エルダの忌々しい朝
「お父様が今日帰っていらっしゃいます」
エルダは自分の呼び出しに応じてやってきた息子と娘マリアに、長らく布教活動で留守にしていたマイケルの帰還を告げた。
マリアは彼女と同様に薄化粧をして淑女の佇まいをしていたが、ポプラの葉を肩に乗せたままやってきたシルクを見ると、エルダは微かに眉を顰めた。
シルクはそれに気づいて葉を取ったものの、悪びれもしない。
ところがマリアはそんなことに気付かず、
「本当ですの、お母様! マリア、お父様にお話ししたいことが山ほどありますのよ!」
と父の帰還を喜んだ。
「でもお珍しいですこと。お父様がお帰りのご一報を下さるなんて!」
「えぇ。事が事でしたからね」
「……? 何か……あったのか?」
エルダはシルクを見咎めた。シルクはエルダから視線を逸らすと、何かあったんですか、と言い直した。
面倒くさそうに。
「え? お父様、お怪我でもなさったの? ねぇ、お母様!」
「落ち着きなさい、マリアさん。淑女たるもの、いつ何時も冷静でいるものです」
そういうエルダの手元には、ぐしゃぐしゃになったハンカチが握られている。
シルクが笑いをこらえているのに気付くと、彼女は咳払いをして言った。
「シルクさん。貴方、我が家に伝えられている詩、暗唱していただけます?」
「は? 何を急に……」
「いいから、言って御覧なさい」
「詩って……あの経典の最初にあるヤツ?」
「そうです。早く」
「分かったよ、言えばいいんでしょ。言いますよ」
そうしてシルクは諳んじた。
バートラード経典に記載され、教会に連れて行かれた日、父に覚えさせられた忌まわしい記憶を呼び起こしながら。
『月夜の晩にそれは来る
お前の望みと引換に
月夜の晩にそれは来る
赤子の背に証を示す
月夜の晩にそれは来る
魔の王捧げよ満月夜に』
「これがどうかしたのか……したんですか」
言い直したシルクをマリアは横でクスクスと笑った。
シルクは睨み返したが、マリアは気に留める様子もない。
「その赤子が見つかりました」
しかしエルダのその言葉に、マリアの笑いも止まった。
「……お母様? 今……なんて仰いまして?」
「詩の中にある証を背にした赤子が生まれた、と言いました」
「何言ってんだ。あんたが妊娠したわけでもあるまい……え?」
シルクは目を見開いた。
「まさか……」
「お兄様? マリアにも分かるように説明してくださいな!」
「正しくは既に生まれていた、というべきですが」
エルダの手元は小刻みに揺れている。
「翼痣を持った娘を連れて帰る。それがお父様からの伝言です」
ハンカチは更なる皺を帯びた。
エルダ・ヴェルダンディ(42)
ヴェルダンディ家当主の妻。家系を重んじる貴族的考えの持ち主。
マリア・ヴェルダンディ(16)
ベルダンディ家長女。シルクの妹。
主人公がまだ。