色々あるけどそれでも
「金なら払う!いくら欲しい?百万か?二百万か?」
また頓珍漢な説得をしようとしてきている。私は目の前で騒ぎ立てる中年男性を見て頭を抱えたくなっていた。昨日の殻雛さんとは違って全然話が通じそうにない。…落ち着こう。相手も今は混乱している。もう少し対話を試みるべきだ。そうしよう。
「浅間さん。落ち着いてください。いいですか」
「二百万だぞ!お前が稼ぐのにどのくらいの時間が掛かると思っているんだ!まだ欲しいのか強欲だな!」
落ち着け。落ち着こう。混乱しているんだから。
「俺が!この俺がたった三人で我慢する上二百万出すと言ってやっているんだぞ!言う事を聞けよ!」
「うるせーよ!黙れよ!あんたは交渉なんて出来る立場じゃないんだよ!気が付けよ!」
「おい口の利き方に気を付け」
「《黙れ》。はい喋れなくなりました。さっき言ったよね。私の催眠はほぼ全ての人に掛かっているって。あのさ、私にお金で交渉とか無理だから。わかって。もっと建設的な話し合いをしましょう。話せるようにするんで。話していいですよ。いいですか」
「一千万でどうだ!それなら」
もう嫌だ。頭を掻きむしりたくなる。
「だからですね。私はお金が欲しければいくらでも手に入るの!あなたから貰わなくてもね!一億でも一那由他でもね!そもそもお金を払う必要すらないの!そんなの二度手間!望めば欲しい物が手に入るの!物も土地も国も頭の中すらもね!あなたが私に出来る取引なんて無いの!私が一言命じれば全てを差し出す事になるんだから。私はですね、少しでもあなたの頭の中をいじる事が無いように少しでも穏当に終わるようにしたくてあなたと話しているんです。私が勝手にしている事なんで感謝を求めるのもあれなんですけどいや感謝はしなくてもいいんで現状を理解してください。催眠アプリに関わる事を全て話してください。そうじゃなきゃ無理矢理聞き出す。ハーレムも敵対企業を潰すのも家族とよりを戻すのも諦めてください。そもそもそんなに沢山掛ける事は出来ないです。諦めろって命令した方がいいですか」
「わ、わかった言う通りにする」
「ようやくですか。大丈夫です。痛くも苦しくもないんで」
そう言って私は笑顔を見せた。つもりだけど相手が怯えている所を見ると上手く笑えていなかったみたいだ。
◇◇◇翌日◇◇◇
ずっと催眠を回収していた。催眠ツールを持った人の中にはそれを有効活用しようとした人も少しだけいた。犯人の自白を引き出すために使っていた警察官、メンタルケアの為に使っていたカウンセラー。そう言った人たちからも私は容赦なく奪った。それが正しいのかはわからない。協力して世界を良くすることだって出来たと思う。でもしなかった。この人たちだっていつかは変わってしまうかもしれない。催眠ツールを悪用するかもしれない。そう考えて奪った。私が欲に溺れないなんて保証はないのに。
「この力は正しい事の為に使うわ。だから回収なんてやめて」
そう叫ぶ女性の目には力が籠っていた。三十代前半くらいに見える雨擦さんはカウンセラーをしているそうだ。仕事を通して色んな人を見てきた。少しでも差別をなくしたい。これはそれが出来る力で私は正しく使う。私にそう力説してきた。本気で言っている。それはわかる。催眠を使えば普通じゃありえない事ができる。だからこの世界が抱える課題を解決できる。そう思う気持ちはわかる。
「気持ちはわかりますが回収させてもらいます」
「何でよ!この力があれば差別がなくせる!」
「そんなことしちゃ駄目です。差別は時間を掛けて無くしていくものですよ」
「何にも知らないくせに奇麗事ばっかり言わないで」
何も知らないって事はない。私だって色々見てきた。不平等を無くすって言った人を信じた事も有る。でも駄目だった。
「確かに今回は失敗したわ!でも今回のミスを活かして次は成功させるから!」
「無理ですよ。貴方の催眠アプリで掛けられるのは三人まで。それじゃあ世界から差別はなくせません」
「だからこのアプリを研究してもっと実験してアップデートするの!この世界と人間をね!」
「それまでに何人犠牲にするつもりですか」
「尊い犠牲よ。それに選ぶわ」
「それ差別ですよね。実験台にしてもいい人と悪い人を選ぶ。それで今回も」
「五月蠅い」
雨擦さんはアプリを使って実験をしようとした。差別をなくすために。いじめをしている人に差別をするなって催眠を掛けて実際に差別が無くなるか確かめようとした。そしてそれは失敗した。差別をするな。そう命令するとどうなるか。本当に差別をしなくなる。全ての人を平等に扱おうとして全ての物を平等に扱おうとする。自分も他人も人も他の生き物も。何も食べられなくなるし、頭の中で矛盾が生まれ続ける。そして催眠を掛けられた人は自殺しようとした。最終的に自分の命だけ奪っていい物と特別扱いして。ビルから飛び降りようとしたその人を止めた事で私は雨擦さんの事を知ったのだ。
「無理ですよ。催眠アプリは万能じゃありません。人の思考は人によって全く違います。ある人は差別だと思っている事はある人は当たり前だと思っていたりする。それなのに差別とか曖昧な物だけを無くすことは無理です」
人から差別をなくすには思考の全てを操って理想の人に作り替えるしかない。言剥も催眠で完全に支配下に置いた上で自分の都合のいいように部分的に操っていたのだ。そして雨擦さんのアプリでは三人までしか操れない。とてもじゃないけど差別をなくすなんて出来ない。
「それで諦めるの?最低ね。難しいかもしれない。途方もない道になる。犠牲もでる。それでも挑戦する価値はあるわ!私達は史上初めて本当の意味で差別をなくせる可能性を見つけているの!」
「催眠なんて外道の方法で差別をなくすことが正しいとは思いません」
「最低ね。自分だって催眠の力を持っている癖にそれを正しい事に使おうとしない。世界の問題から目を逸らして自分に言い訳している」
「……そうですね、そうかもしれないです。だとしても私はそれをしません。催眠を回収させてもらいます」
催眠で苦しんでいる人を救うのは世界の問題から目を逸らしている事なのか。私がしなくたっていい事じゃないの。私だって頑張っている。そう言いたかったけど雨擦さんに言っても意味が無い。私は言葉を飲み込んで雨擦さんに催眠を掛けた。
私だってたまにこの力を使えば世界をより良くすることが出来るんじゃないかと思う。私の持っている力は雨擦さんと比べ物にならない。やろうと思えば本当の意味で差別をなくすことが出来る。でも私は愛でも恋理でもないから世界を支配してコントロールなんてした日には良くするどころか悪化させることになる。それどころか破滅させてしまうかもしれない。
けれど、世界中の人から偏見を無くせるのにそうしないのはどうなんだろう。そうする事が世の中の為なんじゃないか。そう思う事も有る。いじめや差別。私なら無くせる。
特に私は恋愛に関してはマイノリティ側だ。その事を打ち明けられず周りと話を合わせる時に少し辛い思いもした事は何度もある。正直家族にも私が同性愛者だという事は打ち明けていない。それで関係が壊れてしまうのが怖いから。人の偏見や差別は消せない。普通なら。けれどこの力を使えば簡単に変える事が出来る。それなら私と同じ悩みを抱える人の為にも変えてしまおう。そう思う。けれどその度に自分にその資格はない。と、何とか自制する。
そもそも世界を変えるとしてどこまで変えるのか。何を差別と判断するのか。例えば女性の同性愛に限定しても種類は沢山ある。性自認が女性で女性が好き、性自認が男性で女性が好き、性自認が女性でどちらも好き、性自認が男性でどちらも好き。他にも数えきれない種類があるはずだ。差別をなくそうとしても纏めて一つに扱う事なんて絶対に出来ない。だからと言って、全ての差別を一つずつ全て消すなんてことも出来ない。私に出来る事は私が感じている差別を消す事くらいだし、それにしたって人によって差別と感じる事は変わる。
私は好きな人が同性って事以外はマジョリティ側だ。と自分では認識している。けどそんなの見方によっては簡単に変わる。国、文化、風習、年代、教育、生まれ。人の価値観は全く違う。私の判断で世界を変えれば絶対に何処かに歪が生まれるし、歪む。それなら最初から何もしない方がいい。世界を変える力があったとしても使いこなせず責任を取れないなら使っちゃ駄目なんだ。
そう決めているのに辛くなる。気分を切り替えないと。この後は人と会うんだから。




