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1話

「ブモモモォォォオオオオ!」


 巨大な木々が生い茂るカナイの森にオークの雄叫びが響き渡る。オークの雄叫びは力強く聞くものを身震いさせるだけの気迫がありそれを聞いた小鳥たちが慌てて空へと飛び立つ。


「へぇ、活きの良さそうな雄叫びだ」


 そんなオークの雄叫びを聞いて、黒髪に漆黒のマントを羽織った年若い少年――美食ハンターのジャックは笑みをこぼす。


「久しぶりにカナイの村に行くついでに土産としてオークでも狩っていくか」


 そう決意したジャックは雄叫びが聞こえてきた方角へさっそうと駆け抜ける。


「おっ!」


 それから五分ほど走ると目的のオークを発見するジャック。


 しかし、ジャックがたどり着くとすでにオークはいなかった。いや、正確には生きていなかった。


 地面に倒れ伏す二メートルほどの体躯の巨体。


 その巨躯は肥え太ることなくそれでいて森で鍛え抜かれた無駄のない上質な筋肉、土埃で汚れているが薄っすらとピンクがかった健康的な肌をしている。だがその巨体には首から上がなかった。豚面である頭部は身体と離れたところに転がっており断面からは血がドクドクと流れ出ていた。


「どうやら先客がいたみたいだな」


 ジャックがたどり着く前にオークは他の人間によって倒されてしまっていた。


 オークを倒した人物はさっそく倒した獲物の血抜き作業を始めようとしていた。


 その人物はオークに負けず劣らずの体格をした二〇代後半ぐらいの男。身に着けているのは長いこと使い古しているせいでボロボロの服に毛皮のベスト。顔は伸びきった髪と髭に覆われてよく見えないが手にはオークの血がこびり付いた手斧を持っている。傍から見れば野盗のような身なりの男だが……。


「ん? あいつは」


 ジャックは血抜き作業する男を観察しながら眉をひそめる。


「もしかして……」


 血抜き作業をする男はジャックの見知った人物によく似ていた。


 ジャックは警戒しつつオークの血抜き作業をする人物へと近付く。するとジャックに気が付いた野盗のような身なりの男は若干驚くもののジャックの顔を見るとニッコリと笑いながらジャックに向かって手を振る。


「あんれ? おめえさはジャックでねえか」


「やっぱりタゴサックだったか」


 相手の反応からジャックは見知った人物だとわかり警戒を解いて歩み寄る。


「久しぶりだなタゴサック。元気にしていたか」


 ジャックはゴサックと一〇歳近く離れているというのに敬語を使わず馴れ馴れしい口調で話しかける。


「当然だべさ」


 だというのにタゴサックはそんなジャックの態度に怒ることなくむしろ嬉しそうに接する。


「ジャックこそ探し物は見つかったんだべか?」


「いや、まだだな」


 タゴサックの質問にジャックは肩をすくめて答える。


「そうだべかぁ。ほんらな今日はどんな用事なんだべ?」


「ちょっと仕事でな。それよりも血抜きを代わってやろうか?」


 と言ってジャックは血抜き途中のオークを指差す。


「ハハ。ジャックなら一瞬だべな、んでもこれはおらがやりたいんだべ」


 タゴサックはそう答えながら恥ずかしそうに頬をポリポリと掻く。


 ジャックはそれを見て事情を察すると呆れたように言う。


「タゴサック……お前もしかしてまだリリシアに告白してないのか?」


 ジャックは知っていた。目の前にいる大男がカナイの村で食堂を営むリリシアという女性に恋をしていることを。そして注意を引くために活きのいいオークを狩って安値で食材として卸していることも。


 だからタゴサックは面倒な血抜き作業を他人に任せず自分の手でやりたいのも恋心から来るものだと安易に想像ができた。


「しーしー! 声が大きいべ! 村の誰かに聞かれたらどうするんだべ!」


 ジャックの言葉を聞いてあたふたと慌てるタゴサック。それを見ながらジャックはあきれる様に言う。


「こんな危険な森の中までやってくる危篤なやつなんてそうそういねーよ」


 ガタイの割にシャイなタゴサックは村の人々にその恋心を知られるのを恐れているが、カナイの森の魔物は手強く獰猛なため、街道を大きく外れたこんなところまで村の人間がやってくることなど滅多にない。来るとすれば健気にオークを狩りにくるタゴサックぐらいだ。


「そ、それならいいんだべ」


 ジャックの話を聞いてホッと胸を撫で下ろすタゴサック。


「でもまあそういうならお前が血抜きし終わるまでに魔物が出たら俺が相手をしてやるよ」


「助かるべ」


 とタゴサックはジャックに感謝する。


 血抜きはできるだけ素早くしなければ肉が血生臭くなって味が悪くなる。理想は生け捕りがいいのだが凶暴な魔物相手に生け捕りをするのは至難の業だ。リリシアにはなるべくいいものを卸したいタゴサックとしては倒してすぐに血抜きをしたい。でもそうすれば血の臭いを嗅ぎつけて他の魔物が出てくる。だからタゴサックにとっては血抜きをするだけでも命懸けなのだ。


 まだ恋を知らないジャックとしてはどうしてそんなに好きなのに好きだとハッキリ言わずこんなまどろっこしいことをしているのかいまいち理解できなかった。


 ともあれ血抜きを終えるまで周囲を警戒するジャックだったが、結局血抜き中に他の魔物が現れることはなかった。


 その後血抜きを終えたタゴサックは一〇〇キロ以上あるオークを担いで屑殺場までやってくると表面の毛を火で炙って焼く。それからぬるま湯でオークについていた土埃といった汚れを洗い落として解体していく。


「へー」


 タゴサックの解体作業は手馴れたもので様子を窺っていたジャックも感心していた。


 素材がよくても解体がヘタであればそれだけで味が落ちる。タゴサックはそのことを熟知しており解体作業に無駄がない。


 昔頼まれて教えたジャックとしては素人だったタゴサックがたった数年でここまでできるようになるとは思っていなかった。


「大分上達したな」


「ハハ。下手くそだとリリシアに買いとってもらえないんだべ」


「あー、あいつらしいな」


 ジャックは遠慮せずハッキリ物事を言うリリシアのことを思い出し苦い顔を浮かべる。リリシアなら下手したら買い取るどころ蹴飛ばされるぐらいやりそうだなと思うジャック。


 そして解体を終えるとジャックとタゴサックの二人はカナイ村に戻りリリシアの営んでいる食堂へとやってきた。


 カランカラーン。


「いらっしゃい!」


 入り口に設置されたベルが店内に鳴り響くと厨房の奥から情熱的な赤い長髪をポニーテールのように後ろ括った二十代半ば過ぎの女性がなまりのない元気な声で出迎える。


 彼女がタゴサックの想い人でありこの食堂の店主であるリリシアだ。


 リリシアは元々王都の出身だがとある事情でカナイの村にやってきたのでタゴサックのように言葉になまりがない。性格もあけすけとして閉鎖的な村社会にも上手く溶け込んでいる。


「ってジャックじゃん。久しぶりじゃないか」


 リリシアは店内に入って来た客がジャックだと気が付くとジャックに駆け寄り豊満な胸でジャックを抱き寄せる。


「……」


 その様子を見て少し落ち込むタゴサック。


「ちょ! 離れろ。苦しいだろうが」


 一方のジャックは本当に苦しいようでリリシアを無理やり引きはがす。


 そんなジャックにリリシアは困ったように言う。


「ったく、あんたは相変わらずだねー。まだまだお子ちゃまだ」


「うるさいな。俺はもう十五だ。立派な大人だ」


 ジャックはふて腐れる様に言う。


 正直ジャックはいつまでも自分を子ども扱いするリリシアが苦手だ。だが料理の腕は確かでたまにこうやって村に寄った際には食事を食べに来ている。


「はいはい。そういうことを言っているうちはまだガキだよ」


 リリシアは生意気な弟をあしらう様に返す。


「なんだと!」


「そういうとこがガキだっていうんだよ。それよりも今日はどうしたんだいタゴサック」


 リリシアは苛立つジャックを適当にあしらうと隅で大人しくしていたタゴサックへ話しかける。


「に、肉!」


 さっきまでジャックと普通に話していたタゴサックはどこへやら、リリシアに話しかけられたタゴサックはデカい図体を縮こまらせながらしどろもどろに外に置いてきたオーク肉の方を指差す。


 そんなタゴサックの態度に呆れたジャックは注意する。


「そんなんじゃちゃんと伝わんねーぞ。ちゃんと喋れよ」


「ああ、オークの肉を仕入れてきてくれたのかい。いつもわるいね」


「なんで伝わんだよ」


「あんたと違ってタゴサックは素直だからね」


「どういう意味だ年増!」


「あん!」


 刹那、食堂という場に相応しくない今にも殺し合いが行われるような剣呑な空気が支配する。


「ふ、二人。落ち着く」


 今にも殺し合いでも始まるかのような勢いで睨み合う二人の間にタゴサックが割って入って仲裁する。


「ちっ! 今日のところはタゴサックに感謝するんだな」


「それはこっちのセリフだよ。で、注文は何にするんだい。あんたが何も食わずにうちに立ち寄るわけないからね」


 ケンカ腰ながらもちゃんと注文を訊こうとするリリシア。そこはさすが料理人といったところだろうか。


「トンカツ定食だ。東方にあるジャポニカの料理だが作れるだろ」


「当然だよ」


 さも当たり前の様にリリシアは言うが、王都にいる普通の料理人では遙か東方に地方料理の作り方など知るはずもない。


「じゃあそれを頼む」


 と言うとジャックはカウンター席に腰をかける。


 さっきまでケンカしていたというのにそれがなかったかのように会話する二人のやりとりを見てなんだかんだと言って仲がいいんだなとタゴサックは羨ましそうに二人を眺める。


「それでタゴサックはどうするんだい?」


「え? あ? お、同じ」


 不意に注文を訊かれてタゴサックはしどろもどろに答えるとリリシアが快活な笑みを浮かべる。


「あいよ。そこの無愛想な目をしたバカと同じのね」


「ほっとけ」


 文句を言うジャックだったがリリシアはそれを無視して厨房へと戻る。


「客がいないのは店主の性格が悪いんじゃないのか」


 ジャックは閑散とした店内を見回しながらそんな皮肉をこぼす。


 するとすぐに厨房から出てきたリリシアに頭を小突かれる。


「お昼時を過ぎているから客がいないのは当然に決まってんだろ。村の連中はあんたみたいに不真面目に生活してないからきちっと時間通りに食事を取るんだよ」


 リリシアの言う通りお昼時や夕食時にはそれなりにお客がくるがそれ以外では、たまにリリシアの昔の評判を聞きつけてやってくる変わり者もいるが、ほとんどは閑散としているのが現状だ。


「それを言うならタゴサックだってそうだろうがよ」


「それはそれ、これはこれってやつだよ。ガキが偉そうに文句をたれるんじゃないよ」


 リリシアはそう言って水とおしぼりを渡すと厨房へと戻って行く。


「ったく人をいつまでも子供扱いしやがって」


 ジャックは水を一口飲みながらグチをこぼす。


 それからふと思い出したようにタゴサックを見る。


「つーかタゴサック」


「な、何だべ?」


「何でリリシアの前であんなにカタコトで喋るんだよ。いつも通り喋ればいいだろ」


「そんれは……」


 タゴサックはチラッと厨房の方に視線を向けると厨房にいるリリシアに聞こえないよう小声で喋る。


「おらの喋りはなまりがひどいんだべ。だもんで恥ずかしいんだ」


 図体のデカい男がモジモジと人差し指と人差し指をつつきながらそんなことを言う。


 ジャックはそんなタゴサックの態度を見てため息をこぼす。


「あの女がそんなこと気にするようなタマじゃねーよ。むしろ婚期を逃して焦ってるんじゃねーのか」


「しー! しー!」


 リリシアが同じ店内にいるというのにいつも通りの声量で話すジャックにタゴサックは人差し指を口に当てながら厨房の様子をうかがう。


「心配すんな。リリシアのやつは料理に集中すると料理のこと以外の会話は耳に入らないからな」


「で、でも……」


 安心しろと言われても安心できずに不安そうな声を出すタゴサック。


「やれやれ」


 ジャックは肩をすくめる。


 どうしてオークを一人で倒すほどの実力がありながら惚れた女の前ではああもたじろぐのだろうか。ジャックにはそれがいまいちわからない。


 しかしこのまま話を続けても仕方がないと思ったジャックは話題を変えることにする。


「そういえばここ最近カナイの森で変わったことはないか?」


「森でだべか?」


 ジャックの質問にタゴサックはうーんと腕を組んで考える。


「変わったことなんて言んわれてもなぁ。……あっ! そんいえば最近オークを探すのが大変になったべ」


「お前が狩り過ぎたんじゃないのか?」


「ち、違うべ! それは関係ないべ」


「ふーん」


 疑わしそうに視線を送るジャック。


「……た、たぶん」


 さすがのタゴサックも好きな女に貢ぐために生態系が壊れるほどオークを狩ったつもりはないのだが自信が持てなかった。


「で、でもそげんなことを聞いてどうするんだべ?」


「最近ここいらのオークの数が急激に減っているって報告があってな。もしかしてタゴサックのせいかもしれないと思って俺が依頼を受けてここにきたってわけだ」


「本当だべか! 美食ハンターのジャックが来るほどのことだべか」


 ハンターは国を跨いで活動する組織で国もその活動を支援しておりハンターにも色々と種類がある。その中で美食ハンターは生態系の管理や維持なども行っている組織だ。


 自分のせいで美食ハンターが出向くほどの大事になってしまったと顔を青くするタゴサック。


 それを見てジャックはイタズラが成功した子供のようにニヤリと笑う。


「冗談だ」


「じょ、冗談? ひどいべジャック!」


「まあ半分だけどな」


 と安心するタゴサックに意味ありげに言うジャック。


「え? そ、それはどういう意味なんだべ?」


 タゴサックがジャックの言葉の真意を問いただそうとするとカランコローンと入り口のドアの鐘の音が鳴り響き来客者の訪れを知らせる。

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