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74_消えるひこうき雲




 十八歳の誕生日を迎えたその日、僕は初めてパチンコを打ちに行きました。『有意義に使いなさい』と、母から渡されたこれまでのお年玉貯金でシンフォギアを打ちました。開店から打ち始め三百ハマりしていると、隣に誰か座りました。他にも空いている台があるのに何でだ、と思い左隣を見ると、父でした。パチンコ台に対面しているため横顔しか確認できませんでしたが間違いなく俺の父でした。先週からマレーシアに出張中だった父でした。帰国は来月のはずでした。


『お父さんどうしてここにいるの?』と尋ねると父は『血は争えないな。でも、パチンコを打ちに来たことよりも、この歳になるまで本当に俺が外交官だと信じていたことの方が問題だ』と、苦笑しました。


 そして、僕は父から全てを聞かされました。


 二十二歳からパチンコで生活していること、京大法学部出身だったこと、年金は払っていないこと、スロットの目押しを頼まれたことが母との出会いだったこと。その後も何か言っていましたが、僕の右隣に座ったおばちゃんが当たりを引き、音楽のボリュームをマックスにしたので全然聞こえませんでした。活弁士の居ない活動写真を見てる心持でした。


 父は全てを語り終えると缶コーヒーを開け、一口飲みました。僕はずっと気になっていた事を尋ねました。


『どうやったら!! パチンコで!! 稼ぎ続けられるの!!?』


 隣台から流れる『Bye-Bye Lullaby』に負けないよう大きな声をだしました。


 父は渋い顔をした後、思い出した様にうなづき、右耳に詰めていたパチンコ玉を外しました。そして、もう一回言ってくれ、と右手の人差し指を立てました。


『どうやったら!! パチンコで!! 稼ぎ続けられるの!!?』


 今度は質問が聞こえたらしく、父は缶コーヒーを台に置き、僕に向き直りました。青いジーンズにピンクのアロハシャツ。こんな外交官が居たら一瞬で国際問題になります。全面核戦争です。でも、これが僕の父でした。


『いいか、透。パチンコで金を稼ぐというのはとても難しい。必勝法というのは存在しない。そもそも、パチンコってのは確率や設定の問題じゃない。ましてや運でもない』


『心だよ。パチンコは心で打つんだ』


 親父は右手で俺の胸を叩きました。騒音と欲望の渦巻くホールの中で、父のその言葉だけははっきりと聞こえました。


 その後、俺は父と並んでシンフォギア9スーパーを打ち続け、単発あたり、二百ハマり、単発あたり、二百ハマり、合計マイナス40000円の収支でフィニッシュしました。父は泣いてました。僕はパチンコを二度とやらないと誓いました。



 □




「ということなんです」


「・・・どういうことなの?」

 破石さんが本当に意味が分からない、という表情をしていた。親と子の感涙を禁じ得ない話を聞いてよくそんな顔が出来るな。人の話を聞いてたんかこのアマ。パチンコのホールの音響で内耳ないじやられてるんやないやろか。


「破石さんがどこで間違っていたのか、どうするべきだったのか僕にはわかりません。でも、これから何をすべきかは分かります」

 俺は馬乗りされたまま、両手で先生の肩を掴んだ。


「借金を返すんですよ。少しずつでも」


「それはごもっともだけど、二千万なんて大金、大穴でも当てない限り」

 先生の弱音と思考回路は既にギャンブルで汚染されていた。でも、俺には先生の弱音を吹き飛ばすだけの根拠があった。


「大丈夫ですよ。だって、先生がシンフォギアで溶かした2000万の内、1000万円は自力で稼いだお金じゃないですか。その若さで1000万円稼げたんです。今からコツコツ返済すればアラフォーになる前に余裕で完済できますよ。それに破石さんも言ってたじゃないですか」


 先生の瞳を見つめる。死んで腐った魚の目。その目に光を差したかった。


「人生は終わるまで未確定。これからですよ。破石さんも僕も」

 励ますように微笑んでみた。死んだ魚の目に、光が戻った。


「一緒にしないで!!」


 リビングデッドの第一声は感謝でも謝辞でもなく拒絶だった。やはり死人は死んだままにしておくべきだった。自然の摂理は正しかった。


「そうですよね。先生は腐っても女医、死んだ魚の目をしていても医師免許持ちですもんね。英検四級と草むしりアドバイザーの資格しか持ってない俺と一緒にされたくないですよね・・・」

 俺の瞳からは光がなくなった。善行の果てに拒絶が待ってるなら俺はカモメになるしかない。ワタシはカモメ。ワタシはカモメ。


「違う。そうじゃない。いや、本質的にはあなたと私は同じ天秤てんびんにすら掛けられない程、知能・能力差がある。それはそうなんだけれども、違うの。今はそうじゃないの」

 先生は理系特有の高慢ちきな言い回しでフォローしてきた。少し元気が戻った証拠だった。ただこちらとしては濡れた体をごわごわのバスタオルで拭かれている気分だった。


「私は精神科医という職業上、精神保健指定医という高難易度の国家資格を有する職業上、日頃から大勢の人たちの悩み、そしてたくさんの絶望に触れてきた。診察や投薬でそれらから人々を救った気でいた。でも、いざ自分が絶望に襲われると何も見えず、何処に向かえばいいのか分からなかった。マルハンに行ってハンドルを回すことしかできなかった」


「よりによって一番やっちゃいけないことだけ出来ちゃったんですね」

 避けるべきもの、犯してはならないものはいつも手の届くところにある。しかもとても美味しそうに。


 悪いのは破石さんでもイヴでも蛇でもない。知恵の木を伐採しなかった者だ。消費税を定めた者だ。天井式複数凸前提ガチャシステムを作った者だ。ポップアップ広告を作った者だ。電車で俺の前の席に座り続け、俺と同じ駅で降りる奴だ!! お前の前で吊革につかまっていた俺がバカみたいじゃないか!! なんで川越まで乗るんだお前はどう見ても赤羽で降りる顔だろうが!! 乗車から降車まで突っ立っていたのは俺だけじゃないか!! 二時間立ちっぱなしって、電車に乗った意味が半減しとるじゃないか!! 実質二時間歩きっぱなしだわたわけ!!


「そうなの。これまでの人生で挫折ざせつや失敗、失望とは無縁だったから、自分がまさかこんなに弱い人間だったなんて・・・。でも、さっきの言葉で、色無さんの言葉で光が差した」


 先生は俺から下馬すると、床に座り膝を崩した。俺も後ろ手を付きながら上半身を起こす。さっきより呼吸が楽にかった。


「ありがとう、色無さん。そうよね。まだ、私たち、生きてるものね。嫌でもなんでも、明日が、これからがあるものね」


「今はまだ、負けているだけ。残り時間で私、勝てるように頑張るわ」

 何もない診察室に先生の決意が強く響いた。今は空っぽの部屋だが数年後には以前の装いを取り戻すだろう。


「はい。お互い頑張りましょう!! ただ、『人生は終わるまで未確定』ってのは元々、先生の言葉ですよ。俺はそれを借りただけです」

 先生は首を振り俺の発言を否定した。


「違うの。あなたに言われたから、あの言葉は希望になったの」

「人には人が必要なのよ」


 先生は四つん這いで俺に近寄る。そして耳元でささやいた。


 ありがとう。本当に。


 左頬に乾いた何かが触れた。かさかさしていたがとても柔らかかった。





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