71_俺も人事部になりてぇなぁ
「書類審査は通れども面接で人格と人生全否定されまくりで、就職が甲子園出場よりも遠くに思えて、加えて内心見下していた蒼や彩が次々と前進していくのが辛すぎるので心療内科に行ってきます」
霧景大宅にて、そうめんを啜っている明日夏に胸中を激白した。もう一人では抱えきれなかった。
「そ、そうか。まぁ。キツイんなら行ってくればいいんじゃないか。あと、アタシにいちいち報告しなくていいから。メンヘラ男とか無職よりもキツイから」
「そうなんですか。俺はダブル当事者ですがてっきり無職の方がキツイとばかり・・・」
「台風は自分が台風だと知らんからな。中心はいつも晴れだからな。仕方ない」
「ちなみに、後学のために聞きたいのですが、メンヘラ男は第三者から見るとどの位キツイですか? 年増のへそ出しルック並みにキツイですか?」
「そうだなぁ。世間一般的に言うなれば」明日夏は天井を見上げながら思案する。
そして
「社会人にもなって、窓辺にスミノフの空き瓶飾ってる奴並みにキツイ。」
「それはキツイ。今後は自己完結するメンヘラになります」
俺は唇を噛み締め己を悔いた。まさか自分がそんなところまで凋落していたとは。改心、改善。
「おう。頼むぞ。あと、人を見下す奴が見下してた奴以上になることはないからな。気をつけろ」
「肝に銘じます。では、行ってきます」
貴重なご意見を頂いたので立ち上がり、霧景大を後にする。外に出ると穏やかな陽気が出迎えてくれた。これだけで気分が上向きになるから凄い。自然とは偉大だ。
駅までスキップして行こうかな。
「あら、透さんじゃないですか」
階段を上ってきたナーロと鉢合わせてしまった。就職活動がどん詰まりを迎えてから幾星霜、ナーロを意識的に避けてきたが故に、この世で一番気まずい遭遇だった。しかし、久しぶりに見たがやっぱり美人だ。このエルフ。
「げっ、ナーロ、どうしてここに? 今日も綺麗だね」
ナーロの父親に「大企業か国家公務員へ就職してやる!! GAFAは死んでも無理」と啖呵をきった日が、遥か遠く、前世の記憶に思える。
なんであんなこと言っちゃったんだろう。せめて、地方公務員も可にしてもらえばこんな事には。
「今日『も』綺麗、ですか。まるで昨日も会ったみたいな物言いですね」
ナーロがかかとを鳴らしながら近寄ってくる。俺はみるみる具合が悪くなる。幼い頃、下手に良い子だったため褒められることはあっても怒られることは無かった。だから俺は人の怒りに人一倍弱い。けどそのかわり、無類の優しさを持っている。しかし、社会は、人は俺に厳しい。
「最後にこうして顔を合わせたのはいつだったか覚えてますか?」
恐怖に委縮した脳みそでは何も思い出せなかった。だから、俺はこういうしかなかった。
「ナーロ、好きだ」気持ちを込めて、まるで初めての告白の様に真剣に伝えた。
「な、そんな、きゅ、急にどうしたんですか!? しかも、こんなお天道様の下で。独身水商売女がそうめん啜ってる部屋の前で。薬味もネギもない素素麵を裸の薬指で食ってる部屋の前で!!」
ナーロは両手で顔を包みながら照れていた。女の可愛い部分と嫌な部分を一挙に味わえた。霧景大宅のドアが内側から蹴られた。
「好きな人に思いを伝えるのに場所なんて関係ないさ」いけ好かないイケメンがやるように前髪をふさぁっと払った。
「ナーロはどこか行ってたのかい?」
「散歩に行って帰ってきたところです。透さんはこれからお出かけですか? あ、もしかして入社面接に行くんですか? ついに来ましたね!! 東芝ですか? 東芝ですよね!?」
ナーロが興奮気味に顔を近づけてくる。その瞳はキラキと輝いており、くすんだ現実を全力で排除していた。形勢は逆転していた。
「そ、そうそう。今日はこれから就職のことでお医者さんと面談する予定があって。今出かけるところなんだよ」細心の注意を払いながら真実の糸を紡ぐ。
「そうなんですか。じゃあ私も途中までご一緒してよろしいですか?」
「え、いや、その。俺はいいんだけど来てもきっとつまらないよ。あの人基本だんまりだし。口を開けば男尊女卑だし」
「構いません。私も基本『エルフ>>>>>>人間>>>>>>ザリガニ=日本人』なのでお互い様です!!」
何がお互い様なんだ日本人に謝れ畜生。
ナーロは鼻息荒く食い下がった。これ以上糸をつむぐのは無理だった。
「・・・嘘だよ」
「へ?」
「面接なんて嘘だよ。嘘なんだよ。面接も医者も男尊女卑もメンヘラの件も何もかも!! 全部うーそさ!! そんなもんさ!! 事態は一つも好転してないしする気配もない。俺は自分が嫌になってるんだ。もう嫌なんだ。嫌、嫌、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌!!」
爪を立て、搔きむしる。それは頭から始まり、腕、腹、背中、脚、しまいには霧景大宅のドアと止まることを知らなかった。ひっかいたところが痛かった。爪が痛かった。でも、俺にはそれしかなかった。
「もう、もう、もう俺」
「しばらくほっといてくれええええええ!!」
叫びながら逃げ出した。
ナーロから未来から自分から。
階段を駆け下り、不毛の敷地を超え、国道へ。一刻も早くここではない場所へ。
アスファルトに踏み出す。背中でナーロの声が聞こえた。
「透さん!! 私信じてますからね!! 待ってますからね!!」
俺は足を止めた。彼女と俺の間にそよ風が流れる。
ナーロ、その台詞は
もう信じていない奴に使うセリフだよ。ほとんど脅迫だよ。
振り返ることなく、また走りだす。
どれだけ陽気を浴びても風に吹かれても心は晴れなかった。自然とは無力だ。そして人間をここまで追い詰める自由競争社会は糞だ欠陥だ。あと、明日夏も糞だ。
メンヘラより無職の方がしんどいじゃないか。自分だけじゃなく、大切な人まで不安にさせているじゃないか。
□
「ということがあったんです」
俺は涙ながらに破石先生へ現状を説明した。破石先生は木製の机に腕を乗せたまま、俺の話を静かに聞いてくれた。シワひとつない白衣に艶のある黒長髪が映えていた。
「そんなことが。辛かったね」
「自分でも自分が悪いってことは分かってるんです。でも、俺にはもうどうしようもなくて。どうしていいか分からなくて。とある水商売女が『男のメンヘラは史上最強にキツイ』って。先生はメンヘラ男と無職どっちがキツイと思いますか?」
鼻をかみながら先生に迫った。
「精神医学的には『メンヘラ男は無職男よりもキツイ。ただ、素足に革靴を履いてる奴よりは大分マシ』という統計が出てるわ」
「ゴミみたいな統計ですね。精神科医って暇なんですか? それで、先生は? 先生はどう思ってます? メンヘラ男と無職どっちがキツイと思いますか?」学会の意見なんてどうでもよかった。俺は先生の考えが知りたかった。
「そうね。あくまで個人的な意見を言えば」先生はそこで一度言葉を区切り、間をおいてから述べた。
「どっちも、かしら・・・。うん、どっちも。何度考えてもどっちもだわ」
「うんこ味のカレーとカレー味のうんこならまだ迷いようがあるけど、こっちは無理。てんで無理」今年度の収支報告を述べるように事務的に述べられた。心療内科が聞いて呆れた。
「そんな・・・。じゃあ、今、先生の前に座ってる俺はいったい何なんですか? 先生には俺が何に見えてるんですか?」涙はいつの間にか乾いていた。彼女は無言のまま、頭を右手で掻き、その手を鼻の前に移動させにおいを嗅いだ。
「くさっ」
「先生どうなんですか。僕は。僕はいったい先生にとってなんなんですか!!」
「そうね。あくまで個人的な見解なのだけれど」先生は右手の嗅ぎながら答えた。
「金を運んでくる、気の弱い人」
一番聞きたくない答えだった。俺はこんな人を先生と呼び、信頼していたのか。
俺は金もない、地位もない、名誉もない、職もない、人を見る目もない。
つまり
生きてる価値がない。
アホ過ぎて笑えてきた。
「もうだめだ。俺はもう生きてる価値がない。俺は欠陥人間。No good. good for noting.落ちこぼれDame of The Dame.今日もそしてこれからも。こうなるのも当然の人生」
力なく笑いながら俺は宇宙と交信する。
メーデーメーデー。
ワタシはカモメ。ワタシはカモメ。
繰り返す。
ワタシはカモメ。ワタシはカモメ。
「色無さん、そんなに自分を責めないで。自分の人生のすべてを自分の責任だと思うのは危険よ。世の中はそんな理路整然とした完成品じゃない。綺麗な箱の中身は真っ黒な不条理よ」ポンと肩を叩かれる。顔を上げると先生が目の前に屈んでいた。
「でも、みんなはちゃんとうまくやってるし。やっぱり、この様は、顛末は僕が無能だから」全部僕が悪い、俺がそう言い切る前に、先生が右手の人差し指で俺の口を制した。少し独特な臭いがした。
「色無さん、皆が出来ていても出来ない人がいる以上、そのシステムは欠陥品でしかない。自分の人生だから、自分で選んだから自分の責任、自己責任。その考えが一番無責任」先生の言葉は優しかった。だからこそ、受け入れられなかった。
「でも、だって、俺は」
「色無さん。じゃあ聞くけれど」
「色無さんは自ら望んでそうなったの? 今の自分が子供の頃夢見てた自分なの? 物心ついたころから『二十八歳で再就職活動に苦しんで女医に泣きつく人生』を送りたかったの?」
違う。
破石先生の質問に俺は首を横に振った。
誰がこんな人生望むもんか。中学生までは神童ともてはやされた俺だぞ。
将来の夢は医者か科学者。人の役に立てる仕事をして自分の才能を社会に還元したかったんだ。お金とか名誉じゃなくて、自分じゃなくて誰かのために。
それなのにいつの間にか夢を失い、若さを失い、職を失い、二十八歳で再就職活動に苦しんで女医に泣きついている。こんな人生誰が想像できようか。
「なら、この人生はあなたのせいじゃないわ。あなたは注文した料理と違う料理が運ばれてきたのに、文句も言わず間違った料理を食べ続けてるの。他のみんなも食べているからという理由で。そんなのバカげてる」
「間違った料理が来たら無理して食べなくていい。スプーンを置いていい。『違う』と言っていいの。もし、自分でお店に言い難かったら誰かに頼んで。今みたいに」
破石先生の左手が頬を撫でる。クールな外見とは反対にとても温かかった。
「話してくれて、ありがとう。頼ってくれてありがとう」
「先生・・・先生っ!!」抑えきれず俺は先生に抱き着いた。屈んでいた先生は俺を支えきれず、こてんと尻もちをついた。
そうだよな。そうだよな。
カレーを注文して焼きししゃもが出てきたらそれは店側の不手際だよな。間違いだよな。なんで、俺はそれを自分のせいだと思っていたんだろう。自分が悪いと思い込まされていたんだろう。
救われた。来てよかった。
「先生、ありがとうございました。就活とか世間体とかそんなちっぽけなものではなく、これまでの、そしてこれからの人生の答えを掴めた気がします。ありがとうございました」
体を離し、頭を下げ感謝の意を伝える。なんでこんな人格者が片田舎の隅っこでくすぶってるんだろう。
「助けになったのなら、良かったわ」
先生は俺に右手を伸ばす。俺はその手を掴み先生を立ち上がらせた。
「これでしばらくは大丈夫そうです。次にここに来る時は弱気な報告ではなく、就職決定の報告になる様に頑張ります。では、また」
「待って」退室しようとしたところを引き留められた。
「なんでしょう」
「就職活動は企業にとってはお遊びだけど挑む側には試練の道。特に精神的な負担はあなたが思ってるよりも大きい。だから、就職が決まるまで一日おきにここに通うことをお勧めする。というか、しなさい」
「はぁ。でも、お金が」
「大丈夫。この診断書を役所に提出すれば色無さんの負担額は一割になる」
「やります!! 今日この足で出してきます!!」先生から一枚の用紙を受け取る。そこには『第一級要支援者乃証明書』と太い明朝体で記され、その下に一筆『このままほっとくと危険。特に周囲の人が危険。世界の危機』とあった。
「ありがとう。じゃ、また明後日。待ってるから」
「はい。よろしくお願いします」
「あぁちょっと待って」再度足を止められた。
「今日の診療代三千円。ここで精算するから」
先生は机から青いトレイを取った。そういえば今日は受付に誰も座ってなかったな。
「分かりました。あ、先生、お金払う前にその、今日は、ナシ、ですか?」
大事なことを忘れていた。これをしてもらわずに帰るわけにはいかない。
「ナシって、何が?」先生は思い当たる節がないといった様子。そんなに立派なのをぶら下げといてよく言うぜ。
「その、あの、ここに初めて診察に来た時にしてもらったその」
柔らかくて温かくて、全ての不安が消滅し活力が噴出するあの行為。直接言うのは憚られるがどんな抗うつ剤よりも即効性と中毒性があるあの医療行為。
「あぁ、おっぱいぎゅーの事ね」
先生はポンと拳で左手を打った。
非常に明瞭で非常に頭の悪い素晴らしい命名だった。声に出して呼びたい日本語だった。
「はい!! そうです!! それです!! おっぱいぎゅーです!! 今日もお願いしていいですか?」
「いいよ。ただし、別料金」
先生は自分の巨乳を左右の手で持ち上げる。
「え、金とるんですか? Cカップ以上は公共の財産じゃないんですか? ちなみに一時間いくらですか?」
「二十万。もちろん、着衣のままで」冗談、ではなさそうだった。怒りが湧いてきた。
「二十万あったらメンタルクリニックじゃなくてメンズエステ行ってるわ!! 何が『もちろん、着衣のままで』だ!! うぬぼれるな!! 世の中には千円で揉める乳があるんだ覚えとけ!!」
俺は先生を指さし、さらに獅子吼をふるった。
「いいか、今のお前はビル・ゲイツの孫並みに感じ悪いぞ!! 運よく金持ちの家に生まれただけのくせに、運よく乳がデカくなっただけの癖に!! 巨万の富を得た者はその一部を寄付して、巨大な乳を得たものその恥部で奉仕するんだよ!! 富の再分乳しろ!! もっと他人に社会に還元しろ!! 揉めない乳と人懐っこくない猫はこの世の負債だ!!」
俺は三千円をトレイに叩きつけ、破石クリニックを後にした。
□
―――二日後。
「ダメなんだぁぁあああああ!! やっぱり僕はダメな人間なんだああああああ!! 姿はあれども中身のない空白人間なんだあああああああああ!! 死にたいいいいいいいいいいいいいい!! 面接すらまともに出来ない出来損ないなんだあああああああああ!! 誰でも出来るが出来ない世紀のぼんくらなんだあああああ!!」
とある中小企業の面接に弾かれた俺は診察室で叫んでいた。木製の机が撤去されていた分、声がよく響いた。
あの面接官め。よくもあんな非人道的な質問を。「空白期間がありますが、そこでは何をしていたのですか?」だと? 何もしてなかったから空白になってるんだろうがこの白痴が!! 炙り出しでも期待したんか何時代だ!!
「色無さん、これ飲んで。落ち着いて」
対面に座っている先生が白衣のポケットから青色の大きな錠剤を二粒取り出し、手渡してきた。俺は水で一気に流し込む。
するとさっきまでの騒乱が嘘のように心が落ち着いた。
不安が消えた。世界の境界線も消えた。空を飛びたくなった。
ラブ&ピースだった。
「色無さん、世の中には誰にでも出来ることなんてないわ。誰にでも出来ること、というのは、単に多くの人が出来ているからそう感じるだけなの。本来、何かを出来る、というのはその難易度に関わらず凄いこと。それが出来るのはあなたが特別だから。優れているから。それを『普通』『出来て当然』と考えるのは、謙遜でも傲慢でもなく、悪。みんなが迷惑し世の中を生きにくくする。即やめて」
優しい言葉だった。いつもより先生との距離が近く感じられた。
「先生・・・っ、ありがとうございますっ!!」
俺は先生に抱き着いた。少し汗臭かった。
「いいのよ。また明後日も来て」バリボリと錠剤を嚙み砕きながら先生は言った。
「はい!!」
俺は三百円を支払い、次なる就活へ踏み出した。