第6話「静かなる春の予感」
温室に種を植えてから、日々の営みは穏やかな規則性を帯びるようになった。
朝の光が差し込むと、ゼルグは必ずリオンの部屋を訪れる。
彼はリオンの様子を確かめるように匂いを嗅ぎ、寝床の毛布の乱れを細かに整え直すことから一日を始めた。
それはアルファとしての巣作り本能から来る衝動のようだったが、リオンはその行動を止めることなく、むしろ心地よい日課として受け入れていた。
朝食を終えると、二人は厚手の外套を羽織り、雪をかき分けるようにして中庭の温室へと向かう。
寒さの厳しい日は、ゼルグがリオンを大きな体で風上から庇い、抱えるようにして歩いた。
温室に到着すると、まず炉の火加減を確認し、それから二人の鉢植えの前にしゃがみ込む。
種を植えてから何日経ったのか、リオンは指折り数えるのをやめていた。
土の表面は静まり返り、何も変化がないように見える日もあれば、湿り気の違いに一喜一憂する日もあった。
ゼルグは毎日飽きることなく鉢を覗き込み、土に顔を近づけてわずかな匂いの変化を嗅ぎ取ろうとしている。
その真剣な横顔を見るのが、リオンにとっては何よりの慰めだった。
言葉で未来を約束することはできなくても、一つの鉢植えを挟んで同じ時間を見つめているという事実が、二人の関係をより強固なものに結びつけていく。
ある日の朝、いつものように温室を訪れたリオンは、鉢の土の中央に微かな変化があることに気づいた。
『これは……』
黒い土の粒がわずかに押し上げられ、そこから針の先ほどの小さな緑色が顔を出している。
リオンは息を呑み、思わずゼルグの袖を強く引いた。
ゼルグもすぐに異変に気づき、大きな体を丸めるようにして鉢を覗き込む。
彼は喉の奥で震えるような音を立て、歓喜を表現するように耳をピンと立たせた。
そしてリオンの肩を強く抱き寄せ、その小さな芽を指差す。
過酷な環境の中で芽吹いたその小さな緑は、二人にとって奇跡のような光景だった。
リオンは感極まり、胸の奥から込み上げる熱いものを抑えきれずにゼルグの胸元に顔をうずめた。
ゼルグの厚い胸板からは、力強い心音と、深い森のような安心感のある匂いが伝わってくる。
彼はリオンの背中に腕を回し、その震えを鎮めるようにゆっくりと撫で下ろした。
オメガであるリオンの体は、アルファであるゼルグの気配に包まれることで、本能の底から深い安堵を感じ取っていた。
南の国で感じていた自身の存在への無価値感や、未来への絶望は、いつの間にかどこかへ消え去っている。
この雪に閉ざされた北の国で、自分を必要とし、慈しんでくれる存在に出会えたこと。
それだけで、リオンの心は十分に満たされていた。
芽が出たあとも、二人の日課は変わらなかった。
しかし、土を眺める視線には明らかな期待と喜びが混じるようになった。
小さな芽は日を追うごとに少しずつ背を伸ばし、肉厚の葉を広げ始める。
ゼルグは成長の過程を紙に炭で描き留め、リオンに見せては得意げに鼻を鳴らした。
リオンもまた、少しずつ獣人の言葉の響きを覚えようと努力を始めていた。
ゼルグが発する短い単語を真似て口に出し、それが通じた時のゼルグの嬉しそうな顔を見るのが好きだった。
「おはよう、ゼルグ」
ある朝、リオンが不器用な発音で獣人の国の挨拶を告げると、ゼルグは目を見開き、数秒遅れて満面の笑みを浮かべた。
彼はリオンの両手を取り、自分の額に押し当てるという、獣人にとって親愛を示す最上級の挨拶を返す。
額から伝わるゼルグの体温と、力強い脈動が、リオンの心を揺さぶった。
言葉はまだほんのわずかしか通じない。
それでも、心の距離はすでに隙間がないほどに密着していた。
夜になり、暖炉の火が静かに燃える部屋で、ゼルグはいつものようにリオンのベッドを整える。
だが、その日の彼はすぐには立ち去ろうとしなかった。
毛布を整え終えた後、ベッドの端に腰を下ろし、リオンの隣を軽く叩く。
一緒に座れという合図だった。
リオンはためらうことなく彼の隣に座り、身を寄せる。
外では吹雪が窓を叩いているが、二人の間に流れる時間はどこまでも穏やかで温かかった。
ゼルグはリオンの肩を抱き、そのぬくもりを確かめるように目を閉じる。
リオンもまた、彼の体温に身を委ねながら、この静かな日々が永遠に続くことを心の底から願っていた。




