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感染催眠です

 否穂(いなほ)の言っていた通りの光景。男性は私より数歳年上に見えるから否穂の言っていた通り大学生くらい。そしてリードを持ちながらニコニコと笑っている中年女性。明らかに異様で異常な光景。それなのに誰も気にしていない。もう帰るよと小学生くらいの男の子に声を掛けている母親もまだ帰りたくないとごねている子供も、自動販売機で買ったらしき缶コーヒーをベンチで飲んでいるサラリーマンも犬の散歩をしている初老の男性もブランコを漕いでいる女の子もその背中を押しているお姉ちゃんも誰一人として。

 ため息をこらえる。昔よく遊んでいた公園なのに。恋理(れんり)(あい)との思い出が汚される気がする。気がするじゃなくて実際見たくないものを見させられて公園の記憶が上書きされるのだから実際に汚されている。

「ね?確実にそうでしょ」

「だね。嫌になるよ」

「さっきさ、あそこの犬の散歩している人と可愛いワンちゃんですねって話していたよ。お互いにいい子って自慢していたよ。催眠掛かっているなら微笑ましい光景」

「掛かっていないならおぞましい光景だね」

「どーかん。で?どうする?」

「いつも通りやるよ。ここで待っていて」

「わかった」


 念の為、公園にいる人たちを『確認』する。自分の中のスイッチを切りかえる。すると公園にいる人たちの周りが薄い緑色で光る。勿論私にそう見えるだけで実際に光っている訳じゃない。これは私の催眠に掛かっている証拠だ。全員きっちり掛かっている。まあそうじゃないと困るんだけどね。

 両手で頬をパンっと叩き気合を入れる。最初は穏やかに行こう。穏便に済めばそれに越したことは無い。まあ無理だろうけれど。無理矢理笑顔を作って話し掛ける。

「すみません。可愛い子ですね」

 ふと思ったけど裸でリードに繋がれている推定年上の異性が目の前にいるのに平然としている自分ってどうなんだろう。なんかもう慣れちゃった。

 うわ露骨に嫌な顔をしてきた。何だよこいつ話しかけてくるなオーラが凄い。犬を連れているおじいさんとはにこやかに話したんでしょ。私にもそうしてよ。悲しくなるんだけど。

「今忙しいの話し掛けないで」

「…その人解放してあげてください」

「は!何を言っているのかな?意味が分からない」

 そう言いながら女性はこちらにスマートフォンを向けてきた。やっぱり催眠ツールはスマートフォンか。スマートフォンが一番多いんだよね。最初の頃はもっと種類が多かった。万年筆に懐中電灯、おもちゃの銃や時計に五円玉まであった。けど最近はスマートフォンばっかり。スマートフォンの場合は二種類あってスマホそのものがそうな場合と入っているアプリがそうな場合。今あるのはアプリ型ばかりだ。少し不思議。

「〈黙れ。ここで起きた事は忘れろ〉」

「無理ですよ。私に催眠は掛けられません。穏便に済ませましょう。私は催眠の力を回収させてもらって、掛けた人さえ教えてくれればいいです。後処理はこちらで何とかします」

「あんた何なの?意味わからない事言わないでくれる!」

「もう一度だけ言います。素直にスマートフォンを渡してください。催眠の力だけ抜けるのですぐお返しします。今までの事は一時の夢だったとでも思って諦めてください。そうしてくれるなら何もしません」

「ふざけけんな、死ねよ。私からこの子を奪う事は許さない」

 目が座っている。手持ちカバンから包丁を取り出して来た。包んでいる新聞を剥がしこちらに向けてくる。やっぱりこうなるのかあ。大抵の人は催眠が聞かないとわかると実力行使に出ようとする。凶器を出してくる人はそこまで多くはないけれど。

 けれど包丁を構えただけで動くことが出来ない。

「何で?動けない!」

「《包丁を渡して。自分の首を絞めて。死なないように力加減は気を付けて》」

 そう一言発すると女性は素直に包丁を渡して来た。そして自分の首を絞め始める。

「が、く、くるじ、い、な、ん、で、いづ」

 包丁は念の為新聞に包みなおして私のスクールバックにしまう。

「《あ、もう止めていいですよ》」

 女性は首から手を離すと地面に手をつき吐きそうになっている。少し可哀そうになるけれど、自業自得だ。心を鬼にして話を進める。

「わかりましたか?あなたはどうやっても私には敵いません。諦めてください。えっとまず名前を教えてください」

言剥(ことはぎ)母天(かあてん)よ」

「言剥さんですね」

「なんでよ!いつの間に私に催眠掛けたの!アプリ使わなきゃ掛けられないでしょ!この公園は!今は私の支配下にあるはず!」

「あーえっと何時掛けたのかは私にもわからないです」

「は?」

「私の催眠能力は特別なんです。あなたとは違って媒体も必要ない。私を見たり触れたり会話したりするとそれだけで掛かります。更に私の催眠に掛かった人と掛かっていない人が交流を持つとその人にも勝手に催眠が掛かっていくんです。えっとそうですね、ウイルスが広がっていく的なイメージをもって貰えればいいと思います。催眠ツールを持っていると一時的に外れますけど私がもう一度見ればそれで掛かります。だからあなたに催眠が掛かったのはさっきかもしれないし、もっとずっと前に掛かっていたかもしれない。あ、催眠ツールは催眠を掛ける為の道具をそう呼んでいます。…すみません。話ズレましたね。既に催眠に掛かっている人は私に攻撃出来ないんです。だからあなたは包丁を刺せなかったし、言う事に従うしかなかった。私はこの力を感染催眠(インフェノシス)と呼んでいます。あ、ネーミングセンスについては何も言わないでください。無い事は自覚しているので」

 まあ本当は催眠なんて甘い物ではなくてもっと禍々しくてこの世に有ってはいけない物だけど色々制限を掛けて催眠程度に抑えている。私の理性に感謝して欲しいよ本当に。

「なにそれ!おかしいでしょ!」

「おかしいですよ。多分ですけど私が世界中の人に死ねって命令すればほぼ全ての人は死にますね。多分私の催眠下に無い人は数パーセントもいないと思うので」

 勿論そんな事はするつもりはないし、間違ってもそんなことしないように制限を掛けているけれど。

 私の言葉にただならぬ物を感じたらしい言剥が怯えたようにこちらを見てくる。やめてよ。後ずさりまでし始めたし。


 私はため息をつきながら左手を左目にかざす。

「何その目?」

 今私の左目にはペンタグラムと六角形の幾何学模様が混ざったような模様が現れているはずだ。ちなみに黒目は消えている。だけど普通に見ることが出来るし、視界に模様が映る事もない。原理?知らない。恋理に聞いて。

「あなたの催眠は試作品です。完成したものがこの目にある物です。全てにおいて上位互換であり、他の催眠の力を吸収する事が出来ます」

「完成したものってあなたが作ったの?」

「違います。これ以上答える気はないので質問に移らせてもらいますね。《催眠を使えるようになったのはいつですか?》」

「三ヶ月前、いつの間にかスマートフォンに催眠アプリが入っていて、試しに使ってみたら本物で」

「三ヶ月前ですか。思ったよりも期間が短いですね。後処理楽かも。アプリの機能と掛けられる範囲は?」

「掛けられるのは四人まで。それとは別に公園とか家とか場所を指定してその場所にいる人間の認識を変える事が出来るけれど、一時間しか持たない」

「あー大分弱い機能しかないですね。《掛けている人は?この人以外に催眠を掛けている人は?》」

「夫と息子」

「それだけですか?他に一度でも掛けた事がある人は?」

「いないわ」

「本当に?いや嘘はつけないし」

 掛けられた人には悪いけれどだいぶラッキーだ。これなら予想よりも後処理が楽そうだ。

「ねえ、話したい事があるの」

「あ!ちょっと待ってください。迎えが来たみたいなので先にこの人解放させてもらいますね」

 公園前に車が二台止まる。

「ちょっと待って!私から彼を取らないで」

「駄目です。あなたにこの人の人生を好き勝手する権利はありません」

「ねえ聞いて!お願いだから私の話を聞いてよ!夫はね!浮気しているの!していたの!隠そうともしないで堂々しているのよ!十歳も若い部下とよ!子雄流(こおる)も反抗期で言う事聞かないし、最近は悪い子達とつるんでいるみたいなの!パート先でも最近ギスギスしていて」

「すみません。色々と溜まっている事はわかったんでもういいです。申し訳ないですけど他の方に聞いて貰ってください」

「お願い、私から催眠を取り上げないで!もう家族以外には使わないから!悪用しない!アプリのおかげでやっと家族が元通りになったの!アプリがあれば仲良い家族でいられるの!」

「駄目です」

「催眠の力が手に入った時、運命だと思ったの!バラバラだった家族を修復できた」

「でも他人も巻き込んだ」

「彼は私の癒しで、でももう開放するから」

「今更ですけど、この方なんていう名前ですか?」

「いやあの、私はタロちゃんって呼んでいて」

「名前知らないんですか?」

「…はい」

「人扱いすらしてなかったんですね」

「いやそれは違くてですね…」

「いやもういいです。《一旦黙っていてください》」

 私は手をあげて、運転手に来てもらう。今更だけどずっと裸で放置していた。この時間、冷え始めている。風邪をひかないだろうか。悪い事をしてしまった。

 手を叩き男性の催眠を解く。これで言剥から掛けられていた催眠が消え、自分がどういう状態かわかるはずだ。そのまま放置するのはまずいので、解くと同時に別の催眠を掛ける。精神の安定化、自傷行為の禁止、ストレスの軽減、これから会う人を信用するなどだ。人の頭をいじるのは好きじゃない。しなくちゃいけないと分かっていても罪悪感が消せない。

 彼の対処は言剥の対応を終えた後だ。運転手さんに旅館へ送ってもらう。否穂にも着いて行ってもらう事にした。この後も付き合ってくれるといっていたけど彼女に見せたくない光景になるのはほぼ間違いないから。

「さてと、待たせてすみませんね。《スマートフォン渡してください。あ、開いて渡してくださいね》」

 断れず、話すことも出来ない彼女は素直に渡してくる。目が潤み何かを訴えているけれど無視する。スマートフォンを左目で見るだけで、催眠アプリが消える。何回やっても私にはなぜそうなるのかわからないけれど、これでもう彼女は催眠を掛ける事は出来ない。

「これでもう催眠は使えないです。《あ、話していいですよ》」

「お願いします、返してください!」

「だから駄目ですって。聞き分けないですね」

「催眠アプリはあなたが作ったんじゃないの?あなたが完成形を持っているなら試作品は私にくれてもいいじゃない」

「さっきも言いましたけれど、催眠を作った訳じゃないです。アプリも私じゃありません」

「ならあなたは何の権限があってこんな事をしているの!」

「無いですよ。何も。あなたが他人の人生をどうこうする権利が無いように。私は私の判断で行動しています。恨んでもらっていいですよ。記憶を消すので憶えていられないでしょうけど」

「記憶を消すって待ってよ」

「私の問いにだけ答えてください。あなたの家、案内して。車は用意してあるから」

 私は優しく微笑んだ。


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