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第9話


「あ、あはは……!」


 家庭科室に入っていくめぐみの後ろ姿を、芙実が強烈に(にら)む。もう良い。蛍にその顔を見られても何とも思わない。今はこの、栗野めぐみの表情を(ゆが)ませないと気が済まなくなっていた。

 その形相(ぎょうそう)は、誰もが知る黒澤芙実の面影(おもかげ)すらない。彼女の中に眠る鬼を、めぐみは呼び起こしてしまったのである。


(決めた。この女は必ず潰す。例え《《アレ》》がバレても――)


 芙実がそんなことを考えている一方で、めぐみはしっかりと蛍の隣に陣取った。抜かりのない行動は、芙実にとってまさに火に油。これまで話したことがなかった二人だが、ものの数分でハッキリと敵対構造ができあがってしまった。


「オムライス作ってるんだ」

「そうそう。がっつり食べたかったから俺としても嬉しい。てかよく分かったな」

「まあ、この様子を見たらある程度は」


 二人の会話はもちろん耳に入っているが、あえて何も言わなかった。ここで二人の間に参入したところで、大した話は出来ない。むしろ栗野めぐみに対する嫌悪感が露骨に表れ、家庭科室を地獄に変貌(へんぼう)させてしまう恐れがあった。

 芙実はそんな感情を押し殺して、昨日の部活で炊きすぎた白米を冷蔵庫から取り出し、レンジでほどよく温める。蛍の言うとおり、一人で消費するにはかなりの量である。

 めぐみと戦争中であるが、目の前の料理に関しては非常に冷静だった。自身のスマートフォンに映るレシピ通りに作る。あくまでも基本に忠実に。出来ないことは出来ないのだから、背伸びはしない。それが黒澤芙実の考え方。例えムカつく相手でも、マズイ料理は作りたくなかった。


「そういや、栗野と部室以外で話した事ってないよな」

「部室でもそんな話さないけど」

「そ、それを言うなよ。数少ない趣味を共有できる《《仲間》》なんだからさ……」

「……何ソレ。そんなこと言って恥ずかしくないの?」

「まあ事実だし」

「そんなハッキリ言わないでよ……」


 ――否。芙実は温めた白米をフライパンに《《叩き入れ》》、ヘラでその塊を砕いていく。その粒が粉々になるのではないか、と第三者が見れば思うほどの力の入れ具合。使い古した木のヘラが彼女の《《暴力》》に耐えられるとは思えなかった。

 は? 何? 何いちゃついてるの? そんな二人のために私は何をしているの? 私は家政婦か何か?――。


「あのさー栗野さん。本でも読んでたら? 船島くん困ってるように見えるけどな」

「え、いや俺は別に――」


 手元ではチキンライス用の白米が燃えている。家庭科室全体を見れば、栗野めぐみと黒澤芙実の間が確実に炎上している。そして、その間に座っている船島蛍の声は二人に全く届かない。めぐみはおもむろに立ち上がる。


「あらごめんなさい。《《すごく集中》》されてたから聞こえてないと思ってた」

「栗野?」

「そうだねぇ。あなたが出て行ってくれればもっと集中できるんだけどぉ」

「黒澤?」

「それなら《《私たちは》》部室に行こうかな。お料理は……別に興味ないですし」

「めぐみさん?」

「私もあなたには作りたくないからご自由にどうぞぉ。空腹の船島くんを連れ出すことができるならねぇ」

「芙実さん?」


 そしてようやく、蛍は自身がとんでもない大罪を犯したと実感する。

 明らかにこの二人は『水と油』である。一生分かり合うことがない悲しき存在。その証拠に、家庭科室には彼を含めて3人しかいないが、この二人の圧迫感で窒息(ちっそく)してしまうような錯覚に(おちい)っていた。

 コイツらそんなに仲悪かったっけ。そもそも喋ったことあったのか。一体なんなんだコレは――。蛍は必死に頭を回転させるが、まずはこの状況を鎮火することが重要と判断。立ち上がって「まあまあ」と(なだ)めに入った。


「ちょっと落ち着けって。二人ともそこまで言うことないだろ?」


 当たり障りのない言葉だ。まずは様子見、という意味合いもあった。だが、それにより彼の両隣に立っている二人の視線が集中することになる。


「船島くんが誘うからこんなことになったんだよ!」

「そうだよ。変なこと言わなかったら《《気分良く》》帰れたのに」

「俺のせい!? お、お前らがそんな感じだとは知らなかったからさ……」


 視線だけではない。この状況に追いやられたという不満、苦情、苦痛、叫び。全ての負の感情が込められた言葉の(やいば)。それが容赦なく蛍の心を(えぐ)りにかかった。

 栗野めぐみが抱いていた『彼の昼食をもらってしまった』という思考は、この場においては全くの無力。むしろすっかり消え失せていた。ただあるのは、彼を(もてあそ)ぶ黒澤芙実に対する(いきどお)りだけ。この《《焦げ臭い匂い》》すらも全てがムカついていた。

 その黒澤芙実もそうだ。ただの気遣いでしかなかった。それに自身の都合を掛け合わせて、上手いこと昨日の冷やご飯を処理しようと考えていた。空腹状態であれば、多少失敗しても『美味しい』と言ってくれるのではないか、と負けず嫌いな彼女は考えた。ところが、《《その優しい彼のおかげで》》、自身の計画は台無しになる。


「ならどうすれば良いんだよ。俺が出て行けば良いのか?」

「そういうことじゃないもん!」

「それはズレてると思う」

「お前ら本当は仲良いだろ?」


 芙実は精一杯可愛い子ぶって反論する。だがその行動は、決して美少女とは思えないほどにケチャップを握りつぶし、フライパンへ吐き出す。怒りに身を任せて、あるいはその焦げ臭さを誤魔化すように。ヘラを掻き動かして悲しみという名の水分を弾き飛ばそうとしている。

 蛍は頭を掻いて、いったん腰を落とした。それを見ためぐみも少し落ち着いたのか、彼に続いてその丸椅子に座った。


 それから数分は会話がなかった。蛍としては苦痛でしかなかったが、この場を切り抜ける都合の良い言葉が見当たらなかった。テーブルに両肘をついて、頭を抱えていると、めぐみが口を開いた。


「ごめん。言い過ぎた」

「栗野が謝った!?」

「人をなんだと思ってるの」

「あはは。冗談だよ」


 めぐみは謝罪して損した、なんて考えた。思ったよりも、彼は平然としていたからだ。平気で笑って頬を指で掻いている。船島蛍という人間を表した行動そのもののようで、彼女の胸が小さく鳴る。

 少し冷静になった芙実も、二人の会話に耳を傾けていた。完全なとばっちりであったが、それも笑って受け流して平然とこの場に居る。自身が凄んだ男はみんな――なんて考えたせいでオムライスの肝である卵が破けてしまった。まあいいや。あの女にあげよう。エサだよエサ――。


「できたよ」

「おお、ありがとう。お疲れ様」


 紆余曲折(うよきょくせつ)あって完成したソレが蛍の前に登場する。それは彼が想像した以上にオムライスの形をしていて、チキンライスが綺麗に卵に包まれていた。ただ蛍も日本人特有のくせで、めぐみの分が来るまでは手を付けようとしなかった。やがて芙実が彼女の前にそれを差し出す。


「ニワトリのエサ?」


 めぐみが思わず漏らしたインパクトとパンチの効いた発言。蛍は背筋が凍る。


「おまっ……なんてことを……!」


 とは言ったものの、彼女の前に差し出されたそれは、確かに自身のとは見た目が全く違った。

 チキンライスの上にぐっちゃぐちゃになった卵が散乱していて、それをオムライスと呼ぶには無理があった。無論、それは作った張本人も理解の上だ。


「ニワトリさんの方が美味しく食べてくれるかもね」

「く、黒澤。俺食うからさ、栗野はもう帰して良いか?」

「どうして? 栗野さんを誘ったのは船島くんでしょ?」

「そうだけどさ。なんか毒とか入ってる気がして」

「私をなんだと思ってるのカナ?」


 その会話を聞いていためぐみは、思わずクスクスと笑ってしまう。今日、家庭科室に入って初めての純粋な笑みであった。


「良いよ船島君。私がいただくから」


 そう言って、彼女はスプーンを口に運ぶ。咀嚼(そしゃく)して、なんとか喉を通過させると、めぐみは芙実の顔を見つめて笑った。


「びっくりするぐらいマズイ」


 やはりこの二人は、水と油であった。

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