月からの使者
マイケルは自室に入ると大きな溜息を吐いて、ベッドに腰掛けた。
バルコニーに続く大窓は、肩翼が開け放たれ、青白い月明かりと共に、夜風はカーテンをそよがせて流れていた。
それは長旅を終えた体に心地好く、マイケルは今にも眠ってしまいそうだった。
「疲れているのだろうか……」
マイケルは未だに祭祀服を着ていたことに気付き、ナイトガウンに着替えると、眠りに就くため、ベッドに潜り込んだ。
突然、強い風が大窓から吹き抜け、窓が大きな音とともに開いた。
マイケルは飛び起きると、大窓を閉めに向かった。
しかし、窓を閉めるのも忘れ、取っ手を手にかけたまま、マイケルは立ち尽くした。
今まで誰もいなかったはずのバルコニーに幼い少女が二人、金の髪を揺らしながら手を繋いで立っていたのだ。
右には瞳の赤い幼女。
左の幼女は蒼い瞳をしており、それ以外の容姿は二人ともそっくり同じだった。
「誰だ、お前たちは!?」
二人の幼女はマイケルの叫びも気にせずに、彼に歩み寄って、
「我が名はムーン」
「我が名はルナ」
「「二つの月を守る者」」
と声を合わせた。
「二つの……月……?」
マイケルはとっさに窓の外を見やった。
が、月は半月で一つしか浮かんでいない。戯言と思い二人を睨もうと視線を戻すと、ムーンと名乗った紅い目の幼女は右手で、マイケルを指さした。
マイケルはその指に吸い寄せられるような感覚を覚えた。
「今宵、闇より現れる紅の月。ヴェルダンディの約束の星」
「捧げよ、落とし子。月の子供を」
マイケルは頭を横に振って、視線をしっかりと自分のものに取り戻してから、今度はルナの方へと視線を映して、怪訝そうな表情をした。
「月の……子供……?」
「すでにお前の許へやって来ている。時満ちる迄に贄を捧げよ」
「月の子供の為に」
そしてマイケルははっとする。
遂に来たのか、と。
「……では……お前たちが……伝え継がれてきた、月の女神……。私の子供……あの……ケヴィンを連れていく……」
マイケルはよろめいた。
しかし、そんな彼を気にもせず、ムーンとルナは畳みかける。
「これは遠い日からの契約」
「果たされねばならない。繁栄と引換の代償」
「何故今なのだ!?」
〝翼痣〟。
それは背中に刻まれた約束の証。
それを目にした瞬間のことをマイケルは今でも鮮明に覚えている。
彼が赤子を、生まれたての子供を抱いたのは、あの日が初めてだった。
シルクやマリアのときには生まれたことを素直に喜ぶのは難しかったからだ。
特にシルクはヴェルダンディの運命を一挙に背負わせねばならない子供だったことで、喜びよりも憐みの念しかなかった。
そうして生まれた息子はやはり、唯一であっただろう親友を失った。
だからこそ、ヴェルダンディの外で生まれた子はその運命の輪から逃れられる唯一の存在で、希望だったのだ。
せめて、せめて、と。
そして生まれたケヴィン。
喜びに満ち溢れた瞬間だった。
これが命の重さか、と。
しかし、その命を感じた直後にやってくる途方もない絶望。
ヴェルダンディの魔の手は家の外にも及んでいた無情な現実。
だが、それでも、とうの昔に折れていただろう自分が今ここに立っているのは、メリッサという支えがあったからこそだ。
その彼女ももういなくなってしまったけれど。
だからせめて、〝翼痣〟が現実化しても、この二人にはやって来ないでほしいと思っていた。
「何故我が子が!?」
「それは我らが決めしことに非ず」
ムーンは首を横に振った。
そしてルナが続ける。
「世界が動いた。終焉と、始まりの為に」
「世界を終わらせる為に、ヴェルダンディ家はあったというのか!?」
二人の肩を掴み揺さ振るマイケル。
しかし二人は動じることなく、無感情にマイケルを見つめて話す。
「役目を担う者はいつの世も世界の在り様を知るもの」
「終わらせる為のものなどない。世界は常にまわっているのだ。生と死、始まりと終わり。これは至極当然のこと」
「当然!? これほどの理不尽があるか! 太古の昔に交わされた契約など、我らにとっては何の意味もない!」
マイケルは怒りに打ち震え、二人を突き飛ばそうとするが、二人はよけて、空中に浮遊し旋回した。
「だがそれは語り継がれた」
「契約は受け継がれた。契約の恩恵を受けた以上、そなたには果たすべき責務がある」
「しかし、果たすのは私自身ではない! 娘は何も知らぬまま、生き続けるのだ! これを知ったとき、あの子はどうなる!?」
マイケルは叫んだ。
二人は旋回を止め、バルコニーへとその身を泳がせながら言った。
「……〝ヒト〟の感情など知らぬ」
「我らは見届けるのみ」
マイケルは二人を追いかけた。
時折捕まえようと手を伸ばすが、二人は巧みにそれを交わしながら、足先からだんだんと姿を消していった。
そして遂に姿全てが溶けるように消えると、声だけが木霊してマイケルの耳に響いた。
「今代当主、マイケル・ヴェルダンディ」
「贄を捧げ、魔王の落とし子を目覚めさせよ。これは契約。破棄すること、能わず」
「まてっ! ま……」
バルコニーへ出たマイケルは息を呑んだ。バルコニー全体が紫色に染まっているのに気が付いたからだ。
「な……何だ……これは……!?」
――今宵、闇より現れる紅の月。ヴェルダンディの約束の星。
ムーンの言葉を思い出し、マイケルはハッと空を見上げる。
そこには先ほどと同じように青白い半月が浮かんでいた。
しかし、その隣にシンメトリーのようにして輝く、別の半月も浮かんでいるのを見て、マイケルは柵の前へふらふらと歩き、力なくその場にへたり込んだ。
「……メリッサ……私は……!」
マイケルは頭を抱えた。
頭上で煌々と輝く半月が、絶望の色を世界に満ち溢れさせていた。
その日、世界中の月は二つになった。
ムーン(7:外見年齢)
突如現れる双子の幼児の片割れ。赤い目。
ルナ(7:外見年齢)
突如現れる双子の幼児の片割れ。蒼い目。
二つ目の月、出現。