51_正論神龍公論ダブロン
ハッピーエンドに向かっていた部屋は一変、明日夏の一言で修羅の国へとその雰囲気を変えていた。
「明日夏さん。い、今なんて」
本当は聞き流した方がいいんだろうが、それが通用する雰囲気ではなかった。
「え、いやだから、この漫画本当につまらないって。マジで。最近読んだなろう系? のコミックよりつまらん」
そのコメントは一番まずい。あんまり可愛くない子に「個性的だねー」って言うよりもヤバイ。
「ぐふっ」
見ると案の定、夢葉はド派手に吐血していた。白い原稿に赤い飛沫が映える。
「ま、まぁ、感想は人それぞれっすからね!!」
「蒼ちゃんの言う通りだよ!! どんな作品にもアンチがいるように万人に好かれるなんて土台無理な話なんだよ!!」
夢葉を介抱するように蒼たちが優しい言葉をかける。この中で空気を読めていないのは、やっぱり明日夏だけだった。
「いや、まぁそれはそうだろうが。え、なに? あんた達全員この漫画面白いと感じたわけ? 小学生の学級新聞に載っている四コマ漫画以下のこの作品を?」
「え、いやそれは、その。なぁ」
俺は蒼たちを見るが、さっと顔を伏せられてしまった。この窮地を俺だけに背をわせる気か薄情売女どもが。
「さっきからつまんないつまんないって。この漫画の一体どこがつまらんのさ!! 具体的に言ってみてよ!!」
口元の鮮血を拭いつつ夢葉が明日夏に嚙みついた。俺は最終的におとずれるであろう物理的なキャットファイトに期待して姿勢を正す。
「どこがって、そうだなぁ。あたしあんま漫画詳しくねーから、専門的なことは言えんが」
「まず、構図が変。絵が下手とか言うよりも、ところどころパース自体が狂ってて見てて気持ち悪い。コマ割りもチグハグで没入感を阻害している。あと、キャラクターに魅力がない。特に主人公。これは致命的。おっさんが主人公なのは百歩譲っていいとしても、あまりにも不快。もしモデルとかいるならそいつとは絶対仲良くしたくない。あと、ちょくちょく主人公から作者が透けて見えてきて気持ち悪い。特に主人公が『彼氏彼女持ちには本当の幸せなんてわかんねーだろうーがな』って得意げに言うシーンはゲボ吐きそうだった。漫画のキャラは作者の拡声器じゃねーんだぞ。あとこれが最後」
「流行りや王道要素を完全に排除して『俺、分かってるでしょ? これが本当の漫画でしょ? あいつら馬鹿でしょ? 俺って特別でしょ?』って勘違いのナルシシズムに浸ってるのが本当にムリ」
「もうやめてあげてぇ!!」
たまらず俺は昔ホテルからパクってきたバスタオルをリングに投入。膝から崩れ落ちた夢葉の元へ駆け寄り脈を測る。
よかった。まだ死んではいない。
「明日夏さん!! 作者ってのは何かと繊細で弱い生き物なんですよ!! 『批判、受け入れますよ』ってスタンスを取ってるけど、それを真に受けてどうするんですか!! もっとよいしょしなくちゃダメでしょう!!」
「そうだよおねーちゃん!! 夢追い人は現実的な言葉に弱いんだから!!」
「そうっす!! 今回の件は明日夏さんに非は無いけど責任はあるっす!!」
「んなこと言ったってよ。感想聞かせてくれって言われたから言っただけだぜ。大体、お前らが気を遣ったって、誰かに読まれればいつかはこんな感じの感想言われたんだから遅いか早いかの問題だろーが。それに、その場しのぎで美辞麗句言う方がよっぽど責任重大だと思うんだが」
「ほらまた正論!! すーぐ正論言う!! そういう思いやりのなさが人を再起不能にするんですよ!!」
「そうっすよ!! もっと相手の顔色を気にしてほしいっす!!」
「そうだよ!! でも、そんなおねーちゃん、彩は好き」
「だれが、再起不能、だって?」
夢葉がむくりと起き上がった。嘘だろ。まだ、心に刺さった剣は抜けていないはずなのに。
「夢葉。無理するな。辛い正論は聞き流して今は休め」
「そうっすよ。明日夏さん達に刺さらなくても、この日本の誰かには刺さるかもしれないっす」
「そうそう。たとえ十人のうち九人に嫌われても、一人に好かれれば大したもんだ。あとは母数の問題だから、な?」
「なぁ、あたしそろそろ寝ていいか?」
「待って!!」
立ち上がろうとした明日夏を夢葉が制止する。瀕死とは思えない力強い声だった。
「正直な感想、言ってくれてありがとう」
ペコリと夢葉は明日夏に頭を下げた。てっきり、『水商売女』だの『昼夜逆転でホルモンバランス崩れて死ね』だの言うと思っていたから面食らった。
「アタシも描いてて、あんまりおもしろくないな、って思ってた。描いててつまんなかった。でも、自分が好きで描いてた漫画が全然評価されなくて、このままじゃいけないって思って、でも流行り物は大嫌いで、だから、自分の好きと読者需要の妥協点探してこの漫画を描いたの。変われるかもって思ってたの!!」
夢葉の両手が強く握られる。
「アタシ馬鹿だから、資格も学歴も無い中卒だから、人生逆転するにはこれしかないの!! 漫画で見返すしかないの!! これだけが、自分にあるって思える唯一のことなの!!」
「でも、それまで否定されちゃったら、アタシ、どうすればいいの? もう、本当に何にもなくなっちゃっうよ・・・」
夢葉の目から数粒の涙が流れ落ちていた。
「夢葉・・・」
お前
お前、本当に中卒だったんだな・・・。
今度、古文教えてやるからな・・・。
「おいおい何も泣くことはねーじゃねーか。あたしは漫画の感想を言っただけで、お前の夢も中卒だってことにも口出ししてねーし」
珍しく明日夏が見るからに慌てていた。日常的に人を泣かせていそうなのに、意外だ。
「あー、分かった。あたしの感想がちょっと配慮に欠けていたことは謝る。そんな過去があるとは知らず申し訳ない。ただな、夢葉」
明日夏は夢葉に歩み寄り、両肩に手を乗せた。夢葉は涙も拭わず明日夏の顔を見つめている。
「いつか現実にしたい夢なら、現実から遠ざかっちゃダメだ」
また、この人はそういった正論を
「ちょっと、明日夏さ」
「何度でもぶつかって何度でも立ち上がれ。死ぬほど傷だらに無残になっても、ぶつかっていけ。そうすれば鈍い奴らでもいつかは気がつく。だから、それまで負けるな」
「少なくとも、あたし達は見てるからよ」
「あ、明日夏さん・・・」堰を切ったように夢葉の目から涙が流れる流れる。
正論というか、まっすぐな言葉は良くも悪くも人の心に大きく作用するようだ。
「ほら、これで涙ふけ鼻かめ」明日夏はポケットからハンカチを取り出し夢葉の涙を拭った。
年下中卒女と年上水商売女。この組み合わせ、ありかもしれん。
今夜の為に出来れば抱き合ってくれないかな。
「明日夏さん、また漫画描いたら読んでくれますか?」
「あぁ。いつでも持って来い」明日夏が夢葉の頭をぽんぽんと叩く。
「はいっ!!」
涙に濡れた笑顔はとても眩しかった。