第十八話:救済の力①
八幡神教正殿へ出発してから50日が経過。
いよいよ今日、マリア様が帰ってくる。
屋敷の女中たちは口々にマリア様マリア様とご主人の名前を出しては嬉しそうに晩餐の準備を始めていた。あちらこちらでその光景を目にする度に、オレのご主人は結構好かれているんだなあと、改めて感じる事が出来た。
また、マリア様の旅の様子を知らせる手紙が定期的に届いた。どうやら女性使用人の姉さんがカイモン卿宛に書いていたらしい。仕事の一環なんだろうけどマメな事だ。
そんな手紙を何度か盗み見る機会があった。それによると数回追い剥ぎに遭遇したものの、特に問題視されるような大きな事件は起きなかったようだ。旅は概ね順調に進み予定通りの日程で千年王国へ到着。八幡神教正殿への立入許可を得る為に数日要したみたいだが、無事にカモノ氏と対面し新たな神託を得たとの事。
無事に任務を終えて、良かった良かった。
誰だ、マリア様が幼いからと心配していたのは。
それにつけても先程から美味しそうな匂いが漂っている。オレの足は自然とそちらへ向かった。少し歩くと目的地に到着。匂いの出所は調理場。“めでたい”の鯛。つまり真鯛をさばいているところだった。
「おや、ヤクシャ様じゃないかい」
恰幅の良い髭面の料理長がオレを見つけて声を掛ける。いつ見掛けても肌の色が黒い。日焼けが趣味なんだと思う。だけどこの時期も肌の色が黒いのは何故だろう。この世界にタンニングマシンなんてないからどこで日焼けしているのか謎だ。
「さすがに猫だけあって鼻が利くねー。この真鯛は今朝届いたものでね、鮮度抜群だ。少し食べてみるかい」
オレがニャーと返事をすると料理長はちょっと待ってくださいなと言って鼻歌交じりで何やら作業を始める。そして出てきたのは皿の上に乗った真鯛の刺身が一切れ。
オレはクンクンと匂いを嗅ぐ。これは猫としての習性。人だった頃はあまり匂いを気にした事がない。すっかり猫の生活に慣れちまったなあ。
そんな事に想いを馳せながら、まずは目の前のご馳走をありがたく頂くとする。
ぱくり。もぐもぐ。
うん、淡白ながらも旨味とコクが感じられる。噛む度に溢れ出てくる美味しさ。あとはプリプリした食感。身が締まっていて生臭くない。なんたる美味。もう一切れほしいな。催促してみようか。
「おや、ヤクシャ様。ニャーニャーと真鯛のご要望ですか。仕方ないですなー。だけどあと一切れで終わりにしてくださいな。脂のりが良いので食べ過ぎると太っちまいますよ」
肌黒の料理長はそう言うと皿に真鯛の刺身を乗せてくれた。二度目は匂いを嗅ぐ事なく無心で食べる。うん、旨い。
「幸せそうに食べますなー」
ニコニコの笑顔で料理長はオレを見つめていた。時折オレの背中をぽんぽんと優しく触る。まあ、悪くない。猫に転生した当初はいろいろと迷う事や悩む事もあったが、慣れてしまえば皆同じ。人生ならぬ猫生も捨てたもんじゃない。まあ、飼われた家と人に恵まれたからそう思えるんだろうなあ。これが野良ならどうなっていたものか。きっと、それなりにハードモードな猫生だったろうな。うん。
さて、それはそうと、マリア様は今頃どの辺にいるのだろう。領内に入った頃だろうか。それともまだ先か。無事に戻ってこれそうだし、そうだなー、千年王国産の美味しい海産物をお土産を買ってきてくれたら嬉しいなあ。
オレは毛繕いをしながらそんな事を考えていた。
――ショウゴモリ辺境伯領内、街道付近――
「カイモン卿の娘以外は全員殺しても構わん」
とても冷酷で憎しみのこもった声。しかしながら低音でハッキリとした力強い口調で男は言った。
街道から少し外れたところにある古く簡易的な作りの一軒の小屋の中。30名の軽装備の男たちがそこにいた。装備の隙間から見える体は筋骨隆々。戦う為に鍛え上げられた肉体を持つ男たち。
「あの娘は猫の使い魔を持つ魔女だ。聞いた事のない異国の言葉で綴られた悪魔の呪文を唱え、王国内の敬虔な神徒の心を魅惑した。しかし我ら聖なる丘の騎士団に悪魔の言葉は通じない。我らの耳は真の神の教えのみを聞く。我らの瞳は下劣な魅惑を見破る。我らの魂は常に高潔である。今こそ魔女を捕らえて尋問と裁判に掛けねばならない。いいか、幼女だからといって侮るなかれ。年齢や容姿は問題の本質と関係ない。どんな姿であれ、魔女は魔女だ」
リーダーらしき男は鞘から剣を抜き高々と掲げた。
「我らの神に代わって正義の鉄槌を!」
その場にいた全員が男の呼び掛けに応じるように「正義の鉄槌を!」と大声で叫んだ。そして興奮冷めやらぬ雰囲気を纏いながら一人ずつ小屋から出ていった。
――カイモン卿屋敷内、マリアの部屋――
ご主人の部屋で一人のんびりしているところにアイツが来た。尻尾をブンブン振り回して近寄ってくる。
「マリア様は本日お戻りになりますよ」
レオナード氏に続き珍しく普段着の騎士団長が部屋に入ってくるなり、オレに向かって優しく語り掛けてきた。オレはニャーと呟き騎士団長に返答する。
「まるで人の言葉を理解しているようですね。賢いヤクシャ様とはいえ、さすがにそんな事はないと思いますが……」
いやいや、理解しているよ。
充分すぎるほどに分かっている。
何しろ前世は人間だったから。
それにしても相変わらずのイケボだね、騎士団長殿は。
若いメイドたちがキャーキャー言うのも頷けるわー。
「さて、私はマリア様をお迎えする為に正装に着替えてきます。その間、相棒の面倒をみて頂けないでしょうか、ヤクシャ様」
「ニャー」
「ありがとうございます。相棒、ヤクシャ様にご迷惑を掛けないようにな」
そう言うと騎士団長はマリアの部屋を後にした。
残された相棒。
じっとこちらを見てくる。
何か言いたい事があるのか。
残念ながら犬の言葉は理解できないのだよ。
いやいや、そんなに見つめられても……。
あー、追いかけっこでもしたいのか。
でもオレはそんな気分じゃないんだ。
旨い刺身も食べたし、ゆっくり昼寝でもしたい気分なんだよ。
オレは背中を大きく伸ばしてストレッチをする。そして椅子や机を経由して箪笥の上に飛び乗った。いくら訓練されているとはいえ、ここまで登ってくる事は出来まい。軽く欠伸をして丸くなる姿勢をとった。
すまんな相棒。ちょっと昼寝をさせてもらおうか。
そんな気持ちで瞳を閉じたのだが、不意に妙な視線を感じた。ゆっくりと瞳を開けるとドアップのレオナード氏の顔が目と鼻の先にあった。だがすぐに消えて見えなくなる。
オレは慌てて箪笥の下を覗く。体に青白い炎をまとったレオナード氏がそこにいた。何度もジャンプを繰り返しながら箪笥に上がろうとしている。おおよそ2メートル。その高さをレオナード氏は平然と跳躍していた。
相棒、お前のそれは……。
オレの脳裏に浮かんだ一つの重要な単語。
前世の記憶。
現世に受け継がれしもの。
オレが言葉に出そうとしたその時、ドタバタと廊下を走る音が聞こえた。ガチャっとドアノブが回され、純白の鎧に身を包んだ騎士団長が姿を現す。
「相棒、マリア様に危機が迫っている。すぐに行くぞ」
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