような状態じゃなかった。
元の世界よりは暖かいがそれでも冷える。
どれくらいで夜が明けるだろうか。
火を起こすのは危険か?
でも火があれば獣も警戒して寄ってこないかもしれない。
もしかしたらおびき寄せてしまう可能性もあるが、最悪火は武器になるだろう。
どうやって火を起こす?
集めた荷物の中にざらついた鉄製の箸みたいな物があった。
強く擦り合わせると火花が飛んだので、枯れ葉を集めて火を起こそうとしたが、上手く火が付かない。
火花が飛ぶだけで枯れ葉に燃え移らなかった。
もっと燃えやすい物じゃないと駄目なのか。
リゼットは無事だろうか。
結局、不安と寒さに凍えて、眠れたのは疲れ切った朝方だった。