ジェード様の憂鬱
ジェードが来客のため客間に入ると、客人の男が立ち上がった。
「ジェード・フロスティ公爵令息。お久しぶりで──」
「・・・気色悪いな」
口上を述べようとしたのをとても嫌な顔と言葉で一蹴されたが、客の男はそんなジェードの態度に嫌な顔もせず、にっこり笑った。
精悍な顔つきにしなやかな体躯を持つ、ジェードとはタイプの違う美青年だ。
「これはこれはヴェルト・クルール男爵令息!この度は・・・」
ジェードが仕返しとばかりに余所行きの顔でそう述べると、青年は名を呼ばれただけで降参とばかりに両手を上げた。
「まいった。確かにジェードに家名を呼ばれると気色が悪い」
「僕のことを気色が悪いなんて言うのは君くらいだよ」
彼はジェードより二年先輩で、一年間学園で共に過ごした友人でもある。
二年ぶりに会う二人は固い握手を交わした。
そもそも公爵令息であるジェードと男爵令息であるヴェルトは学園では違う敷地で過ごす為、本来ならば全く接点はない──のだが、何故か同じ学年で特別クラスに在籍する辺境伯令嬢の紹介・・・とはとても思えない紹介で出会うことになった。
「ヴェルト。ジェードはとんだ拗らせ野郎でな。性格が最悪なコミュ障男だ。見ろ。一見腹黒に見えるが黒い部分が身体のあちらこちらから溢れ出ておる。これで成績が学年主席のモテ男だと言うんだから腹が立つのだ!!叩きのめしてしまえ!!」
「え・・・」
公爵令息を叩きのめせと言われても──と、戸惑うクルール男爵令息を気の毒に思ったのがことのはじまりだ。
この国での辺境伯の位置付けは公爵家に並ぶ。
この令嬢は現辺境伯の一人娘であり、次期辺境伯である。
そしてヴェルトはその辺境伯家の寄り子である男爵家の嫡男。
辺境伯令嬢は現在特別クラスに在籍する生徒の中でジェードに次いで高位の令嬢である。身分も、成績も・・・
「こいつをコテンパンに伸して、明日の試験に全力を出せないようにするのだっ」
火急の用事だと呼び出されてみればこの様だ。
次期伯爵のクラレットに婿入りするジェードよりは何れ身分が上になる存在ではあるが、現時点では同等。こんな茶番に付き合う必要はない。
しかしジェードは退屈していた。
(面倒なのに捕まったな)
そう思いながらも退屈しのぎにはなるだろうと、辺境伯令嬢が納得するまで模擬試合?に付き合うことにした。
「なんだ!ヴェルト!!その剣は!もっと本気でやらんか!この腰抜けめ!」
「明日の試験に出てこれぬほど足腰立たなくしてやるのだ!ヴェルト貴様!学園生活で腕が落ちているぞ!?」
「ヴェルト!辺境伯領の騎士たるもの、何時いかなる時も死ぬ気で行け!!!!」
ジェードを伸すための催しのはずだが、ダメージは確実にヴェルトの方に入っている気がする。
「大変そうだね」
「うちのお嬢がすみません」
「いや、退屈しのぎにはちょうど良いよ」
「多分もうそろそろお迎えが来て終了のハズなので・・・」
練習用の木剣で打ち合いながらそんなことを話していると、
「あっ」
辺境伯令嬢のあわてふためく声が聞こえてきた。
見ると、辺境伯令嬢が男に抱えられるところだった。
「だから私は直接手を出してはいないではないかー!」
「フロスティ公爵令息、婚約者が申し訳ない。今日は取り急ぎこいつを回収していくので、謝罪はまた次回にさせてください」
男はそう言って頭を下げると暴れる令嬢を軽々と抱えて退出していった。
「ね?」
ヴェルトが笑う。
「フロスティ公爵令息は模擬試合とはいえ自信のあった剣を軽々と返される屈辱って、理解して貰えます?」
とても怖い顔で。
ある日ジェードが昼休みに良い隠れ場所を探していると、一般クラスと特別クラスの敷地の堺にちょうど良いベンチを見つけた、
一般クラスの敷地に近いここなら辺境伯令嬢はもちろん、ジェードとお近づきになろうと仕掛けてくる全うな令嬢は近寄らないし、特別クラスの敷地に近寄れば最悪退学になる一般クラスの生徒もやってこない。
そのハズだったのだが、
「フロスティ公爵令息?」
何故かヴェルトがやってきた。
「ここ、絶対お嬢がやってこないので穴場なんです。あ、隣座って良いですか?」とか。
「結局前回の試験もフロスティ公爵令息に負けたって、しかも自分がフロスティ公爵令息を伸さなかったせいだとお嬢がうるさくて・・・」とか。
「あ、この時間にここにいるってことは昼飯まだでしょう?これ、食います?フロスティ公爵令息の口に合うかはわかりませんが・・・」とか。
「・・・ジェードでいい・・・。敬語も気色が悪いから無しでいい」
身分差があるとはいえ相手は年上。しかも自分より(かなり)ガタイのいい男に家名を連呼されるとなんとも居心地が悪い。
ヴェルトは満面の笑みで「じゃあ俺のことはヴェルトって呼んでくれ」と返してきた。
それからはベンチで会うことがあれば剣を交えたり、昼食を摂ったりと過ごしてきた。
ヴェルトはよく木剣を持ち出してきては模擬試合をしたがる。
どうやらそれなりに剣技に自信と誇りを持っていたヴェルトは模擬試合でジェードが適当に相手をしたことを根に持っているらしいのだ。
本人にそう言われた。
普通の相手であれば手を抜いたこと自体気付かないので、ヴェルトはそれだけ優れているのだろうと言ってみたが、そんなのは褒め言葉ではないと逆に文句を言われた。
それは強者が弱者にかける言葉だと。
幼い頃から何でも人並み以上にこなすジェードはメイズ伯爵に婿入りするのに必要な要素として何かに役立つかもしれないと剣術にも力を入れてきた。そんな程度の思い入れしかないため正直ヴェルトの熱量に引いていたが、年上の癖にニコニコして寄ってきては剣の打ち合いをねだるヴェルトのことを「気色が悪いな」と思いながらも何故か拒絶できずにいた。
ヴェルトの卒業が近くなったある日、二人して辺境伯令嬢に捕まってしまった。
「ヴェルトよ。性悪とつるむのは良いが学園在学中に誰か女生徒を落として婚約をせねば、辺境の男爵家なんかに嫁ごうという奇特な女性は平民にもなかなかおらぬぞ」
(僕が性悪と言うのは否定しないが、辺境伯令嬢も大概口が悪いよね)
ジェードはそう思ったが口に出すと面倒くさいことになるのがわかるため、気配を消して黙って紅茶を口に運ぶ。
現在辺境伯領にはヴェルトに見合う年齢層の令嬢はいないらしい。
仮にいたとしても、辺境伯領はなかなか王都に来ることも叶わないため、その瑕疵を領外の貴族と縁を結ぶことによって補っているのだ。
「いや、辺境って娯楽はないし危ないってイメージが強くて誰も来たがらないですよ」
「だからお前のその無駄に良い顔と身体を使い、手練手管で学園在学中に男爵子爵の令嬢を引っかければよかっただろう。なんなら平民でも良いのだ」
「いや、言い方・・・」
ヴェルトは次期男爵。跡継ぎは必要だし、男爵家ならば社交もほとんど無いので健康ならば平民でも構わない。
辺境とはいえ所詮は男爵家。次期辺境伯の信頼は厚いようだが婚姻により中央との縁を望まないといけないほどの地位にはないのだ。
しかし彼がその気になれば伯爵令嬢すら落とせるのではないか、ジェードはそう思っている。
しかし本人は本当に辺境に嫁ぐ令嬢を気の毒に思っているらしく、自分から動く気は全く無いらしい。
下手に動くと貴族同士の婚約だ。本人の意思など関係がなくなってしまう。
跡継ぎは親戚から養子を貰おうと考えている──と、ヴェルトから聞いている。
席を立つタイミングを見計らいながらジェードは窓の外を眺めた。
ジェードは学園時代より逞しくなったヴェルトを見て満足そうに頷いた。
「今日の用件は例の件の返事だろう?辺境伯令嬢には会ってきたのか?」
「ああ、祝賀パーティーのことは聞いてきたよ。メイズ伯爵家への婿入りを確実にするためとはいえ、ちょっとやりすぎじゃないか?」
「これくらいやらないと侯爵令嬢が手を引かない」
まぁ、好きな子のために次期公爵の地位を捨て婿入りを考える(ジェードは決して認めないが)男に何を言ってもダメか──ヴェルトは辺境伯令嬢が初対面の時に言っていた「とんだ拗らせ野郎」と言う言葉を思い出していた。
「で、辺境伯令嬢はなんて?」
「『あぁ、あの平民の娘か。平民にしては美しかったな。磨けば光るだろう。それに自分の欲しいものを手に入れるために手段は選ばない。方法は間違っているがその心意気、嫌いではない。辺境で過ごすにはそれくらいタフでないとな。ヴェルトさえ構わなければ、私が鍛え直してやろう』だってさ」
少し物真似の入ったソレについ笑いそうになるのを堪える。
辺境伯令嬢とはヴェルトと婚約者の令息が卒業してからは表だって言葉を交わすことはなくなった。二人きりでなければ問題視されることもないが、彼女と話していると他の虫が寄ってくるからだ。
「で、自ら迎えに来たって訳?」
少し昔のことを思い出して感傷に浸りそうになる気持ちを切り替えるように、ジェードはヴェルトに言った。
「ジェードに久しぶりに会いたかったからね。次は何年後になるかわからないだろうから。
それに、ここにいるよりはマシだろうが、貴族ならともかく平民の子がいきなり辺境の見知らぬ男に嫁げって言われても不安だろ?
道すがら少しでも話せれば不安も減るかもしれないし、俺もその子のことが知れる」
──すぐに忘れることは無理でも気を紛らわすことくらいは出来るだろう。
ジェードの手前、口には出さないが。
「辺境伯令嬢が言うには辺境伯領に戻ってくるまでの間に俺の手練手管で落としとけ、だそうだ。そんな技持ってれば苦労はしないよな」
冗談のように言うヴェルトだが、彼ならば、本当に辺境伯領に着く頃にはエボニーを癒し、落としていそうだ。
警戒心が強いと自負している自分ですら落とされたのだから。
貴族の結婚に気持ちは関係ないとはいえ、この男ならキャナリィも納得出来る幸せをエボニーに与えられるだろう。
エボニーの家族には話しは通してあり、是非よろしくお願いしますとの返答を貰っている。
まぁ、彼らにこの話を断るという選択肢はないのだが。
あとは正式な書類を交わすのみだ。
ちょうどそこへ出していた先触れが戻ってきた。
家族は在宅だが、エボニーは朝から街の公園に散策に出掛けているらしいとのことだった。
「昼前に出ないと次の街に着けないんだ」
そう言って懐中時計を見ながらヴェルトは言った。
「じゃあ、僕がエボニーを迎えに行ってこよう」
「すまないな」
「いや、彼女には世話になったし別れの挨拶でもしとくさ」
★
ヴェルトとの挨拶は済んでいる。
エボニーを送り届けた後、窓の外を眺めたまま、ジェードは馬車をノックし出発するように御者に合図した。
自分の顔と裕福な暮らしが目的だと思っていたエボニーが本気で自分を好いていたらしいことには驚いたが、その気持ちがヴェルトに向きさえすれば彼女は幸せとやらになれるのだろう。
「気色悪いのと気持ち悪いのでお似合いだな」
今回の件は気を紛らわすのにちょうど良かったが、この件をクラレットに伝えるのは手紙で事足りる。
ジェードはため息を着いた。
辺境伯令嬢に話せば「はぁ!?お前性悪でモテる癖にバカなのか?」と言われそうだが、そんなことをジェードに言える人物はここにはいない。
シアンとキャナリィは学園で会えるからいいが、クラレットの休日は次期当主として商会の手伝いをするか、キャナリィと過ごすかだ。
しかも今度の休日はキャナリィとクラレットを呼んで母が女性だけでお茶会をすると言っていた。
家にクラレットが来るというのに僕は同じテーブルにつくことも出来ないというのか!?
何の嫌がらせだ!
全て終わって残ったのは何も変わらない現状。
あぁ、憂鬱だ。全く気分が晴れない。
──いや、違うな。面倒ごとが片付いたからか、少し気分が晴れやかになった気がする。
辺境伯領へ向かう馬車は反対側へ進む。
男爵家までどれくらいかかると言っていたか。
「しばらく昼寝日和が続きそうだ」
ジェードは馬車を降りるとそう独りごち、昼寝をするためにいつもの東屋に向かった。
(おしまい)




