2_新天地の吹き溜まり
公園を出てから大した会話もなく、ただただ気まずい時間が流れた。
唯一交わしたのは言葉は
「この道、国道なんですよー」
「へぇー。そうなんですか。すごいですねー」
以上。中学生男女の距離感だった。体力よりも気力をがっつり奪われた。
実際は十分も歩いていないかもしれないが、体感的には三時間半は経過していた。
「到着です。お疲れさまでした」牡丹さんが立ち止まり、振り返る。
久しぶりにその顔を見た気がする。
「こ、ここが俺の新天地。『ノブレス・オブ・リージュ』」
目の前に聳え立つのは、二階建ての木造アパート。後方には豊かな林が広がっている。対照的に国道からアパートまでの敷地には雑草の一つも生えていなかった。横長の家屋はボロい訳ではないがなんか不潔で『部屋に入るとブックオフの臭いがしそう』というのがファーストインプレッションだった。あと、よく燃えそうだった。
これは何かの間違いだ。
俺の新住所がこんなに臭そうなわけがない。
てか、マンションって言ってたのに、どう見ても木造アパートじゃん。
隣室の音筒抜けじゃん。殆ど長屋じゃん。
「こ、ここが俺の新天地。『みそカス亭』」
「違います。ノブレス・オブ・リージュです。どうですか? 腐った現実と向き合うにはおあつらえ向きの場所でしょう? ここから色無さんの新生活が始まるんですよ」
大爆笑、といった感じでバンバンと背中を強くたたかれる。
この人、楽しんでやがる。俺の人生で楽しんでやがる。
人一倍あるプライドに火が付いた。
俺は食欲とプライドの高さだけは誰にも負けない自信がある。
「どうですか? 嬉しすぎて言葉もないですか?」
「あの、牡丹さん。ちょっといいですか」
牡丹さんは、はい。どうぞ、と優しく返した。
「いくつかあるんですけど、まず一つ。これどう見てもマンションじゃないですよね? 鉄骨製の三階以上を有する住居じゃないですよね? 二階建ての木造アパートですよね!?」
「それから二つ目。牡丹さん、あなた俺を助ける風を装って、俺の人生を笑ってますよね? 見下してますよね? 弄んでますよね? ふざけんじゃねぇよ!!」
俺は足元に転がっていた小石を思いっきり蹴り飛ばした。小石は一度大きく跳ね視界から消えた。アパートの方からパリン、と何かが割れる音がした。
「こっちはな、藁にも縋る思いで、必死に人生立て直そうとしてんだ!! 前を向こうとしてんだ!! それを人の弱みに付け込んで、自分たちの道楽にしようなんて、これが一生懸命生きた人間に対する仕打か!!」
俺は足元に転がっていた小石を思いっきり蹴り飛ばした。小石は一度大きく跳ね視界から消えた。アパートの方からパリン、と窓か何かが割れる音がした。
「答えろ!! 牡丹!!」
俺は貫く勢いで白い悪魔を指さした。
この闘いに正解などない。
だが、問いたださずにはいられなかった。
牡丹はでかい胸の前で腕を組み、乳に全部栄養を持ってかれたカスカスの脳みそで答えを練っている。
数十秒後、腕がほどかれた。
さぁ、答えてみろ。
「あなたの思い、とても胸に響きました」彼女の目元に光るものが見えた。
「色無さん」彼女は噛み締める様に俺の名前を呼ぶと
「嫌なら別にいいんですよ」
「喜んで住まわせて頂きます。お慈悲感謝いたします」
俺は深く頭を下げた。何度も何度も。
土下座はしない。それが俺のプライドだった。
「次、文句言ったら一階の西日がガンガン差す部屋に移しますからね」
「それだけは、西日と多湿だけはご勘弁を」
「あと、割った窓代は来月分の家賃に加算しておきますからね」
「そんな。あれはコラテラル・ダメージってやつで」
「違います。自業自得です」
「せめて折半」
「地下牢も一つ空きが出たので、そこにしましょうか」
「払います。耳を揃えて心を込めて払います」
俺は深く頭を下げた。土下座はしない。それが俺のプライドだった。
「それから、あの林の向こうは私の住む豪邸に続いていますので絶対に入ってはいけませんよ? どの道、世界一の塀があたりを囲んでいるので侵入できませんが」
「はい。心得ました。皆にもそう伝えておきます」
俺は忘れない様に右手の甲に「林=早死」とマイネームペンでしっかりメモした。
「それじゃあ、お部屋まで案内しますね」
「はい。お願いいたします」
また、牡丹さんの三歩後ろを歩く。影を踏まぬように注意する。
アパートの前面にある階段をのぼる。
俺の部屋は二階らしかった。
少し嬉しかった。