第七話:因果①
――東京都墨田区――
東京スカイツリーを背もたれにして微動だにせず座り込んでいる。
そんな“ヤツの姿”が目に入った。
本日の出現場所は神奈川県川崎市。
それから20分ほどで東京都墨田区へ移動した。
その後、疲れ果てたのか飽きたのか。
東京スカイツリーを背に座り込む。
後はそこから動く様子はなかった。
全く、自由なヤツだ。
「八久舎君、周辺住民の避難はまだ終わらないの?」
甲高い耳障りな声が聞こえてきた。
「今回の出現転移ポイントは川崎市だったので隣接の区や市の住民に対する警戒指示が遅れました。その為、もう少し時間が掛かりそうだと麻理亜さんから連絡をもらってます。申し訳ございません」
「君は本当に仕事が遅いねえ。もっとチャチャッとやりなさいよ」
何でオレがこんなやつに謝罪しないといけないのか。
ヤツが動き出した時点で進行方向の都市部の住民を避難させた方が良いとオレは言った。
それなのに余裕ぶっこいてたのは誰だ。
お前だよ、八荒氏。
そんなオレの気持ちを察する様子もない。
八荒氏はさも自分には非がないと言わんばかりの深い溜息をついた。
苛立ちさえ隠そうとしない。
「これ以上の被害拡大は極力避けたいのよ。善良な一般市民を守る事は我々の任務なのだからね。でもね、避難に手間取って目の前の敵を逃がす事は避ければならないのね。我々の最重要課題はヤツを滅する事。それは選ばれた我々にしか出来ない崇高な使命なのだから。お分かりだよね、八久舎君」
また始まった。
自分の言葉に酔ってる選民思想。
コイツも相当な危険人物だ。
そもそも川崎から東京まで移動を許してしまった。
その時点で尋常でない被害が出ている。
今日、日本地図に新しい道路が加わった。
その道は幅500m程度で川崎から東京スカイツリーまで一直線に伸びている。
その直線上に存在していた人間の作ったもの。
それは有無も言わさず全て破壊された。
木々や河川も踏みつぶされて跡形もなくなった。
まさに人外ならざるモノの所業。
上空700mからヤツを見下ろしていたオレが後ろを振り返る。
そこには破壊された街が広がっていた。
いたるところで火災が発生している。
数えきれないほどの黒い煙が立ち昇っているのが見えた。
八荒氏が付いてこいとジェスチャーを送ってきた。
オレは大きく頷き宙を羽ばたきながら彼の後を追った。
――ヤツ。
それはある日突然現れた正体不明の怪物。
最初に現れたのは中国四川省の都市部。
中国神話に登場する怪異に似ていた。
そんな理由で渾沌と名付けられた。
その容姿に掴みどころがない。
その為、一部の国からは混沌と呼ばれている。
全くもって理不尽な存在。
渾沌は目と鼻と耳がない。
鋭い牙の生えた口が顔の下側半分、上側半分はのっぺらぼうで何もない。
手足は短く熊のような姿をしている。
しかし手が4本あるので熊とは言えない。
身長は約600m。
全身を巨大な鱗で隙間なく覆われていた。
某国が撃退の為に核弾頭で攻撃した。
だが傷一つ付ける事すら出来なかった。
尾の長さは3,000mで直径200mある。
一振りするだけで見える範囲全ての存在が消し飛ぶ威力。
ネットの世界で破壊の衝動と命名された。
それからしばらくの間SNSでトレンドワード1位。
お祭り状態になるほどだった。
そう、ヤツは世界の常識を変えるバケモノ。
瞬く間に話題の中心になっていった。
当たり前のように世界の脅威として受け取る者。
また、その存在を世界の新しい秩序の誕生として好意的に受け取る者。
午前0時から午後10時59分までの間に人間が出現転移ポイントと呼ぶ漆黒の球体が地上400mの空中に突然出現する。
大きさは直径300mくらいだろうか。
出現回数は1日1回。
出現する時間や場所に規則性はなくランダム。
そして、ちょうど10分後に漆黒の球体の中から渾沌が窮屈そうに出てきて姿を現す。
この10分は人類に与えられた逃げる為の救いの時間なのか。
それとも悔い改め全てを受け入れる懺悔の時間なのか。
その理由は未だに分かってない。
そのまま50分間自由に過ごした後。
つまり漆黒の球体出現から60分で渾沌は姿を消す。
黒い靄に全身が覆われ、文字通り消えてしまうのだ。
問題は渾沌の50分の過ごし方だ。
これもまた規則性がなかった。
出現後、微動だにせず50分経過した事があった。
またある日は地面に顎を付けて大きな口を開いたまま巨大なブルドーザーのように地上を這いずり回る。
人間や動物だけでなく木や草まであらゆる生命を食らい尽くす勢いで何もかも飲み込んだ。
傍から見たら食事とも言えるその行為を黒い靄に包まれて消えるまでの間ひたすら続けた事もあった。
飲み込まれた人たちの行方は未だ不明である。
渾沌自身の尾の先端を自分で捕まえようとしている日もあった。
渾沌が尾の先に向かって進み始めると当然ながら尾も動いてしまう。
なかなか捕まらない。
渾沌は苛立ったのか尾をブンブン振り回して都市を一つ壊滅させた。
出現と同時に暴れまわった事もあった。
足元から見上げたところで顔を拝むことの出来ないくらいの高身長。
その身長600mの巨大な体で縦横無尽に飛び跳る。
そして駆け回る。
170cmの人間の足元に身長5mm程度の小人の妖精。
さて、人間は小人の存在を気を止めるだろうか。
一寸の虫にも五分の魂。
常に足元を気にしている心優しき人。
そんな人は小人の妖精を踏まないように気を付けて歩くだろう。
では一切の良心持たずに本能のまま動く無邪気な人物。
このような人物だったらどうだろうか。
足元なんて気にしないどころか群れている蟻の行列。
それを見かけたら率先して踏み潰すのではなかろうか。
理由なんて特にない。
群れている蟻を踏むのが愉しいから踏む。
ただそれだけだ。
渾沌も同じ感覚だったのかもしれない。
足元でチョロチョロ動く人間や車、戦車をペシャンコにするのが愉しい。
だから踏む。
尾を振りまわして全てを薙ぎ倒し吹き飛ばすのが愉しい。
だから3,000mの尾を傍若無人に振りまわす。
こうしてたったの50分で東京都狛江市は壊滅した。
狛江市の人口の90%が50分でこの世界から消えた。
365日発生する、被害状況に一貫性のない人類史上最悪の災害。
それこそが渾沌。
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