あなたにその勇気があるのならね
「え?で、でも、『卒業後は私の所に来てもらって構わないよ』って言ってくれたじゃないですか。
名前だって呼んでいいって・・・貴族って名前を呼ばせるのは特別な人なんでしょう?」
必死にすがるようなエボニーにキョトンとしてジェードは答える。
「あぁ、君は商家の娘だろう?
家は兄が継ぐからか将来を不安に思っているようだったし、弟の婚約者が迷惑をかけたようだからクラレットに頼んでメイズ家の商会で雇ってもらおうと思ったんだよ。
それに平民は姓が無いから皆名前で呼び合うものなのだろう?以前聞いたことがあってね。だから許可したんだよ」
「え?そんな・・・え?なんでメイズ伯爵令嬢?」
「なんでって・・・クラレットは僕の婚約者だからさ」
その途端会場内がざわついた。この婚約はあまり学園では知られてはいなかったからだ。
クラレットがメイズ伯爵家の跡取り娘であることは有名な話である。
公爵家の長男が伯爵家に婿入り──キャナリィの件できちんと親に確認を取っていた生徒は知っていたが、本人の口から聞くとまた違った印象だ。
ジェードはあまり物事や発言内容を深く考えて行動しないところがあった。
今回もジェードがきちんとキャナリィに確認を取っていればこのようなことにはならなかったはずだった。
公爵を継ぐには致命的であると、早々に後継から外されていた。
ジェード自身も芸術を愛し堅苦しく生きるより気楽に生きることを望んでおり公爵になりたいとは微塵も思っていなかったことも一因だ。
他の貴族家に入るとしてもその家に迷惑をかけてしまうため──それでもと望む令嬢はいたが──婿養子に出すわけにも行かない。
そこで常に宝飾品や美術品等に接しており目利きも確かなジェードは古くからの付き合いで幼い頃から面識がある商会を営むメイズ伯爵令嬢の元に婿養子に出ることが決まったのだった。
クラレットはといえば別にジェードに惚れているわけではないため審美眼と眼識さえあればよいのだが、やはり自分の婚約者に気安くされるのは面白くない。恋情は無くとも将来の伴侶として十分な能力のあるジェードをクラレットは気に入ってはいるのだ。
「じ、じゃぁあなたが嫌がら「言っておくけれど私、調べはしたけれど手は出していないわ」
クラレットはエボニーの発言を遮るように言った。
「私、自分のモノに手を出されるのは不快なの。あなたはジェード様に手を出しただけではなく、大切なキャナ様を巻き込んだのよ。
それに色々ご自分で脚色なさっていたようですし。
──そもそも貴族の婚約者を掠め取ろうとしたのですもの。それなりの覚悟はあってのことでしょう?」
冷たい視線がエボニーに集まる。
「で、でも今手は出してないって」
怯えたように言うエボニーにクラレットは微笑んだ。
「私も貴族──伯爵令嬢でメイズ商会の跡取り娘よ。──平民の商会等一捻りなのに──わざわざ嫌がらせなんてリスクがあって面倒なことはしないわ」
今回はエボニーの話を怪しんだ生徒が家に持ち帰って家族に報告したが、キャナリィとクラレットが静観していたため貴族は手を出していないはずだ。
しかしこの話を持ち帰ったのは貴族の子女だけではない。
「これは定かではありませんが、わが商会と関係する平民の方も多いですもの。もちろん主だった方はジェード様が婿入りすることもご存じですわ。その婿に手を出す略奪女に嫌がらせもしたくなったのかもしれませんわね。でも今後もその嫌がらせとやらが続こうとも私には与り知らぬことですわ」
重ねてクラレットは言った。
「あぁ、将来のことを心配されていたのでしたわね。雇ってもよろしくてよ。わが商会は多数の貴族家からの信用を得、今では国一の規模を誇る商会。今回あなたの働きで皆さんの基本的な情報収集能力と対応を見せてもらうことができて、何人かめぼしい人材も見つけることができましたもの」
──勿論その逆も。
後継ではない下位貴族の就職先として人気のメイズ商会である。その跡取りの言葉の言外の意味を読み取り噂に踊らされていた子女は青ざめた。
キャナリィは自分に痛手は皆無だが『任せて』と言われた割にはクラレットがほとんど動いていないことを不思議に感じていた。
なるほど、次代の人材を篩にかけるために噂を放置していたのかと得心がいった。
平民の女生徒一人を犠牲にして。
「──但しあなたにその勇気があるのならね」
冷たく、挑戦的な視線をエボニーに向けるクラレットを少し離れたところから愛おしそうに見つめていたジェードがふとエボニーを見、悪びれもせずにニッコリと笑った。
ああ、ジェードも貴族だったのだとエボニーは思った。




