16_じっと手を見る
彩の子守からの帰宅途中、自室前で蒼とばったり出くわした。
「あ、透さん、こんばんは!」
「こんばんは。今、帰り?」
「はい! 工事現場のバイトから帰還したところっす!」
蒼はぐっと力瘤を作る。
その山は俺のそれより大きく、取っ組み合いになったら組み伏せられることを意味していた。逆らわない様にしよう。
「透さん、これからひま・・お時間ありますか?」
「変な気遣わないで。優しさは時に人を傷つけるから。特に予定はないが、どうした?」
「なら、これから不思議会議しませんか!? てか、やりましょう! ぜひ!」
月よりも明るい表情で蒼が迫る。
「不思議会議? あーこの間言ってたあれか。同じ夢を見たとか女の子消失現象とかそれ系の話か。それならまた今度な」
「今なら煎餅一つ、いや二つまで無料!」
「いいいいぃ行きますっ!」
男は煎餅と肉じゃがに弱い。
□
「てな訳で、六月二十四日は全世界的にUFOの日なんですよ!!」
「なるほどなぁ。それは知らなんだ。で、だから今度の六月二十四日に宇宙関係の何かが起きると」
手塩煎餅をバリッとかじる。うまし。麦茶も勧められたが丁重に断った。最近は件の夢をめっきり見なくなった。むしろ、ノンレム睡眠全盛期だった。
「そうそうそうっす! もし、私達が何らかに選ばれし者ならその周辺にまた夢を見るかもしれないから要チェックっす!」
「分かった。要チェックしてみる。しかしなんだ。風呂、入らんでいいのか? 力仕事は疲れただろう?」蒼の体からは少し、酸っぱい臭いがした。
「あぁいいんすよ。どうせ、次の仕事で濡れますから」
濡る、湿る《しめ》る、滴る、その言葉に男は弱い。だから、ついつい聞いてしまっていた。
「蒼、次のバイトってもしかして・・・」
「はい。死体洗いっす」
「チッス」時給は怖くて聞けなかった。
「でも、そんなにバイト詰め込んで大丈夫か? 借金でもあるのか?」
「いえ、そう言うのは無いんすが、何故か働いても働いてもお金がたまらないんすよね。こんだけ働いても、一ヶ月にもらえるお金は十万ちょいでそっから諸々引くと、とても貯金できる分は残らなくて。本当、何なんでしょうかね」
俺は何と返答したものかと考えながら煎餅をかじる。さっきよりも湿気っている気がした。
「そうだよな。働いても働いても金貯まらんよな」
「はい」
「真面目に生きてるのにこんなのあんまりだよな」
「はい。透さんはバイトとかしてるんすか? ここに来る時点で安月給なのは確定なんすが参考までに」
「俺? してないよ。するわけ無いじゃん」
なんだろう。俺は何故かとても自身に溢れていた。負ける気がしなかった。
「なんで安月給のために毎日朝から晩まで辛い思いしなくちゃならんのだ? 年下の上司に怒られ、年上の同僚に見下され、同い年の得意先に頭を下げる。なんだこれは? これが人生なのか!? ワッツマイライフ? ファッキュー!」
「分かるっす! シフト応相談は相談してくれないし、交通費支給とありながら上限三百円までだし、どういうことっすか!? 住めと? 近くの公園にでも住めとそういうわけで!?」
「なーにが『終電で帰れるだけ俺たちホワイトだよな』だ! 頭バグっとるやんけ! よく俺無遅刻無欠席行けたな!! 花丸だろ!! 病気だろ!! 皆勤手当よこせ!!」
「ホントっす! 『おめでとう! 時給アップだよ!』って、満面の笑みで告げておいて、蓋を開ければ五円アップって舐めてんのか! 小学生でも萎えるはそんなん! 『私のこれまでの頑張りって五円の価値もあったんだわーい! 神!』なんてなるかボケェッッ!! その笑顔はどこから来たんだマジで。本当にこれで成人女性が喜ぶとでも思ってんのかマジで!! 株価気にする暇があるならその時間で人を喜ばすという事の意味をもう一遍考え直せ!! ほんまに!!」
「そもそも、あれじゃ働いているなんて言えないわ! あーゆーのは『こき使われてる』っていうんだ! 誰が人生の八割を働きアリで過ごすかよこっちから願い下げじゃ!!」
「まったくっすよ! 透さん、もう飲みますか!! 今夜は飲みますか透さん!!」
「おうよ!! 今夜は無礼講だ俺の奢りだ!! 酒もってこーい!!」
「わっほーい!!」
その日、俺と蒼はぐちゃぐちゃになるまで飲んだ。
秘蔵の日本酒は空になったが一人で飲む酒より何倍もうまかった。
蒼はバイトをクビになった。