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第十七話:一速③

 そう念じるとレオナードのカラダが青白い炎に包まれた。ただし、言われても気付くのが難しいほどの限りなく透明に近い青。そしてその炎は救済の力を持っていなければ感知できない、極めて特殊な炎。オーラと表現した方が近いのか。

 その青白い炎はまるで蝋燭の灯りのようにユラユラ揺らめいてレオナードのカラダを覆っていた。


 救済の力(のうりょく)を行使したレオナードは脚に力を込める。次にその力を一気に解放し、空高く跳躍した。すると勾配のついた屋根を転げ落ちないよう器用に逃走する間者の姿が目に入った。それを見たレオナードは続いて屋根に着地し、もの凄いスピードで間者を追い始める。絶対に逃がさない。青白い炎は一本の長い線を描きながら間者に迫っていく。


 屋根を駆けながら彼は逃げ切ったと考えていた。

 だが、唐突に奇妙な引っ掛かりを覚えた。

 何とも言えない違和感。

 それは後方から感じる。


 彼が後ろを振り返ると、尋常でない速度で一匹の犬が接近してきた。早い。早すぎる。どんな犬かと見てみれば、それは見覚えのある犬。そう、あの悪魔の犬だ。


 このままでは追い付かれる。いや、むしろそちらの方が都合が良い。あの騎士はここにいない。相手にするのはあの犬だけ。悪魔といえど所詮は犬一匹。ここで迎撃して悪魔を退治する。この世界は白くないといけない。黒きモノは存在してはいけない。そう、悪は滅ぶべし。


 彼は優先順位を変更した。

 長い間夢見ていた悪魔討伐。その絶好の機会を向かえ気持ちの(たかぶ)りを抑える事が出来なかった。

 今まで常に冷静に任務をこなしてきた。

 仕事となったらどんな時も自分の感情を殺して諜報員としての役割を最優先に掲げて全うしてきた。

 小さな村の水源破壊。

 村にある穀物保存倉庫の焼き討ち。

 非戦闘員の殺害。

 魔女への拷問。

 与えられた任務は全て全うしてきた。


 だが、何だろうこの感情は。

 心の奥底からわき出る衝動。

 幼い頃に感じたあの時の気持ち。

 自分の中にある一本の柱。

 それは決して曲がらない。折れない。

 ああ、そうか。

 これは愛だ。

 神への愛だ。

 そしてこれは試練。

 愛を示す絶好の機会。

 今こそ神の教えを実行する時だ。

 全ては神の御心のままに。


 彼は足を止めて振り返った。両手に飛苦無を持つと勢いよくレオナードへ放つ。2本はレオナード目掛けて真っ直ぐ飛んでいく。だが2本とも(かわ)されてしまった。続けざまに何本も投擲(とうてき)を繰り返す。しかし稲妻形のジグザグな動きをしながら飛苦無を避け、彼に迫り来るレオナードには当たらない。


 化け物め。


 短刀を右手で握り彼は自分の間合いにレオナードが入るのを待った。こうなれば超接近戦で確実にダメージを与えるしかない。悪魔とはいえ犬は犬。腹を切り裂けば生きていられまい。


 彼は身構え、その時を待った。

 しかし、彼の思惑通りにならなかった。

 悪魔の駆けるスピードは速すぎた。

 それは彼の想定を超えていた。


 間合いに入った瞬間、最小の腕の振りでレオナードに短刀を突き刺そうと考えていた。だが、あと数メートルというところでレオナードは更に速度を上げてきた。


 彼の動体視力は優れている。

 秒速90メートルで飛ぶ、矢の先端に付いている(やじり)を目で追う事は造作もない。文字の刻まれた球を誰かに投げてもらい、その球に何が書かれているのか読み取ることも出来る。

 あらゆるものが止まって見える。

 大袈裟のように思えるかもしれないが、事実、彼は人並外れた動体視力を持っていた。


 ただし、それはあくまでも動体視力の話。


 とんでもなく速いスピードで自分に向かってくる獲物に短刀を突き刺す。その為にはそれを視るだけでなく、それに見合う腕の振りの早さと獲物の軌道を予測する力が必要になる。


二速解放(ザ・セカンド)


 相手が刃物を持っている事が分かったレオナードはギアをもう一段階上げた。身を包む青白い炎の勢いと屋根を駆けるスピードが更に増す。そして間者が短刀で突き刺してこようとするよりも早く、相手の脇腹目掛けて強烈な頭突きを喰らわせた。


 間者は後方に激しく突き飛ばされる。

 ドン、ドン、ドンと大きな音を立てながらカラダを何度も屋根に打ち付けた。

 やがて辺りは静寂に戻る。

 そこにはピクリともせず倒れている間者と、救済の力を解除しドヤ顔で誇らしげに勝利の遠吠えするレオナードの姿があった。


 ……わたしのかち。


 ごしゅじんさまー。かちましたよー。


 やったー、やったー、やったよー。


「相棒ー!」


 騎士団長がレオナードを呼ぶ声が聞こえた。声の出所はそう遠くない。


 あっ、ごしゅんじんさまー。


 わん、わんわん。


 町の普段の状態からは考えられない程の大きな騒音が響いていた。先程の間者が何か事件を起こしていると考えた騎士団長は音の発信源に向かって懸命に走る。その途中で相棒の吠える声が聞こえた。もしやと思うと駆ける足にも力が入る。


 騎士団長の声を耳にしたレオナードは尻尾をバタバタ振って彼の到着を待った。誉めてもらえる、喜んでもらえる、頭の中は幸せお花畑。

 そう、レオナードは油断していた。

 その油断が間者に起死回生の一手を与えるスキになってしまった。


「爆裂玉を使う事になるとは……」


 レオナードが声のする方向を見ると、そこには肩を上下に揺らして荒く呼吸を繰り返す間者がぼろぼろになりながら立っていた。手には野球で使用するボールのような球体が握られている。


「これは遥か遠くの異国で“てつはう”と呼ばれる代物(しろもの)。悪魔め、これで貴様をどうにか出来るとは思ってはおらん。だが、あの騎士相手ならば十分な威力を発揮するだろうよ。破裂音がデカイから使うのを躊躇していたが、ここまできたらそうも言ってられんしな。せめて一矢報いさせてもらおう。悪魔め、貴様を相棒と呼ぶ騎士がくたばるところをその目に焼き付けるがいい」


 そう言うと間者は爆裂玉の導火線に火をつけた。そして「相棒!」と叫びながら近付く声の主に向かって屋根の上から放り投げる。


 ……あれはだめ。


 ごしゅじんさまがしんじゃう。


 レオナードは爆裂玉目掛けて一歩踏み出す。


一速解放(ザ・ファースト)


 青白い炎がレオナードを包み込む。


二速解放(ザ・セカンド)


 青白い炎の勢いが増す。


 レオナードは屋根の上で二歩目を踏み出した。そのまま三歩目を繰り出す前に地面へ落ち行く爆裂玉に追い付く。まさに光の如く驚異の早さ。


 ……あれか。


 爆裂玉の導火線が残り僅かというところで、レオナードは火のついた部分を噛みきった。爆裂玉は不発のまま鈍い音を立てて地面に落ち、少しの間ごろごろと転がり、やがて止まった。レオナードは爆発を食い止める事ができた。


 間者の足音が耳に入る。足音は遠くへ去っていく。


 追い掛けようかと考えたところに、息を切らした騎士団長が現れた。

 レオナードは救済の力を解除する。自分の主人と合流した以上、あの敵を単独で深追いする必要はない。

 それに今は……。


「相棒ー! 心配したじゃないかー」


 そう言うと騎士団長はレオナードの頭を優しく撫でた。ぎゅっと抱き締めてくれる。


 ……うん。


 騎士団長の愛に対してレオナードは尻尾を激しく振って応えた。あんなヤツを追い掛けるより、この時間の方が何倍も大切だ。レオナードにとって至福のひと時。最高のご褒美。極上の時間。


 ……しあわせ。


 ーーカイモン卿領内、北の外れーー


 爆発音はなかった。

 何故なのか分からないが、爆裂玉は不発で終わった。


 悪魔の仕業か。


 それにしても身体中が痛む。悪魔が突進してぶつかってきた肋骨を始め、身体のいたる骨にヒビがあるのは間違いない。時折吹く冷たい風が傷口を撫でる。その度に痛い痛いと傷口が悲鳴を上げる。ああ、最悪な気分だ。


 彼はカラダを引きずりながら山の中の獣道をひたすら歩いた。カイモン卿や周辺の貴族の動きを偵察する時に使うアジトまでもう少し。あのアジトに戻ったら怪我の治療をしよう。

 途中、地元の猟師を見掛けた。この状況、普段だったら口封じの為に手を下してくるところだが今回は見逃す事にした。今のこのカラダでうまく(こと)を進められるとは思えない。万が一逃走されでもしたら追手がやってくる可能性もある。それであれば余計な騒ぎは起こさない方が良い。


 今回の任務が何故失敗したのか。

 歩きながら彼はそれを改めて考える。

 

 悪魔の犬と猫。あの二匹がいなければ途中で失敗する事なく最後まで任務を進められただろう。あとは騎士か。そういえば、彼は周りから団長と呼ばれていたな。カイモン卿の屋敷の警備態勢は彼が構築したものと聞いた。この辺の貴族に飼われている諜報機関の者であれば、あれは突破出来まい。我が組織の上位程度の力量しか持たない者も同じように網にとらえる事が出来るだろう。専門職でない者が構築したと考えれば、確かに評価に値する警備態勢だった。だが長い年月を技術の研鑽に費やしてきた最上位の諜報員が相手ではどうにもなるまい。所詮は素人。警備の想定範囲が狭い。最上位を相手にする場合はもっと裏の裏をかく事が必要だ。まあ、そこまでの想像していないのかもしれないが。もしくは最上位の諜報員を相手にした事がないからだろうな。しかしながら今後の成長、熟練次第では警備態勢のみならず一人の敵として面倒な存在になる。それは間違いない。それだけの能力と資質を秘めている。しかも我が国との戦争を現実に起こりうる事案として想定しているのは、今回の調査ではあの騎士とカイモン卿くらいだった。だからこそ、邪魔者は早めに処分を……と考えてしまったのが余計だったか。それは本来の任務ではなかった。何だろう。悪魔を見つけて気が立っていたせいか判断を間違えた。まだまだ研鑽が足りないということか。


 いつもだったら最後まで気を抜くような真似はせず、周囲を警戒しながらアジトへ戻る。それが訓練の結果得た彼の行動方針だ。だけど想定外の事態が起きた為か、それとも全身を覆う痛みの為か。集中力を欠いたまま山の中を歩き続けてしまった。

 いや、普段通りの警戒心や集中力を持ってしても、あの存在に気付くのは難しかったかもしれない。


 燃え盛る炎の瞳。

 全てを焼き尽くす吐息。

 銀色の輝く毛。

 巨大な体躯の狼。


 直前まで気配はなかった。

 音も臭いもない。

 いつからそこにいたのか分からない。

 言える事はただ一つ。

 その狼は突如視界に入り込んできた。


 何だ、この化物は。

 彼は短刀を握り慌てて身構えた。


 通常、最大でも160cm程度。

 しかし目の前の狼はその倍以上。

 少なく見積もっても500cmはある。

 普通の狼と違う箇所はまだまだある。

 天に広がる夜空の中を舞う星のような赤い瞳。

 呼吸とともに時折口から漏れ出る炎。

 月明かりに照らされて輝く銀色の体毛。

 これは誰が見ても明らかに異形の獣。

 悪魔とは違う。全く異質の生き物。


 コイツはヤバい。

 身体中の毛穴が広がった。汗が止まらない。


 彼は逃げる為のモーションを繰り出そうとした。しかしそれよりを上回るスピードで銀色の狼が近付き、狂暴で鋭い爪の付いた右前脚で彼の顔面を襲った。咄嗟に両腕をL字に曲げてボクサーのブロッキングのような防御体勢で顔を守ろうとする。だが右前脚の威力は彼の想像を遥かに超えていた。腕に着いていた手甲は吹き飛ばされ、彼は防御体勢のまま近くの樹まではね飛ばされる。ぶつかった時の衝撃で骨が体の外へ出てきた。


 ああ、ここで終わりか。


 もはや痛みすら感じない。

 意識が朦朧とする中、彼が最後に見た光景は自分に向かってくる炎の渦だった。



この話の続きが読みたいと思って頂いた方は、

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今後のモチベーションアップに繋がりますのでよろしくお願い致します。

<(_ _)>

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