第十二話:因果⑥
――福島県郡山市――
郡山駅だった場所は瓦礫だらけで元の姿を留めていなかった。
たまに猪や野犬と遭遇してしまうくらい荒廃していた。
折れ曲がり錆びだらけになった無数の線路。
以前駅だった面影を辛うじて残している。
しかしその記憶の持つ人間は果たしてこの地にどの程度残っているのか。
渾沌による被害の少ない地域や多くの人々が生き残った場所は日本政府主導のインフラ工事が積極的行われ復興を目指し頑張っていた。
その一方で壊滅的被害を受けた地域や多くの人々が犠牲になった地域は復旧工事が行われず他地域への避難や移住を余儀なくされた。
郡山駅を中心に半径10kmはまさに後者。
人が住み続けるにはかなり厳しい環境だった。
電気やガス、水道だけでなく商業施設や行政事務を取り扱う庁舎はない。
さながら陸の上にある無人の孤島と言える状況だった。
そんなところを八荒は数名の部下と共に歩いていた。
蝉の声があちらこちらから聞こえて大合唱を繰り広げている。
それにしても今日の日差しは普段と比べて一段と暑い。
体中から吹き出す汗が止まらない。
そういえば酷暑日になると今朝誰かが愚痴っていた。
それをふと思い出す。
八荒は恨めしそうに太陽を見上げた。
「ちょっと、どうなってるの。どこまで歩き続ければいいわけ。日陰になる場所もないし、こんなんじゃ渾沌に会う前にカラカラに干からびて干物になっちゃう」
耳を刺すような高音ボイスで八荒は隣りを歩く男性に向かって言った。
疲れているせいか声量はいつもより小さい。
頭の中まで響いてこないのは唯一の救いか。
「まあ、こんな道路状況じゃあ車を出せないし徒歩で進むのは仕方ないと思うけど。まったく、コンクリートと鉄筋の残骸だらけで歩くのも苦労するわ。本当、嫌になる。私だけなら空を飛んで目的地まであっという間なんだけどね」
「申し訳ございません」
「まあいいわ。それよりも佐々木君、貴方の情報は確かなんでしょうね」
「複数の目撃情報から《救済の力を授かった人》“跳躍”の能力者はこの先の消防署跡地を拠点に活動しているのは間違いないです」
八荒の嫌味に表情一つ変える事なく佐々木は答えた。
そして掛けていた黒縁の眼鏡を外してハンカチで目の周りの汗を拭った。
「あとどのくらいなの」
「2kmほどだと思います」
「まだ結構あるのね。チャチャッと着かないものかしら」
「申し訳ございません」
佐々木は謝罪の後、一呼吸おいて言葉を続ける。
「それはそうと例の北海道に拠点を置いている組織の件ですが、協力体制を築きたいという先方からの提案は断るで本当に宜しいのでしょうか。組織内には渾沌を討ち滅ぼす為なら手段を選ぶべきではないとの意見も一定数あるようですが…」
「ああ、それ」
興味なさげに言葉を発した八荒は足元に倒れている電信柱を跨いで進んでいく。
歩みを止める気配はない。
「だってさ、悪魔じゃない。救済の力“悪魔”よ。そんな人を信じられるハズがないでしょ。ちょっと考えれば分からない?」
「いや、でも、それは《救済の力を授かった人》の能力を言い表した名称に過ぎないかと」
「佐々木君は本当にそう考えているの」
「はい」
佐々木は小さく頷いた。
「私はその認識です」
「それは大きな間違い」
八荒はぶっきらぼうに言い放った。
「悪魔や天使のように名称が能力そのものと直結していない、曖昧な表現の救済の力っていうのは結構厄介でね。能力の名称から想像しうる印象が能力者の人格や思考に影響というか変化を与えるのよ。本人も気付かないうちに能力の印象が精神面を徐々に浸食していく感じね。ゆっくり、長い時間を掛けて。私の言っている事は理解出来る?」
「ん~…。はい、理解出来るような出来ないような…」
佐々木は眉間に皺を寄せて何とも言い難い渋い表情を見せる。
八荒はそんな彼を一瞥し、再び正面を見据えた。
全く風の吹かない暑い日差し。
アスファルトの道路にゆらゆらと逃げ水が出ている。
そんな道路の亀裂から黄色の花を咲かせた弟切草が顔を覗かせていた。
そして弟切草の花に群がるように2匹の蝶々が宙を待っている。
世の中は本当に馬鹿ばかり。
あの蝶みたいに黙って飛んでりゃ世話ないのに。
八荒は溜息をついた。
「“天使”っていうのは神に仕える存在。神を唯一の善と認識して、神に対して絶対服従。昔はいい加減なところがあったし、まあまあ適当なやつだったけど、今は神の善行を肯定する為に全力を尽くす人間に変わってしまった。そんなやつの神である“英雄”。昔はどちらかというとサポートに徹するタイプだったけど、今は戦場で自分から率先して先頭に立つ、まさに“英雄”と呼ばれるに相応しい女性になってしまった。まるで自分の事を本当に“英雄”とでも思っているような言動や行動が目立つようになってきたしね」
八荒は誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「組織のリーダーは一人いれば良い。頭は一つあれば十分。私の組織に“英雄”なんていらないのよ。今となってはアイツはただのお邪魔虫ね。私の組織の調和を乱す邪魔なだけの存在。くそ、忌々しい。どうしてやろうかしら」
――カイモン卿屋敷内、大広間――
「新年おめでとう。昨年は我が領内での戦争や大きな被害の災害もなく、平和で平穏な一年でした。今年も領民の皆が安心して幸せに暮らせるよう、領主として更なる発展の為に最善を尽くしていこうと考えている。その為にはここにいる皆の協力だ。是非とも私に力を貸して欲しい」
静寂な大広間の中をカイモン卿の声だけが厳かに響き渡っていた。
新年の挨拶はまだ続いているが、オレはお構いなしに大広間を動き回った。
なるべく目立たないよう部屋の隅をちょろちょろっと歩く程度だが。
そこはそれ、オレは“フツー”のオス猫ではない。
やって良い事と悪い事の分別はついている……つもりだ。
空気を読まずにカイモン卿の前に飛び出る。
うん、そんな事をしたら最悪スパッと処分されかねない。
運良く処分されなかったとしてもマリア様に迷惑を掛けるのは間違いない。
さすがにそれは避けたい。
処分される為に転生したわけじゃないだろうし。
あれから2年が経ち、この世界の事をいろいろと知った。
まるで中世の日本を舞台に西洋の文化や文明が混ざったような世界。
剣はあるが魔法はない。
よくある漫画や映画みたいな幻想世界要素はどこにもない。
特別な力を持たない普通の人々が毎日を懸命に生きている普通の世界。
だけどそれが良い。
むしろそれで良い。
あんなバケモノがいた世界に比べたら、何と快適で過ごしやすい事か。
貴族同士の争いや隣国とのいざこざは多少ある。
だけど、どうにもならない理不尽な存在の力によって全てが無に帰すはない。
この世界の問題は人の手で解決出来る。
まあ、今のオレは人間じゃなくて猫だけど。
この2年で人間だった頃の記憶、つまり前世の記憶が断片的に戻ってきた。
そのお陰か人語は理解出来るようになった。
思考も人間らしくなってきた。
たまに猫としての本能を発揮してしまう事はある。
それはオレなりに周りに愛らしさを振りまいているというか。
うん、猫なりの処世術という事で。
人の意識を持ちながら猫として生きていくのは難しいのよ。
一番の悩みは食生活。
見た目と違って中身は人間。
蜥蜴や蛙、昆虫を生で食べるのはちょっとキツイ。
小動物ならイケそうな気がして試した事はある。
だけど土竜や鼠を調理なしで食べるのも無理でした。
やっぱりね、オレは人間なんですよ。
見た目は可愛らしい猫だけど、中身は人間なんです。
野生の哺乳類の肉を生のまま食べたらお腹ぎゅるぎゅる。
腹痛になるのを知っているから。
もうね、オレの人間としての理性がヤバいって危険信号をバンバン発信。
そして警告するもんだからそりゃあ躊躇しますよ。
今は猫だから食べても平気かもしれないけど。
う~ん、やっぱり無理かな。
そんなこんなでカイモン卿の屋敷で調理人の作ってくれるご飯を食べながら日々を気楽に生きていた。
だけど、どうにも気になる事がある。
一つは騎士団長の飼っている犬のレオナード氏の事。
もう一つはオレのご主人のマリア様の事。
オレを好敵手扱いしているのか結構な頻度で絡んでくる犬のレオナード氏。
残念ながら猫の方が機敏性や跳躍力は上なので適当にあしらっている…ハズなのに、何故か毎回途中から状況が一変してしまう。
何かのスイッチが入ると犬と思えぬ反応速度や瞬発力をみせるだけでなく3m以上の高さの壁すら軽々と飛び越えてオレを捕まえにくる。
この世界でレオナード氏以外の犬に会った事はある。
しかしこんな芸当は一度も見てない。
他の犬の動きや能力はオレが前世で知っている犬そのもの。
ん~……。
まるで《救済の力を授かった人》の能力者を相手にしている気分だニャ。
いやいや、まさかニャ。