で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?
「キャナリィ・ウィスタリア侯爵令嬢。君はエボニーを平民だからと蔑み嫌がらせをしていたそうだな」
三年生を送る卒業式後の祝賀パーティーの最中、庇護欲をそそる可愛らしい女子生徒を纏わり付かせたフロスティ公爵家子息であるジェードは突然キャナリィ・ウィスタリア侯爵令嬢を名指ししそう言った。
「あら、ジェード様。本日はご卒業おめでとうございます」
とりあえず笑顔で祝辞を述べたキャナリィはその後スッと真顔になると
「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」とジェードに問うた。
「それはこちらの台詞だ。どうしてエボニーを執拗に苛めるのだ」
心底わからないと言った顔でジェードはキャナリィに問い返した。
★
キャナリィ・ウィスタリア侯爵令嬢は困惑していた。
最近何故か良く目にする平民の生徒がいる。
とても可愛らしい女子生徒ではあるが、視界の隅をウロウロしていたり建物の陰からジッと見ていたりするためあまり気持ちの良いものでは無かった。
しかしタイを見ると一年生であることが見てとれ、まだ学園での貴族との接し方に慣れていないのだろうし、立場的に視線を集めることも多いため見られることに慣れていたこともありわざわざ声をかけ指摘することでも無いと放置していた。
そもそも高位貴族が気軽に平民に声を掛けるものでもない。
しかしその日は状況が違ったため流石に声を掛けた。
女生徒が平民と下位貴族が在籍する一般クラスの授業とは無関係な場所というだけでなく、一般クラスの生徒の立ち入りが制限されている場所に現れたためだ。
「あなた・・・一年生だからご存じないのかもしれませんがここから先は平民の生徒は入れませんわ。近寄ることも避けた方がよろしい場所ですよ」
この学園は王都に住まう貴族の子女と共に少数の平民も通う学園である。
平民とはいえ、裕福な商人の子女が貴族との関わり方や礼儀作法を学び顔繋ぎをするために先行投資として高額な授業料を支払い通ったり、勉学で優秀な者や騎士の素質を認められた一部の者が貴族の推薦で入学したりするものであり、誰にでも門戸を開いているわけではない。
また下位貴族の子女は在学中に将来の片腕となる者、護衛騎士や文官、侍女など家で雇うものを見定めたり、将来商会を継ぐ者等を見定めたりする。勿論その生徒を推薦した者はその貴族家と縁が出来ることになる──とまぁ、様々な思惑もあり現在の体制となっている。
しかし平民の商会を利用することがなければ使用人に身元のはっきりしない者を雇用することも無い上位貴族と平民が同じクラスで机を並べるわけもなく、王族と公・侯爵、一部の成績優秀者の属する特別クラスは制服も違えば校舎だけでなくきっちりと敷地も分かれている。
そこは一般クラスの生徒の出入りは固く禁じられており、現在は王太子殿下も在学中であるため平民は近寄るだけでも衛兵に拘束されることすらあるのだ。
それは入学説明会でも注意するよう説明がなされていたはずだ。
「す、すみません・・・」
その平民の女子生徒は一瞬嬉しそうな顔を見せたが直ぐに泣きそうな顔になり、何故かガッツポーズをしながら走り去ってしまった。
「私の言い方が悪かったかしら?」
怯えさせてしまったのかしらと、キャナリィは思った。
隣を歩く同じ特別クラスのクラレット・メイズ伯爵令嬢も同じく困惑した表情で
「そんなことは無いと思います。逆にキャナ様は優しいくらいでしたよ。他の方なら衛兵を呼んでいたと思いますし。
でも喜んでいたようにも見えましたね・・・なんでしょうか」
とつぶやいた。
★
「やっと!やっとだ」
エボニーは走りながらも嬉しさのあまり笑ってしまいそうになるのを必死に耐えた。
キャナリィ・ウィスタリア侯爵令嬢の回りをうろつくこと数ヶ月。やっと声を掛けられた。
しかもなんとも都合の良い台詞を!
エボニーはいつもお目当ての人物が昼寝に使っているベンチに向かって走った。あの侯爵令嬢の婚約者であるフロスティ公爵家の令息だ。
入学してすぐの頃、昼休みに学園内を見学して回っていて迷子になったエボニーは入学説明会で近寄ってはいけないと言われていた特別クラスの敷地に近いところまで来てしまっていた。
衛兵に捕まってしまうと平民は一発退学と入学説明会で言っていた。エボニーが慌てて戻ろうとしたとき、ふとベンチで寝ている男子生徒を見つけた。
制服から特別クラスの人だとわかったし、平民から貴族に話しかけるなどいけない事だとは知っていたが『道を聞くために』という理由を免罪符に吸い寄せられるように男子生徒に近付いた。
そして間近で彼を見た時、その寝顔の美しさに一目で恋に落ちてしまった。
その時は起こさない様にそっとその場を離れたが、それ以来昼休みのたびに木陰から見守るのが日課になった。
彼は高位の貴族で学園内では有名人だったため、すぐに名前を知ることが出来た。
「ジェード様・・・」
どうにかしてお近付きになれないだろうか。
声が聞きたいし、言葉を交わしたい。間近で瞳の色を見てみたい。──エボニーと名を呼ばれたい。
この状況は今巷で流行っている恋愛小説の様だとエボニーは思った。
色々読み漁っていたのでどの本かは忘れたけれど、身分違いの恋の話もいくつかあったから。
そしてヒロインが彼に向ける気持ちに気付いた彼の婚約者が、ヒロインに嫌がらせをするのは定番。
嫌がらせのことを令息に相談することで次第に恋が芽生えるのもまた定番だ。
エボニーはフロスティ公爵令息の恋人になることを夢見て、綿密な計画を立て偶然を装い彼との運命の出会いを果たすことに成功した。
今では時折言葉を交わすこともあるが所詮貴族と平民だ。友人の域にも達していないことは分かっている。
顔見知りになるという第一歩を成し遂げただけだ。
エボニーは次のステップに進むためキャナリィ・ウィスタリア侯爵令嬢に嫌がらせをされるのを待ったが、なかなかその時は訪れなかった。
まだ彼との距離を詰められて無いので令嬢の眼中に無いことは分かっているが、一歩進むためにも嫌がらせをされたという事実がなんとしてでも欲しいのだ。
しかしエボニーも馬鹿では無い。
貴族相手に嫌がらせをでっち上げても良いことは無いと言うことは分かっている。
分かってはいるが、一向に訪れないその時にしびれを切らしたエボニーはウィスタリア侯爵令嬢の後をつけ、やっと待っていた言葉を掛けられた。
「平民ごときが近寄るな」と。
若干違う気もするが、小説に脚色はつきものだ。
フロスティ公爵令息より早くベンチにたどり着いたエボニーは泣きながら大好きな彼に声を掛けられる瞬間を待った。