第4話 恋と肉球
森のカフェしっぽっぽは、午後三時が一番ゆるい。
コーヒーの香りが落ち着き、猫たちがそれぞれの持ち場でだらけきる時間帯だ。
イチは窓辺で王のように外を睨み、
きなはクッションに沈み込み、
トラは暇を持て余して尻尾を追い、
チビは通路で堂々と寝ている。今日も通行止め。
ジルは棚の影で震えている。通常営業。
ロンは入口で寝ている。永久営業。
サトルはレジ横で帳簿をつけながら、ぽつりと言った。
「今日は“恋愛案件”の気配がする」
「また第六感ですか?」
みどりさんがミルクを泡立てる。
「この歳になると、空気でわかる」
「腰でも感じます?」
「それは湿度だ」
そんなやり取りをしていると、扉が鳴った。
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入店、挙動不審
入ってきたのは二十代後半くらいの男性。
髪はきちんと整っているが、目が泳いでいる。
服装も無難だが、動きがぎこちない。
店内を見渡し、猫を見る。
そしてなぜか深呼吸。
「いらっしゃいませ」
みどりさんが柔らかく迎える。
男性は席につき、メニューを開くが、まったく読んでいない。
スマホを取り出してはしまい、取り出してはしまい。
サトルはコーヒーを淹れながら観察する。
レベルは高い。
これは重症だ。
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ぽろり告白未満
しばらくして、男性がぽつりと言った。
「あの……ここって、相談とかも……」
「猫は聞きます」
サトルが即答。
「人間も一応聞きます」
みどりさんが補足。
男性は苦笑する。
トラがすかさず近づく。
営業本部長である。
膝に前足をかけ、じっと見上げる。
「うわ、近い……」
だが嫌ではない顔。
男性は撫で始める。
少し、呼吸が落ち着く。
「好きな人がいて」
きな、片目を開ける。
イチ、ゆっくり視線を向ける。
ジル、びくっとする。
「同じ職場なんですけど」
サトルは黙って頷く。
「何度か話して、いい感じ……だと、思ってたんですけど」
チビが寝返りを打ち、通路を完全封鎖。
「最近、なんか距離があって」
トラが喉を鳴らす。
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猫的アプローチ
「告白は?」
サトルがさらっと聞く。
「してません」
「なぜ」
「怖いからです」
ジルがカップの音で飛び上がる。
男性、思わず笑う。
「この子も怖いんですね」
「常時です」
サトルは真顔。
ジルは棚の影で震えている。
男性はその姿を見つめる。
「逃げないんですね」
「ええ」
「なんででしょう」
サトルは肩をすくめる。
「ここが安全だと知ってるからじゃないですか」
「……」
男性はトラを撫でながら考え込む。
「僕は、安全じゃなくなるのが怖いんです」
「告白して、関係が壊れるのが?」
男性は小さく頷く。
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王の一撃
そのとき。
イチがゆっくりと立ち上がった。
王の歩みで近づき、男性の足元に座る。
そして、じっと見上げる。
無言の圧。
「……すごい見てくる」
「審査中です」
サトルが真顔で言う。
イチは前足で男性の膝を軽く叩いた。
「え、何?」
「行け、と言ってます」
「本当に?」
「たぶん」
みどりさんが吹き出す。
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逃げない猫
男性はジルを見る。
震えている。
それでも店から出ていかない。
「怖いまま、ここにいるんですね」
「ええ」
「僕も、怖いまま言えばいいんですかね」
サトルは頷く。
「勇気って、怖くなくなることじゃない」
「……」
「怖いまま、やることです」
その瞬間、ロンが寝言で「わふっ」と吠えた。
ジル、垂直ジャンプ。
男性、大爆笑。
「すごい跳んだ!」
「本日二回目です」
店内が和む。
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作戦会議
「どう言えばいいと思いますか」
男性が真剣な顔で聞く。
サトルは腕を組む。
「変にかっこつけない」
「はい」
「怖いって言えばいい」
「え」
「“怖いけど、言います”でいい」
男性はぽかんとする。
「それでいいんですか」
「うちのジルを見てください」
ジル、震えている。
「常に怖い。でも毎日出勤」
「出勤なんですね」
「副店長ですから」
完全に嘘だが堂々と言う。
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決意
男性は深呼吸する。
「怖いけど……言ってみます」
トラが喉を鳴らす。
きなが隣で丸くなる。
イチは満足そうに目を細める。
チビは通路で寝ている。変わらない。
ジルは震えている。変わらない。
「もしダメだったら」
男性が言う。
「また来ればいい」
サトルは即答。
「猫は逃げません」
「震えますけどね」
みどりさんが補足。
男性は笑った。
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帰り道
男性は丸い猫の置物を手に取った。
「これ、勇気の代わりにします」
「丸い勇気ですね」
「柔らかそう」
「実際は木です」
みどりさんが真面目に言う。
男性は会計を済ませ、扉の前で振り返る。
「怖いまま、行ってきます」
「いってらっしゃい」
扉が閉まる。
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夕暮れ
サトルは猫たちを見渡す。
「今日も働いたな」
ロンは伸びをして、また寝た。
ジルが棚の影からこちらを見る。
震えている。
「お前が一番の説得力だ」
怖くても、いる。
怖くても、踏み出す。
森のカフェしっぽっぽは、恋の告白成功率を保証しない。
だが、怖いまま進む練習くらいはできる。
ジルがまた物音にびくっと跳ねる。
サトルもびくっとする。
みどりさんが笑う。
店内は、今日も少しだけ丸くなった。
恋も、人生も、完璧じゃなくていい。
震えながらでも、前に出ればいい。
肉球は、そっと背中を押すだけだ。




