3話
あれから三日があっという間に経った。時刻はお昼を過ぎた頃。ジャックは昼時が過ぎて閑散としているリリシアの食堂でマジーナがやってくるのを待っていた。
「だ、大丈夫なんだべかジャックぅ」
自分のせいでこんなことになってしまったと責任を感じていたタゴサックも勝負の行く末を見守るために食堂へやってきていた。
「大丈夫だ。だからもう少しドシッと構えたらどうだ。デカい図体が泣いているぞ」
「んでも向こうの持ってくんるのは王都でも人気の特級ポークっていうすんごい豚肉なんだべよ。それにそんためにこっちもオークを狩んらなきゃいけないのに全く狩ってないべ」
「心配ない。肉ならもう用意してある」
「えっ?」
困惑するタゴサック。
向こうは王都でも人気がある豚肉だというのにこの三日間それに対抗するどころか何もしていなかったのに肉を用意してあるという。
タゴサックはこの三日間ジャックと一緒にカナイの森に入って行ったがオークを一度も狩ってはいなかったのを知っている。
それならどうやってオーク肉を用意したのだろうか?
そしてそれは王都で人気の特級ポークを上回るものなのか?
タゴサックは次々と疑問が浮かぶが、質問する前にドアの鐘がカランコローンと鳴り響いた。
「ふふん。待たせたな」
マジーナが胸をそらし自信に溢れた表情で店内に入って来た。貴族だというのに以前と同じようにお供をつけずに一人で来たようだ。そしてその手には紙に包まれた物体がある。おそらくあの紙包みの中に特級ポークがあるのだろう。
「どうやら逃げずに来たみたいだな」
ジャックはどこか感心したように呟く。
貴族がわざわざ転移魔法陣のないこんな田舎にある村まで二度も足を運んでくるなんて珍しいことだ。めんどくさくなってそのまま来ない可能性も予想していた。来ないなら来ないでジャックとしては特に気にすることではなかったが。
「当然だ。誇りある貴族が約束を違えるわけがないだろう」
「そうか。で、ちゃんと肉を持参してきたんだろうな」
「もちろんだ」
そう言ってマジーナは手に持っていた肉の包をカウンターに乗せる。
「今朝さばいたばかりの新鮮な特級ポークを超特急便で送ってもらったんだぞ。これならば勝敗などやる前から決定したも同然だな」
「やれやれ」
自慢げに特級ポークを語るマジーナにジャックがあきれる。
「むむむ! 何がおかしい」
「おかしいも何もお前は典型的な王都の人間だなって思ってな」
「どういうことだ」
「自分で考えな。それよりも勝負を始めるぞ」
ジャックは文句の言いたそうなマジーナを無視して話を進める。
「ふんっ! まあいい」
マジーナも相手が負け惜しみを言ってるのだと思い気持ちを勝負へと切り替える。
「それで、勝負とやらはどうするつもりだ」
「別に特別なことはしない。これからリリシアにポークソテーを作ってもらう」
「ポークソテーだと?」
「ああ。豚肉本来の味を比べるのならポークソテーが一番いいだろ」
「なるほど。焼くだけのシンプルな料理だからこそ肉本来の旨味をダイレクトに味わうことができるということか」
「そういうことだ」
「なら念のために不正がないか調理過程を見せてもらうぞ。オーク肉と言って違う肉を出される可能性だってあるからな」
「だとよ。問題あるかリリシア」
マジーナの意見にジャックは料理人であるリリシアに同意を求める。料理中の姿を見せると言うことは調理技術を見せるということだ。さすがにジャックの独断で許可することはできない。
「かまやしないよ」
壁に背を預け腕を組んで会話を聞いていたリリシアはあっさりと許可を出す。リリシアとしては料理中の姿を見て技術を盗めるのなら盗めばいいという考えなので調理中の姿を見られても気にはしていない。おまけにポークソテーなら特別な調理技術よりも焼き具合を見るセンスの方が大事だ。
ジャックはそのことを知っていたが一応料理人に対する礼儀と言うことで聞いたのだ。
「ついてきな」
ということで許可を得た一同はリリシアに連れられて厨房へと向かう。
「むむむ! これは魔石を使ったコンロじゃないか。それも火加減の微調整が可能なやつではないか」
厨房に入るなりマジーナがコンロを見て驚きの声をあげる。
マジーナが驚いたコンロは魔石を使い火を起こすだけでなく細かな火力調整ができる高価な魔導機で王都でも有名な料理屋か貴族お抱えの料理人が使うものでとても田舎の食堂にあるようなものではない。
他にも王都でも一流の料理人が使うような調理器具が揃っており田舎の食堂の割には機能が充実していた。おまけに食事を作る場所とあって目立った汚れもなく清潔に保ってあった。
「ふーむ、腐っても料理人というわけか」
見事な厨房にマジーナは感心する。
「……」
一方のリリシアは「腐っても」という言葉に若干反応するが突っ込みはしない。なぜならリリシアはまだ二〇代後半。まだまだ鮮度はいいはずなのだから。
「さて、調理を頼む」
ジャックは懐から肉の入った紙包みを取り出すとリリシアに渡す。
「え?」
それを見てタゴサックが驚きの表情を浮かべる。いったいどこで仕入れた肉なのだろうか?
「何を驚いてんだタゴサック。これはお前が狩ったオークだぞ」
「おらが?」
「ちょうど三日前に出会った時に狩ってただろ。この肉はそのオークの肉だ」
「あっ」
タゴサックも言われて思い出す。ジャックと出会った時にオークを狩っていたことを。
「でんも……」
その肉じゃマジーナの持ってきた肉には勝てないと思ったタゴサックだったが、それを言う前にマジーナが勝利を確信した笑みを浮かべる。
「まさか三日前の肉を使うなんて勝負を諦めたか。オークすらまともに狩れないなんてやっぱ美食ハンターは噂通りダメダメなんだな。だからといって勝負は見逃さないけどね」
マジーナはそう言ってリリシアに特級ポークを渡す。
「それじゃあやろうかね」
肉を受け取ったリリシアはさっそく調理を開始する。
しかし調理と言ってもポークソテーはそこまで複雑な工程があるわけじゃない。
二人が持ってきた部位は肩ロース。それを二センチほどの厚さに切り、焼いた時にそり返らないように筋に軽く切れ込みを入れる。それから塩コショウで下味をつけて肉汁が逃げ出さないように小麦粉をまぶして焼くだけのシンプルな調理法だ。だからこそ料理人の腕と素材の良し悪しががわかるともいえる。
リリシアはジャックの用意したオーク肉とマジーナが用意した特級ポークを二つのフライパンで同時に焼いていく。
「……」
リリシアの表情は真剣で肉の多少の変化すら見逃さないといわんばかりに焼ける肉を見ている。
「よっと」
リリシアは特級ポークを裏返すとそれから数秒遅れてオーク肉をひっくり返す。肉によって火の通りに若干の違いが出るのだが、それを読みきりちょうどいいタイミングで裏返すリリシア。
「……ごくり」
ジューという肉の焼ける香ばしい匂いが食欲をそそり誰かがツバを飲む音が聞こえてきた。
そして両面を焼きこんがりと焼き色がついてくるとリリシアは焼き具合を見極めてそれぞれ皿に乗せていく。いつもならここで特製のソースをかけたり盛り付けを行うのだが今回は肉本来の味を比べるため余計な味付けはしない。
「こっちがあんたの持ってきた肉でこっちがオーク肉だよ」
そう言ってリリシアはマジーナの目の前に二つの皿を並べる。
「むむむ、どちらもパッと見た限りあまり違いがないな」
並べられたポークソテーを見てマジーナはそんな感想をこぼす。
どちらも焦げ目といい焼き具合といい文句のつけられないほど完璧な仕上がりで見た目には差異がない。手を抜いている様子もなく傍から調理過程を見ていたが特に不正をしたところも見えなかった。となると調理には問題はない。
「ではさっそく味を比べるか。まあ結果は目に見えているがな。まずは食べ慣れている特級ポークからだ」
と言ってマジーナはナイフとフォークを使って一口サイズに切り分ける。その姿はさすが貴族――それも伯爵家の人間というだけあって様になっており育ちの良さが感じられた。
そしてマジーナは一口サイズに切った特級ポークを口に運ぶのだが……。
「んっ!」
特級ポークを口に運んだマジーナは表情を一変させる。
「うっへっ! な、なんだこれは! 不味い。不味すぎる! 肉の味は最悪だし臭味もキツくて食感はゴムを噛んでるみたいだ。これは本当に特級ポークなのか!」
普段王都で食べなれている特級ポークとの味の違いに勝負のことなど忘れて驚くマジーナ。
もし目の前で調理過程を見ていなかったら違う肉を使ったのだと訴えていたところだ。だがあいにく肉は間違いなくマジーナが持ってきた特級ポークで間違いない。作り方も特に問題もなかった。
だというのに不味い。
「だろうな」
ジャックは始めからマジーナのリアクションを予想したようでマジーナの反応を見て驚いた素振りは見せない。その代わりにタゴサックは状況がよくわからず驚いている。
「だろうなだと? どういうことだ」
ジャックの反応に疑問を抱いたマジーナが問い詰める。
「別にどうもこうもない。これが特級ポーク本来の味だったってことだ」
「本来の味だと?」
「そうだ。特級ポークってのはクソ不味いんだよ。食えたもんじゃないほどにな」
「特級ポークがまずいだと?」
ジャックの発言に訝しがるマジーナ。
「何おかしなことを言ってる。特級ポークは国が発表している肉の格付で特級を与えられたものなんだぞ。それがまずいわけが無いだろう」
マジーナの言う肉の格付とは、肉の霜降り度合、肉の色と光沢、肉のしまりとキメ、脂肪の質などといった観点から格付される。
そして特級ポークはその名の通り肉の格付で特級という等級を与えられている。マジーナからしてみれば特級という称号を国から与えられているそれが不味いというのが腑に落ちない。
「お前はその特級って言葉に騙されてるんだよ」
「騙されてるだと?」
「確かにお前の言う通りどの肉も国が一級から五級に格付する。だが特級ポークだけがその等級から外され特級という格付を与えられている」
「ならそれだけすごいってことじゃないのか」
「違うな。この特級てのは特殊な肉って意味なんだよ」
「んん?」
ジャックの説明にマジーナは理解できず訝しそうに首を傾げる。ジャックはそれを見てため息を吐きながら補足する。
「いいか、特級ポークってのはとある錬生術師が生み出した人口生命体だ」
「人口生命体だと」
人口生命体。それは人の手で人為的に作りだした生物のことだ。マジーナもそういった研究が行われているという噂は知っていたが眉唾だと思い本当に作られているとは予想だにしていなかった。ましてやそれが今まで自分が食べていた肉になど。
「そうだ。特級ポークは生まれて三日で大人ぐらいの大きさまで急成長するんだ。おまけに作るのは簡単ときている。豚一匹育てる手間と費用を考えたら断然安上がりに済む。だがその代わり味は最悪だけどな」
「いや待て。そんな嘘に騙されないぞ。王都で食べた特級ポークは普通に美味かったぞ。ポークソテーだってこんなゴム長靴みたいな感じではなかった」
マジーナは王都で食べてきた特級ポークを思い出し反論する。
「そりゃあそうだろうな。王都で食う場合はこいつを使われているからな」
と言ってジャックは懐から小瓶を取り出しテーブルに乗せる。
「なんだそれは?」
「こいつは魔法調味料なんて呼ばれるマジックフレーバーだ」
「まじっくふれーばー?」
マジーナがなんだそれはと言う目でジャックを見る。
「こいつは食材に振りかければどんなにクソ不味いもんだろうとたちどころに極上の一品に仕上げてくれる代物だ」
「そいつはすごいな! さっそく試してみよう」
そう言うとマジーナはマジックフレーバーを特級ポークに振りかける。
「むむむ。あんまり見た目は変わらないようだが……」
疑わしそうにポークソテーを口に運ぶマジーナ。そして……。
「おお! これだ!」
ポークソテーを咀嚼するとマジーナが目を見開いて叫ぶ。
噛めば噛むほど感じる肉のジューシーな味わい。溢れだす肉汁。
「これが王都で食べていた特級ポークの味だ。さっきとは全然味が違うぞ」
「おい、そいつをあまり食べすぎるなよ」
ジャックは二口目を食べようとするマジーナを止める。止められたマジーナは何故だと言う目でジャックを見る。
「そいつはどんなにクソ不味いものでも極上の一品に早変わりするがそれはただ単に脳を強烈な幻覚で誤魔化しているにすぎない。摂取しすぎれば危険だぞ」
「へっ?」
呆然とするマジーナ。
「ば、バカな。そんな危険な代物なら国が許可をするわけがないだろう。さてはそうやってわたしを騙そうって魂胆だな」
「別に信じたくないのなら勝手にしろ。信じる信じないは本人の自由だからな」
「……むむむ」
突き放すようなジャックの物言いにマジーナはナイフとフォークを下ろし特級ポークを食べるのをやめ、チラリと上目遣いでジャックを見る。
「べ、別にお前の言葉を信じたわけじゃないからな! ただ勝負を公平にするために仕方なく食べないだけだからな!」
「はいはい」
「むぅ……。なんか釈然としないぞ」
素っ気ない態度のジャックに拗ねるマジーナ。
「それよりもさっさとオーク肉を食ったらどうだ。冷めたらもったいない」
「ふんっ。言われなくても食べるさ。だけど三日前のオーク肉なんてとてもじゃないが食えたものじゃ――っ!」
ぶつぶつと文句を言うマジーナだったがオーク肉を口に運んだ瞬間目を輝かせる。
噛んだ瞬間に口の中に広がる溢れんばかりの肉汁。それはまるで口の中で肉汁の大洪水が起きているのか錯覚するほど。そして噛みごたえのある肉。肉厚でありながら噛みにくさは全くなく、むしろそのあっさりと噛みちぎれるのが快感に感じられるほどの噛みごたえ。
「な、なんだこれは! 美味いぞ! 美味いぞ! オーク肉なのに臭みもない筋張ってもいない。それどころか舌の上でとろける様なやわらかな食感。それでいて肉本来の旨味が凝縮されたかのような濃厚な味わい。一体全体どういうことだ! これは本当にオーク肉なのか。わたしを謀ってるんじゃないのか」
「正真正銘オーク肉だ」
「しかし以前に演習で狩って食べた時とは味が全然違うぞ」
「それはお前のハンターとしての腕が三流だからだろ」
フンッと小馬鹿にするように言うジャックにマジーナは憤慨する。
「むむむ! わたしが三流だと。それは聞き捨てならないな。これでもわたしはハンター育成学校で上位の成績なんだぞ」
「やれやれ、言ってもわからねえようだから実際に分からせた方が早いか。仕方ない。実力の違いを見せてやるよ、タゴサックがな」
「うぇっ! おらが?」
今まで話について行けずひたすら聞いていたタゴサックだが、突然名前を呼ばれてビックリする。
一方のマジーナは強気で返す。
「いいだろう。そこのイモ男ごときに負けるはずがないからな」
「イモ男……」
イモ男と言われて地味に傷つくタゴサック。タゴサックとはいえ恋する男子。好きな人の前でそんな風に言われて傷つかないわけがない。
しかしタゴサックの周りはそんなことはおかまいなく話を続ける。
「おいおい、タゴサックをただのイモ男だと思うなよ」
「上等だ。そこまでいうのならそこのイモ男のイモ男っぷりを見せてもらうじゃないか」
「よしタゴサック。お前のイモ男としての実力を……ってタゴサック。何でそんなに落ち込んでいるんだ」
ジャックがタゴサックを見るとタゴサックは厨房の隅で縮こまっていた。その背後にはどんよりとした空気が漂っている。
「ったくあんたらは!」
その様子を見てさっきまで黙って話を聞いていたリリシアが注意をする。
「さっきから聞いてればタゴサックにイモ男だなんて失礼なこと言ってんじゃないよ」
「……っ!」
自分をフォローしてくれるリリシアに恋する男子のタゴサックは嬉しさのあまり瞳をうるませる。
しかしその喜びは長くは続かない。
「確かにタゴサックはイモ男の中のイモ男だ。でもね、そういうことは本人の前でハッキリ言うんじゃないよ。可哀想じゃないか」
「……」
さっきとは一転、悲しみのあまり瞳をうるませるどころかみるみる目が死んでいくタゴサック。
リリシア・マクレーヌ。二八歳。独身。料理のことはわかっても男の心はわからない女である。