第2話「沈黙の寝所」
暖炉の前で膝を抱えてどれほどの時間が過ぎただろうか。
不意に扉が開く音がして、リオンは弾かれたように顔を上げた。
現れたのは先ほどの獣人の王だった。
その両腕には、山のような荷物が抱えられている。
男はリオンの怯えた視線を気にすることなく、部屋の隅にある大きなベッドへと直行した。
抱えていたものを次々とベッドの上に広げていく。
それは、見事な艶を持つ漆黒の毛皮、純白の分厚い羊毛の毛布、そして細やかな刺繍が施された何枚もの布地だった。
男は大きな手で毛皮のシワを丁寧に伸ばし、毛布の端を揃え、幾重にも布を重ねていく。
『何をしているのだろう』
リオンは壁際に身を寄せたまま、その不可解な行動をただ見つめていた。
男の顔は真剣そのものであり、まるで重要な儀式でも執り行っているかのようだ。
時折、布の重なり具合が気に入らないのか、鼻先を近づけて匂いを確認しては、配置を細かく微調整している。
ベッドの中心がくぼむように柔らかい素材を集め、周囲を分厚い毛皮で囲うように整えていく。
その形は、まるで鳥が雛のために作る丸い巣のようだった。
一通りの作業を終えると、男は満足そうに息を吐き、リオンの方を振り返った。
「……」
再び、低い声で何かを語りかける。
男の言葉は雪に沈むように静かで、どこか促すような響きを持っていた。
大きな手が、きれいに整えられたベッドの中央を示している。
そこに座れ、あるいは寝ろと言っているのは明らかだった。
リオンは戸惑いながらも、逆らうことはできないと悟り、ゆっくりとベッドに近づいた。
靴を脱ぎ、男が作った柔らかなくぼみへと恐る恐る足を踏み入れる。
沈み込むような毛皮の感触が、冷え切った足裏を優しく包み込んだ。
腰を下ろすと、周囲の毛皮が体温を逃がさないように密着してくる。
それはリオンがこれまで経験したどの寝台よりも暖かく、安心感に満ちた場所だった。
『これは、僕のために……?』
リオンが見上げると、男は黄金色の瞳を細め、安堵したように口角をわずかに上げていた。
生贄として扱われるはずの自分が、なぜこれほどまでに丁重に扱われているのかまったく理解できない。
男はリオンの頭の横にそっと手を伸ばした。
リオンが身をすくめると、その手は空中でぴたりと止まり、ゆっくりと引き戻される。
無理に触れようとはせず、ただ見守るような距離感を保っていた。
男は己の胸に手を当て、はっきりとした発音で音を紡ぐ。
「ゼルグ」
それは、彼自身の名前を示しているようだった。
リオンは唇を震わせながら、自らの胸元を指差す。
「リ、リオン……」
かすれた声でそう答えると、ゼルグと呼ばれた男は深く頷いた。
言葉は通じない。
それでも、名前というたった一つの音を共有したことで、目に見えない薄い膜がほんの少しだけ破れたような気がした。
ゼルグは暖炉の薪を足し、炎の勢いを強めると、静かに部屋を後にした。
再び一人になったリオンは、毛布を引き寄せて顔の半分まで覆い隠す。
毛皮からは、先ほどゼルグから漂っていたのと同じ、清々しい森の匂いがした。
それはアルファ特有の威圧的な匂いではなく、ただひたすらに守られているという感覚を呼び起こす不思議な香りだった。
体の芯まで冷え切っていたはずなのに、今は指の先まで血が巡り、ぽかぽかと温かい。
緊張の糸がほつれるように、抗いようのない睡魔がリオンの意識を包み込んでいく。
南の国で感じていた孤独な夜とは違う、初めて知る柔らかな温もりの中で、リオンは静かに目を閉じた。




