第六話:転生したら猫でした⑥
――カイモン卿領内、北の外れ――
木々の生い茂る鬱蒼とした森の中。
未だ人の踏み込んでいない未開の地。
間伐は一切されていない。
昼間にも関わらず太陽の光の届かない薄暗い闇の領域。
そんな森の中に人間の背丈ほどまで成長を遂げた草木。
その間をかき分けながら突き進む純白の完全板金鎧の男性と一匹の大きな犬。
カイモン卿の騎士団長と相棒のレオナードである。
一人と一匹は猪狩りの猟師組合の無精ひげを伸ばした筋骨隆々の組合長から聞いた情報を元に、森の中であるモノの捜索をしていた。
それはカイモン卿の領内に在ってはならないモノ。
「相棒、おかしな気配を感じたら教えてくれよ。この森は万が一があるからな」
レオナードは時折頭を上げて周囲を確認した。
鼻をクンクンさせて慎重に歩を進める。
数日前に降った雨の影響か。
所々ぬかるんだところがあり泥はねで足元は茶色に汚れていた。
不測の事態に備える。
周りを警戒しながらレオナードの隣りを歩いていた騎士団長。
「ワン!」と吠えて突然駆け出した相棒に「見つけたか」と鋭く言い放つ。
板金をガチャガチャと響かせて後を追う。
もはやどこから伸びているのか分からないくらい複雑に密集しているツタを剣で斬る。
幾重にも重なって大きな塊のようになってしまった濃紺の葉の束を手で払い除ける。
騎士団長は視線を先に飛ばして相棒の後を追った。
足早に進む。
草深い茂みを5分くらい歩いた一人と一匹。
やがて木や草の生えていない土だらけの場所に着いた。
軽自動車を2台は駐車できる広さだろうか。
そして、その先には高さ10mはあろうかという垂直に切り立った崖が聳え立つ。
崖の下部には人ひとりが立ったまま入れるほどの穴がぽっかりと開いていた。
相棒のレオナードはその穴に向かってワンワンと威嚇するように吠えた。
まるでここに何かがあると騎士団長に一生懸命教えているようだ。
「おお、こんなところに洞窟があったのか。相棒、この先に行けば良いのかい」
騎士団長は右手に剣を構え左手で松明を持つ。
そして慎重に洞窟の中へ入っていく。
レオナードは一緒に行かず外で待たせる事にした。
洞窟の外で何か不測の事態が発生したら大きな声で吠えて教えてくれるだろう。
薄暗い穴の中は入口の大きさから想像していたよりも天井は高く横幅も広い。
人間二人が並んでも窮屈を感じない程度の幅だ。
天然の洞窟を人工的に拡張したような雰囲気がある。
歩きやすい。
程なくして彼は行き止まりに辿り着いた。
そこは森の中と同様、外の世界を照らし続ける筈の太陽の光が一切届かない場所。
松明の灯りを頼りに目を凝らして辛うじて見えるほどの暗闇。
加えてじめっとした湿気。
ちょっと陰気な感じのする小部屋のような空間がそこにあった。
ピチョンピチョンと天井から雫の垂れる音が響いている。
時どき松明の炎が小さく揺らいだ。
通常であればこういった場所で松明を灯し続けると頭がくらくらし始め眩暈や吐き気に襲られるのだが、そういった症状は一切出てこない。
どこからか分からないが風が流れ込んできて、体調不良にならないような仕掛けが施されているのだろう。
間違いなくここは人の手の加わった人口の洞窟だ。
ガチャっと音を立てながら騎士団長はしゃがみ込み松明で足元を照らした。
自分の考えを肯定する材料を探す為だ。
しばらくすると部屋の中央付近に焚火を行っていた形跡を見つけた。
そこには僅かだったが灰が残っていた。
彼は持っていた剣を地面に置き、その灰を右指でつまんだ。
湿気の多い場所の為か灰は既に固まっていた。
ここで焚火が行われてから相当日が経っている。
「この洞窟は住居ではないだろうな。普通に生活しているだけであれば焚火の痕跡を消す必要はないからな。そうだとしたら、おそらく何かの拠点として洞窟を使っている事になるか。ん~、ここまでしないといけないとなると……」
他に残されたものはなかった。
誰がどんな目的で洞窟を作ったのか。
何故この場所で焚火をしていたのか。
それを示すものはここには残されていなかった。
そう、ここには……。
騎士団長は来た時と同じく、剣と松明を携えて洞窟の外へ向かって歩いた。
出口が近付くにつれて徐々に洞窟内が明るくなる。
騎士団長は松明の灯りを消し、光のわき出る方へ向かって足を進めた。
外へ出るといつも以上に太陽の光を眩しく感じた。
思わず目を細めて苦虫を噛み潰したような表情になってしまった。
いつの間にか雲一つない清々しい青空が広がっている。
夏らしい爽やかな空模様だ。
ふと周りを見渡すと相棒の姿がなかった。
これが猫だったら目を離した隙にどこかへ行ってしまう。
そんな事もあるだろう。
しかしレオナードは厳しい訓練を受けた犬である。
今回のように待機させていた事は何度もあった。
だが行方不明になるなんて事は今まで一度もない。
まさか、何かに襲われたのか。不吉な予感が頭をよぎる。
騎士団長は両手で剣を構えると大きく深呼吸を繰り返し息を整えた。
周囲の音に変化が生じた時にすぐ捉えられるよう耳を澄ました。
周辺に人や獣の気配がないかを探る為に鷹の目のような俯瞰的感覚を広範囲に飛ばす。
それは数えきれない多くの死地を生きながらえ乗り越えてきた騎士団長が編み出した独自の技。
或いは数多の戦場での経験が蓄積された結果生まれた。
何とも説明しづらい第六感としか表現のしようのない奇跡の能力。
不意にガサガサと茂みが揺れた。
騎士団長は音の聞こえた方向に剣先を向ける。
しかし緊張感が場を支配したのは僅か一瞬だけだった。
流れる空気の中にいつもの雰囲気を感じた騎士団長は静かに声を掛ける。
「相棒……?」
その言葉に反応したのか、茂みの中からレオナードがひょっこり顔を出した。
「おいおい、どこに行ってたのさ。心配したんだぜ」
拍子抜けした騎士団長をよそにレオナードは尻尾をバタバタ振りながら近寄ってきた。
口に何かを咥えて嬉しそうな表情だ。
そしてそのまま騎士団長の前まで来る。
咥えていたものを地面に置いた。
褒めてくれと言わんばかりに舌をだして騎士団長を見つめてくる。
「相棒、これは何だい」
騎士団長は置かれていたものを拾い上げマジマジと見た。
ところどころに土の付いている衣類または防具の一部。
どこかに落ちていたのだろう。
とても軽く表面はザラザラしている革製品。
形状から想像するにおそらく手甲。
そういえば、同じものを最近見た事がある。
ただ、これには血の跡が付いている。
この付近で何があったのか。
「……これはあの時の間者が装備していた手甲だろうか。これはサメ革。あの一件のあとに調べたところ、サメ革の加工技術を持っているのは千年王国の革加工職人組合だけ。我が領内の民が行商人から購入したとしても、このような山奥に落ちているのは不自然。猟師組合の組合長の見たのは傷付いた体を引きずりながら山の奥へ去っていった人物という事だが……。どこかの国の間者だろうと予測はしていたけど、こうなると千年王国の手の者と考えるのがやはり妥当か。ん~、かの大国を相手にするとなると多大な犠牲を払う事になるなあ。それにしても、千年王国から我が領内へ辿り着くにはショウゴモリ辺境伯の領内を通過しなければならない。辺境伯領内の検問や警備体制は一体どうなっているのか。それとも、あの時の間者と同程度の力量の者が千年王国には大勢いるのか」
カイモン卿にとって千年王国は非友好国。
現時点で明確な敵国ではないが衝突する可能性の高い最大最悪の仮想敵国である。
遠くない未来に千年王国が領土を広げる為に周辺へ侵攻するだろう。
それはカイモン卿及び騎士団長の見立てだった。
――ヤクシャの回顧――
すこしゼンセについてかたろう。
これはイマダおもいだせないキオクのモノガタリ。
オレがニンゲンだったコロのはなし。
それはトツゼンあらわれた。
そしてそのひをサカイにオレたちはメザめた。
それは、《救済の力を授かった人》。