幸せになってね
馬車に揺られながらエボニーは夢心地でジェードの話を聞いていた。
「元気にしてたかな」
自分を見てニッコリ笑うジェードにエボニーは幸せを噛み締めていた。
「キャナリィが巻き込んでしまった代わりに君には幸せになって欲しいと望んでいるものだから、僕も色々考えたんだよ」
そう言うジェードに「私、今とっても幸せです」と言いたかったけど、胸が一杯で言葉がでない。
公園デートに誘ったが、約束の時間があるから残念だけどと断られた。
──約束の時間って、どっか予約とかしてくれてるのかな。
今エボニーは、ジェードと二人きりで馬車に揺られている。
貴族は誤解されては困るため、異性とは二人きりにはならないと物語で読んだことがある。必ず侍従を同席させると。
平日のこの時間、メイズ伯爵令嬢は学園に行っているはずだ。
その間にジェードが会いに来てくれたと言うことは、やっぱりあの卒業祝賀パーティーで言ったことは嘘だったんだとエボニーは確信した。
じゃぁこれは愛の逃避行?──なんちゃって・・・
「──だから、君には辺境に行って貰うことにしたよ」
「え?」
エボニーは急に飛び込んできた「辺境」という単語に、聞き間違いかと思い聞き返した。
「辺境って危険だし娯楽が少ないでしょう?お嫁さんの来てもないらしくて。辺境伯の寄子の男爵家なのだけど君のことを話したら是非迎えたいって言ってきたんだ。身一つで来てくれて構わないからって。良かったね」
とても良い笑顔でジェードが言う。
「え?なんでですか?」
「だって君、将来が不安だって言っていたし、早く誰かと結婚したかったのだろう?
君のご両親も了承済みだからあとは君を送り出すだけでね、もう迎えの馬車も到着しているんだよ」
話を聞きながらエボニーは震えた。
「君が辺境で結婚して幸せになったと分かればキャナリィも安心するだろうし、君が王都から消えればクラレットも気にしなくなるだろう」
クラレットという名前を聞いたエボニーは、えもいわれぬ不安に駆られた。
「・・・あたし、辺境にお嫁に行くのですか?ジェード様の、じゃなくて?」
「え?僕の?何故」
ジェードが全く理解出来ないとでも言うように首をひねった。その反応を見て、辺境が冗談でもなんでもないのだと知ったエボニーは馬車の中で取り乱した。
「け、結婚なんて嫌です。あたしはジェード様のお嫁さんになりたかったの。その為だけに頑張ったのに!」
と思わず叫んだ。
「──アレが?まぁ、なんともお粗末な頑張りだね」
きっとこの馬車の行く先には辺境行きの馬車が待っているんだろう。
だからジェード様は迎えに来たんだ。きっとそれに乗ってしまえば後戻りは出来ない。
卒業祝賀パーティーでの出来事は両親や兄の耳にも入っている。
ただ、実害がないから、お貴族様が罰を望んでいないから、仕方なくエボニーを家に置いているだけなのも本当は気付いている。
でも、好きな人を信じていたかった。
あ、あとは?
あとこの状況から抜け出る為に、何か、何か──
「そ、そうだ。あたしはジェードさまと馬車で二人きりになりました。そういう人って他の貴族のお嫁さんにはなれないんでしょう?それに貴族は誤解されては困る異性とは二人きりにはならないって──」
なんとかしてこの結婚から逃れようとエボニーは必死にそう訴えた。
「え?そんなの君には関係ないでしょ。貴族じゃないんだから」
驚いているジェードの続く言葉に、エボニーは耳を疑った。
「・・・あれ?君、もしかして本気で僕が好きだったの?ごめんね、気付かなかったよ。でも平民が公爵令息となんてあるわけないよね──物語じゃあるまいし」
ふふっと柔らかに笑われて、気付く。
大好きな物語の中には身分違いの恋は沢山あった。
そう物語の中には──
馬車が目的地に着き御者がドアを開けステップを置く。少し離れたところに長距離移動用の馬車が見えた。
ステップを降りる途中で振り向きエボニーはジェードに尋ねた。
「あたしのこの結婚、メイズ伯爵令嬢が言い出したんですか?──」
エボニーがその名を出した瞬間、これまで柔らかな印象だったジェードの気配が、表情が一変し笑顔が消えた。
その冷たい見下すような眼差しは、まるで貴族のよう──いや、パーティーのあの日、それはよく分かったはずなのに・・・
「キャナリィの次はクラレットか──君のその短絡的な考えには呆れるね」
座席に置いてあった高級そうなジャケットを羽織ると、ジェードは長い脚を組みかえてエボニーを一瞥して頬杖をついた。
「ジェード様ははじめから私のことを利用したのですか?」
「いや?君が何も仕掛けてこなかったら何もしなかったよ。
貴族には貴族、平民には平民の世界がある。僕にしてもクラレットにしても、平民の方々がいなければ我々の世界が成り立たないことは重々承知しているんだよ。
でも君は僕のことを貴族の婚約者だと知っていたのに近付いてきただろう。
それなりの覚悟はあって貴族に近付いたはずだ。
だから僕も貴族のやり方で答えたまでのこと。修道院なんかじゃ、キャナリィが納得しないだろうからね」
冷たく言い放つジェード。
ああ、この人と私は住む世界が違うのだ。
エボニーはジェードに出会って、初めてそう理解した。
遅かったけれど。
エボニーは震える声で最後の質問を口にした。
「ジェード様はあたしのこと、少しも好いてはくれていなかったのですね 」
それを聞いて、ジェードは心底不愉快そうな顔をした。
「君を?人の寝顔を覗き見するなんて『気持ち悪い』とは思っていたが──
覗きか泣いているか・・・好意を持つ要素なんて一体どこにあるのさ?」
本当は気付いてた。だって今日、会ってから一度も名前を呼ばれてない。
「──そろそろ約束の時間だ。じゃ、結婚おめでとう。幸せになってね」
懐中時計を見てそう言うと、ジェードは面倒くさそうに御者に目線で指示を出した。
御者がエボニーを促し扉が閉められステップが外された。
最後に見たジェードはもうエボニーには興味がないと言うように、頬杖をついたまま窓の外を眺めていた。
その姿は貴族然としていて、でも、それでも、好きだと思った。
(──胸が痛いよぅ)
エボニーは、ジェードの乗った馬車を見送りながら借りっぱなしのハンカチをギュッと握りしめた。
涙はもう出なかった。
その後すぐ、エボニーは家族に見送られながら辺境に旅立った。




