第1話「佐野アリア」
華の高校生活二年目。
顔の天才と呼ばれたアタシ、佐野アリアは、某ファッション雑誌の表紙を飾るほど人気モデルに成長。インセタのフォロワーも20万人を超え、ツイッカーもコメントが殺到するほどになった。今日は撮影の仕事が休みで、久々に親友の茉莉花とショッピング。両親は一人娘のアタシに甘くて、モデル収入があるのに支払いは全部、親のカード使っていいなんて、周囲から見れば最高に羨ましいセレブのはず。高級ブランドだって、豪華な旅行だって夢じゃない。でも……
「やっぱりアクセサリーは彼氏から貰いたいよね。旅行だって彼とロマンチックにいきたいなぁ」
大学生の彼氏を持つ親友の言葉に、今日もアタシの胸はグサっとやられるのだった。だってアタシ、これまで彼氏がいたことがないから。
欲しいブランドのアクセサリーだってロマンチックな旅行だって自分にお金があっても彼がいなきゃ無意味だと思っている。正直、別にブランドじゃなくてもいいし、旅行なんてどこでもいいの。大好きな彼さえいればベッドの上でゴロゴロ。っていうか彼の部屋でずっとエッチなことされたい。これがアタシの理想だった。
アタシには片想いの男がいる。幼稚園の時からずっと好き。同じ病院で生まれて、同じ誕生日で、親同士が仲良しで、言うなれば幼馴染というやつ。
きっかけは、私の大好物のさくらんぼの柄の部分を、簡単に口で結ぶのを見て惚れた。そういう男はキスが上手いって雑誌で読んだからドキドキがとまらなかった。
だけど、その男はアタシに興味ないどころか、会えば犬猿の仲。世の男達はアタシとデートしたがっているのに、あいつはアタシがどんなに着飾っても良い女として見てくれない。服も鞄も全部、ブランド品に身を固めたところで「そこで人の価値を感じない。っていうか全部ブランドってダサくない?」と言われる始末だった。
そんなの分かってるわよ! だけど自分に自信がないからブランド品買って自己肯定感高めてんのよ! 何が悪いのよ! と本音を隠して「ふん、アンタはゲームオタクだから分からないのよ」と突っ張ってみせた。
男の名は一ノ瀬レン。いつもチュッパチャプスを咥えパソコンと携帯にかじりつくゲームオタク。バイトもサーバーセキュリティの制作ときているから、根っからのコンピューターオタクなのだ。
「で? アリアは一ノ瀬レンのどこが良いの?」
親友の質問にアタシは飲んでいたミルクラテを吹き出しそうになった。
「ちょっ! 茉莉花ったら声が大きい!」
「誰も聞いてないわよ。このカフェ穴場なんだから」
レンが好きという秘密は茉莉花だけが知っていた。茉莉花は中学から同じ陸上部の親友。サバサバした性格でミディアムショートヘアが似合う大人の気品溢れる女性なのだ。年上の彼がいるなんて頷ける。
「どこが好きなんか知らない! 口悪くて、私よりも5センチ背が低い甘党のくせに!」でも声も顔もなんか全部好みなの! もう自分が嫌になる! と半泣きで叫びながら、アタシは組んだ自身の両腕の中に顔を埋めた。悔しい! いつも首にかけてる、あいつのヘッドホンになりたいとか、その舐めたチュッパチャップス欲しいとか、絶対口が避けても言えないのに、あいつの顔見るだけで胸が熱くなるから、好きがバレないようにアタシはいつも辛口になってしまうのだ。
「茉莉花どうしよう。最近、声聞くだけでも股間が疼く」
「重症だな」
「はっ! もしかして、あいつゲームに出てくる二次元女子しか興味ないのかな?」
「あるかもね。だから、あんたのGカップの胸、見せてやんなよ」
「ばっかぁ! 小さいのが好みだったらどうすんのよ! どうせ胸の大きさ云々、三次元に興味なかったら引かれるだけだし」
グスンと鼻水を垂らすアタシはとても世間が知る人気モデルではなかった。そう恋に奥手の心底ダサい女。モデルになったのも、あいつが嫉妬してくれるかもって期待したからなんだけどな。してくれなかったけど。
「一ノ瀬君って卒業した美紅先輩の弟でしょ? 幼い頃から妹みたいにお世話してくれてるんだから、協力してもらうとかダメなの?」
そう、ふたつ上のレンのお姉さん、一ノ瀬美紅。美紅ネエは陸上部の先輩でもあり、一人っ子のアタシを幼い頃からずっと面倒をみてくれる憧れのお姉様。優しくて賢くて、少し天然な所が癒されるから本当のお姉ちゃんみたいに思っている大好きな人。
一年前、何故か二人の両親が事故で亡くなって、美紅ネエは大学へ進学せず定食屋で働きはじめた。きっと弟であるレンの面倒を見るためだ。でも美紅ネエの夢は自分の店を持つ事らしい。ちなみにその定食屋は家族ならご飯代無料にしてくれるので、毎日レンが店にくるから、そこを狙ってアタシも定食屋に行くのだった。ちなみにアタシも家族同然の扱い。アタシの両親とレンの両親は高校時代からの大親友らしく家族ぐるみの付き合いが昔から濃厚なのだ。パパもママも美紅ネエとレンを本当の家族みたいに思ってる。年末は必ず一緒に旅行に行ってたけど、レンの両親が亡くなってからはまだ行ってない。パパとママはアパレル関係の仕事で最近、海外に行くことが多くアタシはいつも一人だから、美紅ネエが一緒に食べようと定食屋で待ってくれているのだ。
「美紅ネエには絶対言えない。だって嘘つけないタイプだもん。絶対にバレる」
「じゃぁ、思い切って告白しなよ、一ノ瀬君に」
「もっと無理ぃ!」
「だったら一生、処女だよ?」
「だーっ! それ禁句っ! この前カメラマンにもっと色気出してって言われてさ、泣きそうになったんだからぁぁ」
「もー、ワガママだなぁアリアは。で? 彼の性癖とか知らないの? ほら好み、何かあるっしょ。一層、襲われるような格好で近づけば?」
「知るわけないじゃんアイツの性癖なんて! でも幼稚園の時は、髪の毛長い子が好きって言ってたから、アタシずっとロングにしてるんだけど」
「は? いつの話よ! 今の好みを探りなさいよ! あ、悪い彼氏が迎えにきた」
「え」
そう言って外に視線を向けるとガラス越しに車から降りてくる茉莉花の彼氏が見えた。茉莉花は「また明日」と言って嬉しそうに彼氏の元へ去ってゆく。あたしは寂しい顔を見せまいと努めて明るく手をふった。
帰宅しても誰も居ない家。この広さが余計孤独感を煽っていた。パパはアパレル会社の社長でママは一流デザイナー。ようやく海外で注目され軌道に乗ったみたいだからしょうがない。
アタシはいつものように美紅ネエのいる定食屋に向かった。モデルといえど天丼がお気に入りで毎日それを頼む。美紅ネエは必ず天丼の横に大好物のサクランボを付けてくれるので、その優しさにいつも感激して寂しさも感じないのだった。
「アリアちゃん、いらっしゃい。今日も天丼でいい?」
「うん!」いつもカウンターに座っているはずのレン。でも今日は見当たらないとアタシは周囲を見渡した。
「あ、レンならいないよ。昨夜から熱が出ちゃって」
「ええっ! 熱?」
「うん。夕飯の分までお粥作っておいたけど、さっきメッセージに、お昼に全部食べちゃったって……私ね、今夜仕込みで遅くなるの。だからアリアちゃんが良ければ、この後、レンにおにぎり届けてもらえるかな?」
「も、もちろんよ! 美紅ネエのお願いなら何でもきいちゃう!」
「うふふ、ありがとう。これ家の鍵なんだけどね、アリアちゃん用に作ったんだ」
「え? アタシ用?」
「うん、レンも持ってるほうがいいだろうって」
レンが? アタシは美紅ネエからサクランボのキーホルダーのついた合鍵を受け取った。っていうか、このサクランボのキーホルダー、めちゃくちゃ可愛いんですけど!
「昨日、アリアちゃんのママとチャットしてたらね、そうしてくれると有難いって。ほらオジサン達、最近、出張続きでしょ? 二人とも心配してて。だから、もしもの時は家においで。何か足りない物があったら、いつでも家にあるもの使ってくれていいよ。寂しくなったら私の部屋で待っててくれて大丈夫だから。大概レンなら家に居るし男手が必要なら頼んで」
「わーんっ、嬉しいよぉ!」
アタシは周囲の目もくれず美紅ネエを抱きしめた。もう大好き。大好きすぎる。「大袈裟なんだから」そう言って美紅ネエはクスクス笑っていた。美紅ネエは娘のアタシよりママと仲がいい。ママの親友だった美紅ネエのママは美紅ネエにそっくりだからだ。
「じゃぁ天丼作ってくるね」と注文伝票を持って美紅ネエが厨房へ姿を消した時、アタシはハッ! と気づいた。この合鍵があればレンが留守中に部屋を模索できるじゃないの? レンの秘密を暴ける……
「ふふっ……ふふふふふっ」アタシ、悪い子。だけど知りたいじゃない? 好きな男がどんなエッチなもの隠しているのか。
それから定食屋に出ると、アタシは美紅ネエの作ったおにぎりを届けるため、レンの家に向かった。玄関の扉をそっと開ける。この家には何度も来たことがあるけど、レンの部屋に入るのは約5年ぶり。小学生の時とは違うから何だかドキドキしてしまった。あの頃はゲームばかりだったけど今は女の写真ひとつやふたつ、あるんじゃないの?
アタシは二階にあがると廊下の奥にあるレンの部屋に向かった。見るとドアが少し開いている。あれ? と思いながらそっと覗き込んだ。
「レン?」
部屋を見渡すとレンは居なかった。というか、十畳くらいの洋室に広がるモニターの数に驚愕した。長方形のデスクには四台のモニターが並べてあり大きなデスクトップパソコンが中央に鎮座している。しかも、その上にもモニターがあって、一体、何故こんなにモニターがあるわけ? と首を傾げた。ゲーミングチェアの直ぐ隣には多くのゲームソフトやDVDが陳列された棚がある。もしや、と思いながらアタシはマジマジとタイトルを順番に目で追っていた。
「随分、熱心だな」
「きゃっ!」その声に驚いた。恐る恐る振り返ると呆れた顔で腕を組んだレンがドアにもたれかかっていた。
「そんなに男の部屋が珍しい?」そう言って冷たい視線を向ける。アタシはいつのも口調で口を開いた。
「は? あんた男だったの? 別にあんたの部屋なんか興味ないわよ!」
「なら出てけよ」そう言ってレンは部屋に入るとベッドに腰をかけた。見ると髪の毛濡れるんだけど。
「ちょっと、あんた。お風呂入ったの? 熱、あるくせに」
「汗かいたから」そう言いながらレンはベッドで横になる。
「信じられない。濡れた髪のままベッドで寝るなんて」
「別にいいだろ」
「ね、熱あがったらどうすんのよ! アタシがせっかく、あんたみたいな奴の為に、ここまでおにぎり持ってきてあげたのに、これじゃ治るものも治らないじゃない!」
「ご心配どうも」
「べ、別に心配してないけど」
「いいから帰れよ。風邪、感染るぞ。あ、そっか。バカは風邪引かないんだったな」
「はぁ? バカはあんたでしょ! あたしアンタより頭良いし!」
「いつも俺より順位下だろ」
「成績の話なんかしてない!」
「じゃぁ何と比較したの?」
「それは、えっと……言語能力?」
「は? 意味わからないんだけど」
何ですって! と胸中で叫ぶけど、言い返す言葉が思い当たらず、アタシはただ「し、知らない!」とほっぺを膨らまし、腕を組みながらそっぽ向いた。
「と、とにかく髪乾かさないとダメよ」そう言って誤魔化すように部屋をでるとアタシは洗面所からドライヤーを取ってくる。部屋に戻ると、レンはゲーミングチェアに座っていつものようにチュッパチャップスを口に咥えながらパソコンに向かっていた。
「は? 何やってんの? 遊んでないで寝てなさいよ。熱あるくせに、バカじゃないの」
「別に。俺が自分の部屋で何しようがお前に関係ないだろ?」
関係ないけどぉぉぉぉ。ってか何? まさか、そのパソコンに如何わしいスケベコレクションを隠してるんじゃないでしょうね? だから守備に入ったわけ? この男、やはりモニター越しの二次元女子しか興味ないんだわ。
「あんた……童貞?」
「は?」
きゃぁっ! 突然、何てこと聞いちゃったのアタシ! いや、でも気になるの! まずは経験したことがあるか否か、すっごく重要なの! この部屋に女連れ込んだことあるとか、パソコンの中にエッチな女の画像持ってるとか、コイツの部屋見てたら、なんかもう、おかしくなっちゃ
って、率直に聞いてしまった。でも、いいわ! だって気になるもの! 二次元女子のスケベ写真ならまだ許せるけど、もし三次元で経験済みとか、もうアタシは死ぬしかないじゃん!
「いやぁ、だって、そんなにモニターあるからさ、てっきり二次元の女しか興味ないのかなぁって。あんたリアルな女の子に興味なさそうだし」
「あるに決まってんだろ」
「えっ!」
「ってか、二次元って何の話? モニターは全部、仕事で使うんだけど」
「え、じゃぁ……何? したことあるの?」
「お前に関係ない」
関係あるのぉぉぉぉっ! アンタが好きなんだから関係ないわけないでしょ! って言えないけどもぉ。 え? どうしよう! まさか彼女いたの? ここでやっちゃったの? 失恋確定? いや、泣く、泣きそうです! したって、どこの誰とよ! 絶対、その女許さないんだからっ!
「あれ……」気づくとアタシの頬に涙が伝っていた。やだっ! と焦って涙を見せまいと後ろを向く。ここで泣き顔見せるなんて一生の恥っ! と思ってアタシは「目にゴミが入ったわ~」とか何とか言いながら必死で涙を拭いながら言ってやった。
「へぇそうなんだぁ。物好きも居るのね~。アンタみたいな奴を好きになる女がいるなんて、信じられない」
「だったらお前はどうなの?」
「えっ?」
「処女なの?」
「ええっ!」
その質問に心臓がドクドク、バクバクして顔が熱帯砂漠のように熱くなった。お、落ち着けアタシ。こんな小学生みたいな質問、堂々と嘘で返せばいいわ。(※小学生はこんな質問しません)
「ア、アンタに関係ないでしょ。アタシを誰だと思ってんの? 人気モデルよ! 世の男がアタシみたいな美人、放っておくわけがないじゃない」
「へぇ物好きも居るんだな」
く、悔しいっ! 物好きですって? じゃぁ何よ、アンタは絶対アタシを抱けないってこと? レンのバカバカバカっ! アタシがどれだけ毎晩、アンタの顔を思い浮かべながら枕とパンツ濡らしてると思ってんのよ!
「あのさ、アリア」
「な、何よ」
「用が済んだら出ていってくれない? お前がいると熱上がる」
「っ!」
もう最低! ひどい! バカ男! 分かってるわよ、アンタがアタシを嫌いなことくらい! でも失礼しちゃう! そんな言い方することないじゃない! 人の気も知らないでぇぇっ
「アンタなんか熱上がって、おかしくなればいいのよ! このバカ男っ!」
アタシは涙を堪えながらベッドにあった枕をぶつけてやろうと手をあげた。
だけど、枕を持って振り向いた瞬間、レンが突然、アタシの手首を掴み、そのままベッドに押し倒した。
「ちょっ! どきなさいよ! 何すんのよ!」
「おかしくなればいいんだろ?」
「え?」……何、何?……何が、起こってるの?
「熱上がった。責任取れよ」
え、やっぱ熱、上がったの? アタシのせいで? ご、ごめん……
「お、お薬とお水持ってきてあげるわよ! だから」
「その熱じゃない」
「へ?」
組み敷かれたアタシは息のかかるほど近いレンの顔に緊張してごくりと息を呑んだ。
ダメ。見つめないで。かっこよすぎなのアンタ。男のくせに甘い香りがするなんて! 飴のせいかな……あ、待って。アタシの股間もたない……思考も体も全部、溶けてしまいそうになる。やめて。
「間抜けな顔」
「へ?」
「何かされると思った? 俺を男って思ってないんだよな?」
そう言ってレンはククっと喉の奥で笑いながらアタシから離れた。
「か、からかったの! 最低っ!」
「アリアの警戒心の問題だろ? 俺だからいいけど、簡単に男の部屋、入るなよ」
「アンタは男と思ってないからいいのよ! ゲームオタクのくせに! 大嫌い!」
「なら早く出てけよ」
「言われなくても、出てってやるわよ! 覚えてなさい! このアタシを侮辱した罪は重いんだから!」
そう言ってアタシはレンの部屋のドアをバンっと閉めた。ぐすん。と泣きそうになる。バカバカあたし! 大嫌いなんて嘘なのに、どちゃくそ好きなのに、言葉にしちゃった……。アタシはポコポコ頭を叩きながらしょんぼりレンの家を出るのだった。
その夜、アタシはめそめそ泣きながらベッドの上で転がり、茉莉花にレンとのことを話した。
「ほう、童貞か単刀直入に聞いたのね」
「そうです……」
「おバカ」
「分かってるわよ! でも仕方ないじゃない。部屋に女を連れ込んだかどうか気になって頭がおかしくなりそうだったんだから」
「んーっ、あんたさ、もっと素直になれないの? ベッドに押し倒されたとき、チャンスだったんじゃないの?」
「は? あいつアタシをからかったのよ!」
「だから、その時、怒るんじゃなくて、ひどいって泣けば良かったのよ。本当は好きなのに、って言えばレンとキスくらいはできたかもよ?」
「だったら早く教えてよ」
「できるか!」
アタシは不器用な女だって自覚していた。だけどホント男って分かんない。どうしたらレンはアタシを見てくれるんだろ。この際、あいつのチュッパチャップスになりたいな。好きじゃなくてもいいから、アタシを美味しいって食べて欲しい。
「でもさ、一ノ瀬君に手強い彼女できたらどうすんの?」
「えっ?」
「いや、だってさ。バイト仲間とかいるでしょ? 共通の趣味とか持ってる女だったら勝ち目なくない? アリア、容姿は良いけど、容姿で手を出さない男なんだから、やっぱ同じ趣味の彼女できたらさ……」
「やめーっ! その話やめーっ! もう心臓が壊れちゃうんですけど? レンに彼女いるとか仮説だけでも死ぬ」
「だったら死ぬ前に告白しろ! このツンデレ!」
そうしてアタシは夜通し茉莉花に話を聞いてもらい、自分の不甲斐なさに落ち込み眠りにつくのだった。