89_ギャルと年増の間には
朝が来た。寝ているギャルを起こさぬようにドアを開け、一歩踏み出す。
その瞬間、俺は一児のパパから、将来の展望のない無職に戻る。
だが、たとえ、今の俺は不良債権でも、昨晩の俺は良い人だった。いいパパだった。イクメンだった。満たされぬ子供に親の愛を経験させる事が出来た。
年頃の食べ頃ギャルと同じ布団で寝ても手を出さなかった。
それだけでもう、スペシャル。神様、見ていてくれましたか。
んーっ、と伸びを一つ。今日の朝はいつもよりすがすがしかった。
「いやーーーいいことしたなーー。気持ちがいい!!」
「そうですか。それはよかったですね」
「うわっ」
驚きの声が早朝の静けさを破る。申し訳なさを覚えつつ右を向くと、そこにはナーロが立っていた。
「ナーロか。おはよう。びっくりしたよ」
久しぶりに見るナーロはやっぱり綺麗だった。エルフと早朝っていうのはかなり相性がいいのかもしれない。
絶対に大企業の正社員か国家公務員になる!! と、約束してから一向に状況が好転も進展もしていないため、合わせる顔がなく、最近はまたナーロを避けて生活してきた。
本音を言えばこうして対面している今現在も、じゃっ、と言って部屋に逃げ込みたい衝動に駆られている。
「おはようございます。ですが、びっくりしたのはお互い様です。まさか、透さんが久しぶりに会った透さんが、若い女性の部屋から出てくるなんて」
顔には微笑みをたたえているが、トゲしかない物言いがナーロの怒りを暗に示していた。俺の弱虫と玉袋が恐怖におののきだす。怒りの原因は大いなる勘違いなのだが、怒ってる相手にはその誤解こそが真実。解くのは困難を極めそうだった。
「しかも、朝帰りで、しかも部屋の前で抑えきれずに『いやーーーいいことしたなー。気持ちがいい!!』なんて叫ぶなんて。朝の清廉な空気が汚れました」
「ナーロ。違うんだよ。すべては誤解なんだ」
「あれですか、朝一番に不特定多数に報告したくなるほど、昨夜はお楽しみだったんですか? 満足ですか? テクも若さもあって星みっつですか? 名刺はもらえましたか? 裏面にメッセージびっしりですか? どうせ私はマグロですよ!!」
こんなに一方的に、矢継ぎ早に言葉を放つナーロは初めて見る。
「ナーロ、誤解なんだって。違うんだって話を聞いて!! その長い耳は飾りか!?」
「そうですかそうですか。若い女の体はそんなによかったですか。どうせ年増のエルフですよ。13496歳年上は恋愛対象に入りますか? 熟女に入りますか? それとも生ゴミですか? 最近、私を避けていると思ったら、こういう理由があったんですね」
ナーロはいまだ微笑みを崩さない。感情は不気味を通り越して恐怖へと侵入した。
「ナーロ誤解だって!!!! 何にもしてないんだって!!!! ちょっと円光少女の人生相談に乗ってただけだって!!!!」
早朝の静けさが一転、言弾飛び交う戦場となった。ナーロのマシンガントークに対し、俺は声量で対抗するしかなかった。前線で衛生兵を呼ぶ時の声量だった。
「何が人生相談ですか!! それよりも自分の、私達の人生を考えてくださいよ!! それに円光なんて女子高生なら誰だってやってますよ!! プリクラ感覚ですよ!!」
ナーロの微笑みが怒りの表情に塗り替えられた。表情と言葉が一致してる分、さっきよりも不気味さが減っている。
「そんなわけないだろ!! 日本人の貞操観念の高さを舐めるなよ!! それにナーロは日本の女子高生のことよく知らないだろ!!」
「外から見てる分、当事者達よりも分かるんですよ!! アンダードッグが過去三十年に亘り行った潜入調査の結果、日本国の女子高生の素人売春経験率が90パーセントを割った年はたった一年もありません!!」
「嘘だ!! 嘘をつけ!! 嘘だと言って!! 言え!!!!!!!」
「残念ですが真実です」
「そんな・・・だって、九割の女子高生が売春してたなら、なんで当時の俺にはそういった誘いが一切なかったんだ? なんで未だにJK童貞なんだ?」
悲劇への回答をナーロに求める。しかし、彼女は沈鬱な面持ちで視線を落とすだけだった。
これはおかしい。道理に反する。光よりも早いものが存在してはならない。
「そうだ。きっと女子高生達は悪い奴らに脅されて、悪い奴らに支配されていたんだ。そうだよ。だから善良な小市民である俺のところには機会がこなかったんだ。九割当たるくじでも、そもそも引く機会がなかったら当たらない。前途ある若者から搾取する極悪外道どもめ、許さん!!」
今、この世で一番燃えているのは昇りかけの朝日などではない。俺の正義だ。
「さぁ、ナーロ教えてくれ。守るべき未成年を利用して荒稼ぎしている悪の電通の名前を!!」
俺の拳はこれ以上ない程握られていた。
「そんな奴らはいません。彼女達にお金を払うのはいつの時代も、あなた達みたいな同年代の女性に相手にされない、やっすい男どもでした」
予想を裏切る返答に俺は声もなく吐血した。
「悪の広告代理店とかに脅されていないなら、どうして彼女たちは・・・・。未成年なのにそんな、売春なんか・・・・」
「だからこそ、ですよ」
穏やかに諭す声に目から鱗が落ちた。その優しい居住まいは、俺の知ってる、いつものナーロだった。
「だからこそ、か・・・。でも、でも、ナーロ。俺は、本当に、今回ばかりは手を出してなくて」
「な・・・なんですかそれは!! 余計にタチが悪いですよ!!」
ぴしゃり、とナーロが言い放った。
「女の部屋に行って何もしないだなんて・・・。ひやかしにもほどがあるわ!! あなたがやったことはただの営業妨害よ!! 今稼げなくて苦労するのは彼女達なのよ!! ここで生涯賃金の三分の二を稼げないと人生詰みなのよ!! 女の敵!!」
さっきの穏やかさが嘘のようにナーロはまくし立てた。凪だった頃が思い出せない程の荒れ模様だった。俺はあっけに取られていた。
「そんな・・・。じゃあ、俺はどうすれば、俺はどうすればよかったんだよ!! 俺の誠実さはどこに向ければよかったんだよ!!」
「だから、てめぇの人生に向けろって言ってんだよ!! 他人様の人生で自分の人生の空虚さを埋めようとすんじゃねーよ!!」
「なにおう!?」
「なんですか!? やりますか!?」
いつの間にか双方詰め寄り、お互いの顔は相手の唾にまみれていた。
連峰が誕生するほどに眉間を寄せ、火花が出るくらい睨みあう。
俺は無い袖をまくり、ナーロは掌に唾を吐く。
今、ナーロが何を考えているか手に取るように分かった。
朝日が街を染める前に、お前の血で街を染めたろか?
「「やったろうじゃないかああああああ!!」」
今まさに決戦の火ぶたが切って落とされた。
「姫様!! 姫様!! 大変です!!」ジュウの声だった。
「なんですかジュウ。今、世の中で私達より大変な事なんてありますか!!」
「そうだぞ。大変になるのはむしろこれからで」
「痴話喧嘩してる場合ではありません!! 姫様、たった今、アンダードッグから連絡がありまして」
祖国の名が出たところでナーロが視線をジュウへ向けた。千載一遇のチャンス到来。真剣勝負の場で注意を逸らすとどうなるか教えてやる。授業料は勿論、その命だ!!
俺は両手を組み、頭上へ振り上げ、落とす。
「アンダードッグとエレミが、壊滅しました」
驚きのあまり、ナーロへ天誅はキャンセルされた。ナーロからジュウ視線を移す。彼女の顔に普段の勝気な色はなく、泣かないのがやっと、といった様子だった。
嘘や冗談ではなさそうだった。
「一体、何があったんですか」ナーロの問いかけに、ジュウの瞳から音もなく涙がこぼれた。
静かな朝だった。