9_マリオカート
無職の朝は早い。
昼の十二時には目を覚まし、カーテンのない窓から空を眺め、既にガンガンに温まった太陽に一礼する。
晴れ空には一本の飛行機雲が引かれていた。
四国にでも、行くのかな。
空はどこまでも続いている、が、どこかに連れて行ってはくれない。
「さて、今日もいっちょやりますか」
顔を洗い、髭を剃り、高校時代のジャージを脱ぎ捨て、英語の書かれたTシャツとジーパンに着替えたら準備完了。
鍵を閉めて、隣室の霧景大邸へ。
ドアに鍵は掛かっていなかった。
□
「うっす。おはようございます」
「おじさん、おはよう」
彩は背中を向けたまま細い声で挨拶を返す。
今日も今日とて格闘ゲームをプレイしていた。
「今日、お姉さんは?」
「今日は帰ってきてない」
「そっか」
明日夏に頼まれた彩の遊び相手を始めて、数日経過した。
最初こそ、共通の話題は何だ、NGワードは何だ、敬語の方がいいのか、ため口でいいのか、間をとって丁寧語で行こうか等、気配りに余念がなかった。
しかし、お相手の彩は動物園のライオン並みに無警戒、というか緊張するそぶりさえ見せず、マイペースな自然体。その毒気のなさに、気を張るのがバカバカしくなった。 今では自室にいる感覚で過ごしている。なんならここはもう俺の部屋の一部と言っても過言ではない。
同じアパートなのに俺の部屋よりグレードが数段上なのが気になるが、余計なことは言わない。
大家には逆らわない。これが大人だ。
「昼飯食ったか?」
「うん。さっき水かけご飯食べた」
「いいなぁ。俺も食っていい?」
「今月のお米もうないから無理だあああああああああああ! てめぇそれハメだろ! 殺すぞ! ラグ使いが!」
ピンクのパジャマ幼女が吠える。
この部屋に殴り込んで以来、俺を悩ませていた罵詈雑言は収まった。だが、それは俺が自室にいるときだけで、こうして同室で過ごしている間は斬れ味そのままに復活する。
「彩、お前、一日中そのパジャマ着てるよな。たまには洗濯してるのか?」
「このにおいが好きだからいーの」
「そっか」
まぁ、自分の足の爪の臭いとかついつい嗅いじゃう時あるからな。正常だな。
「あーだめだ。あーこの時間まじラグ使い多すぎる。あーーーもうやってられねぇ。あーーーーあしょうもねぇ。働けゴミどもが!!」
俺の心は少し傷んだ。
彩は白いコントローラーをぽいと横に投げ捨てる。
「おじさん、マリオカートしよ?」
「あぁ、いいぞ。俺クッパな」
「えー昨日もだったじゃん。今日は譲ってよー」
「だーめ。大人しくワルイージでも使ってな」
よっこいしょ、っとスマートに彩の横に座る。こいつはカーブを曲がるとき体を傾ける癖があるから、少し間隔をあける。
万が一肩と肩とが触れようもんなら豚箱行きだ。
□
「キノコカップでいい?」
「いいぞ。ルールは150CCな」
「分かった! 負けた方は罰ゲームだからね」
彩が設定を進め、レースの準備が整う。画面では赤い配管工がポーズを決めている。俺が小さいころから現役のヒゲおやじ。
昔は暇さえあれば、いや、暇がなくてもゲームで遊んでいたのに、いつからか暇があってもゲームを起動することはなくなっていた。
―そんなにピコピコばっかりやって、いつか廃人になっちゃうよ!
お袋、それは杞憂だったよ。
―うるさいなぁ、今始めたばっかりだよ!
―いつもそればっかり。あんた。そんなんだと将来ロクな大人にならないよ!
お袋、あんた見る目あるよ。
「おじさん、一回腕上げて」
「こうか?」
「隙あり!」
言うが早いか、彩は俺の胡坐の上に、のしんと腰を下ろした。社会的な死神が俺の首に鎌をあてる。
「ちょっ、彩! どこ座ってんだよ!! 捕まるだろうが! どけ! 今すぐにどけ!! 冤罪発生装置!! 女郎!!」
俺は腕を中途半端に上げながら立ち退きを要請する。
「おじさん、スタートしなくていいの?」
画面では俺以外のキャラクターが全員スタートしていた。
「あ、お前この」
「負けたら罰ゲームだからね。一日下着を前後ろ逆に着て生活してもらうからね」
なんて地味ながらしんどい罰ゲームを。
俺はコントローラーを頭上に持ち、遅れを取り戻さんとアクセルを踏む。
「俺が勝ったら外出だからな! 一緒にゴミ捨て場まで散歩しような!」
「勝ったらね」
よし。言質はとったぞ。
Aボタンを強く押す。クッパが走る。なんか懐かしいな。
今よりかはマシだった時代を思い出すな。懐かしい匂いまでしてきたぞ。
すんすんと鼻から空気を吸う。甘く懐かしい匂いをたどる。
俺の鼻が彩のパジャマで止まる。
この匂い、確かに
実家の枕と同じ臭いだ。
赤甲羅を投げる。
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