捨てる人あらば拾う神あり
『拾い神』
私は神様だ。神、といっても大層なものではなく、“物の怪”や“あやかし”の延長線のような、小さな神様だ。私はとある地域の一つの山を根城にし、近くの村人たちが山奥に作った小さな石の祠に祀られている。
私の山の近くには参道が通り、見知らぬどこかの旅人が、右から来ては左に、左から来ては右に過ぎていく。ところで、私は物を拾う趣味があった。とりわけ人の作ったものが好きで、誰かが物を落としたところを見るや、それを拾って自分のものにしていた。旅人たちは物珍しいものを持っていたし、落としたものを取り返しに戻ってくるようなこともなかった。
祠の奥にそれをしまって隠していると、いつか、村人が祠の手入れをする時にそれらを見つけてしまった。村人たちは私のコレクションを祠から片端から引っ張り出し、これはなんだ、おぉこれは私がこの前無くした櫛ではないかと大さわぎ。そのうち、私は失せもの探しの神様として祀られるようになった。落とし主が私の祠に現れ、落とし物を見つければ持っていってしまうが、元は彼らのものだ、私は特に止めるようなことはしなかった。落とし主を名乗る盗人が現れた時は、持っていかれるのに全力で抵抗した。あの祠は本物だと、そのうち盗人は現れなくなった。
私は私の根城の山をいつも歩いている。人が落とすものだけではない、倒木の裏に生えたキノコや、鈴生りになった赤い実や、形のいい石や、色鮮やかな落ち葉。山には私の気に入るものがたくさん落ちている。“山の動物たちも神様にお供えをしているのかな”などと村人どもは噂していたが、それらは私の集めたものだ。
ある日、山の散歩から帰ると、村人どもが祠の前にひれ伏し、何やら騒いでいる。いわく、“私たちの子供を返してくれ”、“大事な子だから持っていかないでくれ”、“ほかの貢ぎ物なら持って行っていいから”と、どうやら村の子供が一人居なくなり、それを私が隠したものだと思い込んでいるようだった。
私ではないのだが……村人たちがへそを曲げて、私の大事な祠を壊されでもしたら面倒だ、私は祠を離れて山へ子供を探しに出かけた。参道を見た、沢を見た、山の頂上を、じじばばが休憩に使っている切り株を、私の知る山をつぶさに見て回った。
はたして、その子は倒木の裏、隠れるようにして小さなくぼみに落ちていた。どうも足を挫いて動けなくなっていたらしい。私はその子に声を掛け、手を引いて祠の前まで連れて行ってやった。村人たちは、現れた子供に、諸手を挙げて歓喜した。私の祠の前で、貴重な鹿一頭の解体が行われ、その肉が供えられたが、正直地面が血で汚れるしで迷惑だった。参道を通る飢えた旅人を案内してその肉を処理させた。また、次は“この神様は子守りの神様だ”などと言われ、たまに暇な子供が祠の前に預けられた。私は気まぐれに子供の前に姿を現し、たまにその子供らと遊んでやった。
その村が廃れ、無くなるまでの間、私は“拾い神”と呼ばれ、崇め奉られ続けた。村があった場所も、山の中の道からも、今や人の気配は遠く薄れて、山奥にあったはずの祠は、誰からもその場所を忘れられ、もはやそこを訪れる者も居ない。
このお話は、『いつか勇者になるために』(https://ncode.syosetu.com/n0623jx/)という作品の一部を修正、短編として投稿したものになります 。気になった方は本編もどうぞ!