17_学校へ行こう、だと?
「おーい。学校行くぞー。今日は登校日だろー」
あたしは努めて優しくに呼びかける。
「行きたくない」
「どうしたんだよ。今日は登校するって約束したじゃねーか」
「気が変わったの!!」短く返される。土壇場での我がままか。短くため息を吐く。
「おいおい。どうしたんだよ。そうだ! 学校の帰りにみんなでマックでも食べないか? ポテトのSサイズにケチャップ鱈腹かけて、お冷も貰ってよ!」
「嫌なの! 今日は、行きたくないの! ほっといてよもう!」
枕を投げつけられる。今日に限ってどうしたんだ。
「学校今日は行かないの!! 行きたいなら勝手に行けばいいじゃん!! 人の気持ちも知らないで!」
だって、だって、俺――――。
「いい加減にせぇや無職がああああああ!!」
「ひいぃぃい!!」
掛け布団を引っぺがされる。視界に明日夏が現れる。おでこには富士山の様な青筋が立っている。
「お前なぁ、彩と、この間約束したんだろ? 次の登校日は一緒に行くって!! それなのに何当日にドタキャンしようとしくさってくれてんじゃあああああ!!」
本当に遠慮なしに胸倉をつかまれた。これは十年選手にしかなせない業だ。
「ちょ、待って、誤解です誤解!! 確かに約束はしましたけどドタキャンではありません!! だって、俺三日前から『調子悪いなぁ』とか『なんかだるいなぁ』とかそれとなく『ちょっと外出は難しいですよ』アピールしてたじゃないですか!! この機微を受け取れないのはそちら側の責任だと俺は思いますよ!!」
「そんな理屈が通るか我儘ニートが!! 陰気くせぇことしやがって。そんな変化に気づくほど世間はおめーに興味ねぇんだよたわけが!!」
「そんなことないもん!! 期待の注目株だもん!! だから、前後に揺らすのやめて!!」
このまま揺らされたら昨日食べた水道水が、現世に召喚されることになる。
「ねぇ、おじさん」
「あ、彩。おはよう。彩からも明日夏さんに何か言ってやってくれ」
「おじさん、彩と一緒にお外出るの、嫌なの?」
ぴたっと揺れが収まった。それは却って具合が悪かった。
「そ、それは」
返答に窮した。彩の隣を歩くのが恥ずかしくて、一緒に歩いてるところを誰かに見られて噂になるのが恥ずかしいとかではなくて。俺は。
「彩とのお出かけは嫌なんかじゃない。むしろ、行きたい。手を繋いで闊歩したい。でも、俺は、今の俺は」
「人混みに耐えられる気がしないんだ・・・。あとシンプルに学校が嫌い」
大の大人が、恥部を見せてしまった。こんな、こんなあどけなさの残るかなり年下の女の子に。
軽蔑されただろうか。嫌われただろうか。
でも、仕方ない。
これで街に行かずに済むなら、安いもんだ。So Cheapだ。
「なんだよ。そんなことかよ」
ため息か罵声が飛んでくると思ったが、その声色は優しかった。
「それなら心配ないよおじさん。だってM高は山奥にあるから」
「え、そうなのか? でも、教育の最先端を突っ走るM高がそんな山奥にあるわけ」
「真の賢者はね。都会の喧騒を嫌うものだよ。だから一緒に行こう?」
「よっしゃ行くか!! なんだよ山奥かよそれならそうと先に行ってくれよ!! でも、よく考えたらそうだよな!! あんなぽっとでの高校が都会の一等地に土地を買えるわけないもんなあはははは!! よっし、帰りはちょっくら山によって遊んでいくか!! 食べられないキノコの見分け方教えてやるからな!! あと、熊鈴持ってけよ!! 熊鈴!!」
「わかった! じゃあみんなで授業参観にレッツゴー!」
「ゴー!!」
□
二時間後。俺は街にいた。
上り方面の電車に乗った時点で気づくべきだった。駄々をこねるべきだった。
至る所に人人人。
男は一様に髪を茶色に染め、女は百回生まれ変わっても理解できないであろう珍妙な服装をしている。
具合が悪くなってきた。職を失ってからこんな感じだ。大勢の人が怖い。
俺が無職であることが見透かされていそうでたまらない。
ごめんなさい。おてんとうさまごめんなさい。
「おい、何、自動販売機の真ん前に立ってんだよ。買う金もないのに」
「だって、怖くて。帰る。やっぱり俺帰る!!」
その場に寝転がって控え目に駄々をこねる。
まだ羞恥心を捨てきれていないのが嬉しいやら悲しいやら。
「よし。わーった。そこまで駄々こねるなら帰っていいぞ。ただし、電車賃はださねーけどな」明日夏は不敵に笑う。
「そ、そんな・・・」
片道三百円なんて大金、一生かかっても無理じゃないか。こっからラスベガスに行くのとほとんど同じ難易度じゃないか。
力が、金が、欲しいっっ。
俺は寝転がったまま、強く両手を握った。
爪が食い込む。
この痛み。忘れてなるものか。
「おじさん、そろそろ行かないと遅刻しちゃうよ」
彩に右腕を引っ張られる。
「そうだな。分かった。俺も男だ。覚悟を決めよう」
立ち上がり、尻と背中をたたいて汚れを払う。
「よっしじゃあしゅっぱーつ!! 二人ともこっちだよー!!」
「彩ーあんまりはしゃぐと転ぶぞー」
明日夏の声に彩はブイサインで答える。気持ちが少しほぐれた。
「あんなにはしゃいで全くもう。今日はありがとな、付き合ってくれて」
「気にしないでいいよ。正直、今でも帰りたいが、彩の悲しむ顔は見たくない」
「へぇー言うねぇ」
突然、明日夏に右腕を奪われ、あっという間にバカップルの様に腕を組まれた。
「な、おい。まだこんな明るい時間に!!」
突然のデレ明日夏に俺は壊れかけのレディオ。
「だって、今日授業参観だからな。普通こういう時は両親が見に来るもんだ。あたしは彩には普通の生活を送ってもらいたいんだよ」
「だから、今日だけ夫婦ってことで。よろしくお願いします。あ・な・た」
ギューッと腕を抱きしめられる。
なんだ。
なんだこいつ。
なんだこいつ、かわいいぞ!
「全く、全く困ったハニーちゃんだぜ☆ ただ、そんなところも可愛いんだけどな☆」俺は子猫ちゃんのおでこを軽くはじく。
「あんっ、もうジョニーったら!」アメリアが唇を尖らせる。
「二人とも早く早くー!」
おいおい。マイエンジェル。そんなに急かすと本気出しちゃうぜ、一直線に駆けちゃうぜ、ボストンのビッグホースの様になHAHAHAHAHA!
「ヒアーウィーゴウッ!!」
手綱を引き、ウマを走らせる。マイエンジェルがスマイルしている。
「なぁ、ハニー」
「なぁに?」
「ボストンの疾風、感じるか?」
「うん!」
肩に柔らかく広がるぬくもり、それだけがリアルだった。
授業参観は作文発表会だった。
俺は泣いた。