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第8話


「あなたが気にするから、本は読んでるように見せてるだけだよ。あれは見せかけ。彼は静かな環境でしか本は読めない性格だから」

「へえそうなんだ。でも私だって話しかけたりはしてないし、別に問題ないと思うけど」

「彼の貴重な時間を奪わないでほしい。船島君がどれだけ本を好きなのか分かってないよ」

「……あのさ。船島くんが本だけで生きてると思ってるの?」

「思ってるよ。放課後の彼を見ていたら、そう思う」

「ふーん……」


 口調こそ冷静であるが、二人の間には間違いなく火花が飛び散っていた。仲裁しようものなら、その人間が大火傷(おおやけど)を負ってしまうほどの電撃だ。

 注目の的である黒澤芙実であるが、普段とは違う雰囲気を(まと)っているせいで今は誰も目線を送ろうともしなかった。

 それにも増して負のオーラを纏っているのはめぐみだった。いや、飲み込まれていると表現した方が良い。芙実の瞳をしっかりと(とら)え、彼女の口から出てくる言葉全てを打ち返そうとしている。


「随分彼を買っているんだ」

「船島君は……本当に本が好きな人だから。生活の中でどれだけウェートを占めているかは分かっているつもり。少なくとも、《《黒澤さんよりは》》」

「へえ。さすがは同じ文芸部員。それとも、《《ソレ以外の何か》》があるのかな?」

「ないよ。何も」


 めぐみの自信満々な表情と返答。芙実はそのキリッとした目を細め、彼女の瞳を覗き込む。眼鏡の奥にあるソレは、芙実が思っている以上に野心的で、毒の色に染まっている。いま目の前にいる自分自身をその毒針で突き刺しそうな。

 本だけで生きている――。そう断言する辺り、めぐみは相当な自信を持っていた。少なくとも、放課後という時間を共有する仲として。芙実はその勢いに一瞬飲み込まれそうになるが、なんとか踏ん張る。そして気づく。その理論の唯一にして最大の欠点に。


「栗野さんって普段の船島くんを知ってるの?」


 その言葉の意味が分からない人ではない。芙実と同じように一瞬のためらい。固唾を飲み込んで反撃に転じようとするその一瞬の隙を、彼女は見逃さなかった。


「本だけで生きてるなんてすごく視野が狭いと思うな」

「それは言葉のあやだけど」

「じゃあ、今日彼がずっとお腹を鳴らしてたのは知っている?」


 瞬間、めぐみの眉間に若干のシワが生まれた。それを見落とさなかった芙実は、カマをかける。


「グーグー鳴ってたから聞いたら、お昼抜いたんだって。それで私の練習のついでに食べてもらおうと思っただけ。私、何か悪いことしたかな?」


 めぐみは完全に失念していた。その可能性を。

 冷静に考えればそうだ。芙実が蛍のことをどう思っているのか知る由もないが、少なくとも家庭科室で料理を振る舞うというのは彼を思っての行動。そして同時に、自身のせいでこうなった。いわゆる《《自業自得》》であると、急に姿を見せた理性が訴えてくる。


「……すごく優しいんだね」


 でも負けではない。認めてなんかない。最後の意地みたいな何かが、その言葉を引き出した。しかし、それを聞いた芙実は思い切り口角を上げる。


「そうでしょぉ? だからこの場合ってぇ、優先されるのは私じゃないかなぁ?」

「ぐっ……」


 勝負を決めにきた芙実は、思い切って一歩前に踏み出す。めぐみとの距離を詰めることで、心理的にマウントを取りに来たのだ。トドメと言わんばかりに語尾を伸ばして、めぐみの感情を煽る煽る。

 黒澤芙実――。この女は誰もが認める秀才で努力家。である一方、大の負けず嫌いで非常にケンカっ早い性格であった。このことを知っている藤高生はおらず、彼女は2年生になって始めて自身の一面を披露した。無論、当の本人は隠し通すつもりで入学しているのだが。


 めぐみも口は達者な方だが、この場合は完全に分が悪かった。そもそもの話、蛍が家庭科室に居るのも自身に非があるわけで。

 芙実から視線を逸らして、その場を立ち去ろうとする。ここで謝罪すれば完全敗北を認めてしまうため、何も言わず彼女に背を向ける。芙実もそれで全てを察したが、謝罪を求めるほど怒っているわけではない。ただ、この女(めぐみ)には負けたくなかった。それだけである。


「――栗野? どうしてここに?」

「……えっ」


 しかし、そんな彼女を呼び止めたのは、紛れもなく――。

 さまざまな感情が湧き上がる中で、向けていた背中はクルリと反転する。

 船島蛍だった。家庭科室のドアを開けて、半身だけ廊下に出て二人の様子を不思議そうに見ていた。


「あー……えっと」


 ここに来ての蛍の出現は、めぐみにとって助け船であることは間違いない。しかし、普段の蛍に対する態度はどうか。素直になりきれない自分自身が居ることで、この状況を打破するには至らない。だから狼狽(うろた)えるしかなかった。


「船島くんのことをお迎えに来たんだって。部活に顔出さないからさ」


 彼女をフォローしたのは芙実だった。先ほどまでナイフのような言葉で切りつけていたとは思えない優しい声である。舐められているような気がして、めぐみは目を細めて彼女を見る。


「あーしまった。連絡してなかったな。悪い」

「う、ううん。押しかけてごめん」

「そんな謝らないでくれよ。俺の方が悪いんだからさ……」

「船島君は悪くないよ。元はと言えば――」


 めぐみは改めて後悔する。あの時(昼休み)、無理にでも断れば普通に部室へ来ていたに違いない。それが出来なかったから、今こうして目の前の女に胃袋を(つか)まれようとしている。だから、元はと言えば、なんて自然と口から出た。


「あぁいやいや! それは関係ないから」


 けれど、蛍は察知する。めぐみの口から出てこようとした言葉を。そんな彼に、芙実は不思議そうな視線を送る。


「なにかあったの?」

「いいや何も」

「……ふーん」


 追及はしない。しないが、芙実の視線には明らかに毒が込められた。

 嘘を吐いている。あるいは、何かを隠している。彼女の目から見てもそれは明らかだった。

 対照的に、めぐみの瞳が光り輝いていく。黒澤芙実という美女の手料理を前に、私なんかを切り捨てることもできたのに。でも、それはしなかった。彼は私を守ってくれた。こんな私のちっぽけな名誉なんかを――。

 同時に気づく。彼は芙実の手料理に()せられたわけではない、もっと言えば、彼女のことは一人の女子高生としか見ていない、と。無論、めぐみ自身も例外ではないのだが、当の本人はそれに気づくはずもなかった。


「じゃあ私帰るから。邪魔してごめんね」


 そう自分で結論づけると、途端に心が軽くなった。そこまで考えるまでもない。彼は彼。私が《《よく知っている》》船島蛍のままなのだから――。それが目線となって芙実にぶつかる。


「あ、そうだ」


 めぐみが二人に背を向けようとすると、またも蛍が呼び止めた。彼の表情を見ると、言葉の通り何かを思い出したような顔をしていた。

 しかし、その視線は黒澤芙実に向かう。


「なあ黒澤。栗野にも食べてもらったどうだ?」

「え、ええっ!?」


 あまりにも想定していなかった言葉に、芙実は驚いた。


「ど、どうして?」

「だってさっき、冷やご飯めっちゃ余ってるって言ってたし」

「そ、それはそうだけど……」


 芙実はチラリとめぐみに視線をやる。彼女も蛍の発言の意図を理解していないようだった。確かに、彼にはそのように発言していた。だがそれにも狙いがあった。芙実だけが考える狙いが。

 しかし、このバカ真っ直ぐな蛍は、彼女のためを思って提案したのだ。そこまで把握し切れていなかった芙実にとって、完全に裏目に出た展開だ。


「まあ作ってくれるのは黒澤だし、無理は言わないけどさ」

「……ずるいよその言い方」

「なら良いか?」


 嫌味のつもりで言ったが、蛍はそれを待っていたかのように笑った。

 あぁなるほど。私がそう言うの分かっていて、《《ワザと》》選択権を譲ったんだな――。芙実は動揺を通り越して感心すらしてしまった。

 1年の頃から同じクラスでありながら、まだまだ知らないことが多い。運動部みたいな見た目をしているのに文芸部であるそのギャップのように、船島蛍という人間は人々の興味を惹くに値する。


「分かった。栗野さんが良ければね」

「お邪魔じゃなければいただきます」


 ――邪魔に決まっているけどね。芙実が心の中で毒づく。

 家庭科室に入っていくめぐみは、立ち止まって芙実に向かい合う。そして言う。強気に、嫌みったらしく、叩き潰すように。


「黒澤さんの手料理かぁ。美味しくない、なんてわけないよね」


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