どうも、なにかと便利な王家の影です。(コミカライズ企画進行中)
暗殺、諜報、なんでもござれ。
命令ひとつで西へ東へ。
歳は十八、名をオリヴィア・ダークリズ。
王家の忠実な犬として、陰日向に暗躍する日々でございます。
さて、特殊な家業だということは私も十分に理解しておりますが、王家の方々はそれはもう便利に使ってくださいます。
かつては王子がやらかした婚約破棄の裏側をさぐれだの、いじめの状況証拠を集めろだの、それはもう大変だったそう。業務内容が大変ではなく、モチベーション維持が大変という意味です。いくら影とは言っても血の通った人間なのでやる気の有無だってあるのですが……きっと人間とは思っていないのかもしれませんね。
我々は尊きお方の要望にお応えすべく、幼少の頃からひどい訓練を重ね、人間ばなれした働きをしてまいりました。おかげさまで重宝されています。汚い仕事だってなれっこです。嫌だとかやりたくないとかは、許されないので。
やれるだけやります。できなかったら罰を受けます。王家の影という名前は本当にその通りで、人間としての尊厳を踏みにじられて、暗闇から出ることが許されません。
それでふと思いついちゃったんですよ。
主を殺したら自由になれるのかなって。
「そういうわけでお命頂戴しにまいりました」
「ちょっと待て!!」
私は今、主であるリチャード殿下の寝所におります。眠っていた殿下にまたがりナイフを突きつけて事情を説明しているところです。
「どう考えたら主君の命を刈り取ることになるんだ!」
「私の自由のためにですかね。文字通り尊い犠牲となってください。ではさらば」
「だから待って!」
防音壁を張っているので室内の音は漏れません。ご安心ください。
「おまえ、血の契約を忘れたのか。影は絶対的な忠誠を誓い、王家と強力な契約を結んでいる。力を得られる代わりに、背けば死が与えられるんだぞ」
犬には首輪をってことですね。わかります。今まで従うことに疑問などありませんでした。首輪を通して主人の存在を認識していたのでしょう。でも気付いてしまったんです。忠犬には首輪で十分ですが、狂犬にはそんなもの意味がないと。気に食わなければ主人の喉元を食い破ればいいのです。
「ずいぶんトチ狂った契約をしたものですよね」
笑顔でぶっちゃけると殿下の顔が引きつりました。初代だけならまだしも子孫にまでそれを受け継がせるなんていったいどんな罰ゲーム。殿下もそう思いませんか。
「肉体強化だ魔力増加だ、そんなものは任務をより確実に行うための能力であって、それで『わーとってもうれしー♡』とはならないんですよ。なのに破ったら死ぬだなんて……単なる脅しです、理不尽の極みです」
改めてナイフを握りしめます。
「なので殿下にも理不尽な死が必要かなって。じゃあさようなら」
「お願いだから待って!!」
本物の犬じゃないんですから待てはないでしょう。けれど悲しいことに体は殿下の言うことを聞いてしまいます。
「お、おまえの望みはなんだ」
「こんな生き方をやめることです」
その結果自分が死んでしまっても、魂は自由なわけです。それならいいじゃないかと思うのです。
「俺がそれを叶えてやる。だから殺してくれるな」
「えー……」
我が主ながらその必死さに引いてしまいました。
「おまえ、確かオリヴィアという名だったな」
「ご存知でしたんですね。意外です。殺していいですか」
「ダメだから!」
今宵はチャンスだったんですよ。リチャード殿下はただいま視察で王城を離れてらっしゃいます。共についた影は私だけ。普通ならあり得ませんけど、このところイレギュラー続きですからね。誰にも邪魔されずに王族を害し自由を手に入れる絶好の機会なのです。だというのに。
「オリヴィアよく聞け。俺がおまえの願いを叶える。約束する。だから、そのナイフを、しまえ」
言葉を区切り、まるで幼子に言い聞かせるようです。私はしばらく考えました。
「じゃあ、さっきの言葉を破ったら死んでもらうってことでどうでしょう」
殿下の上から降りると乱れた寝具を整えました。寒くないように肩まで毛布をかけます。殿下の呆気にとられた顔がなんだかおもしろいです。
「殿下、一般的な女子は夜に眠るものなんですよ。なのでそれにならって私も寝ますね」
殿下のベッドは広いです。私はベッドへ乗り上げて殿下の足元へ移動し、ころんと横になりました。上等でふかふかの寝具はとっても気持ちがいいですが、落ち着かないのでできるだけ体を丸めます。
「……は?」
「は?」じゃないですよ殿下。仕方ないじゃないですか。私の寝床って用意されてないんですもの。
「邪魔するなら殺しますけど」
「シナイヨ・ユックリオヤスミ」
「おやすみなさい殿下」
まったく眠気は訪れませんが心はふわふわします。こういうのはポーズが大事ですから気がすむまで横になってようと思います。
「……寒くないのか」
「慣れているので平気です」
それから殿下は口を閉じてしまったので私も黙ってベッドの感触を楽しみました。
◇
願いを叶えてくれると言っていましたが、殿下はなんだか少しズレている気がします。
「殿下、私はお姫さまになりたいわけじゃないんです」
なぜか朝っぱらから豪華なドレスをよこしてきました。きっとこの黒装束をどうにかしようと思ってくださったんでしょうけど。殿下違うんです。そういうことじゃないんです。
「残念です。死んでください」
「まてまてまて俺が悪かった!」
最終的には動きやすさ重視で男の子のような格好になりました。そして部屋へ運ばれてきた異様にたっぷりの食事。
「殿下は食いしん坊ですね」
「勘違いするな、こっちはおまえの分だ」
言葉を飲み込むのに少し時間が必要でした。つまり食事を一緒にとるということですか。特別仕様の体なのでその辺りは頓着してませんでした。
「一般的な女子は座って食事をとる。おまえもそこへ座れ」
「……はい」
味を重要視されたであろう食事は、たぶん美味しいのだと思います。よくわかりません。でも悪くないと思いました。
「オリヴィア、町へ行くから付いてこい」
「命令ですか? 殺していいですか?」
「い、一般人が行うような散策をしたいなぁ! もちろんオリヴィアも一緒に行くよなぁ!」
一緒に降りた町は活気があっていいところでした。殿下は何か目的があるのか、厳しい眼差しで店の人間に話しかけたり商品や道ゆく人々を見回っています。ふだんならこの様子を陰ながら見守っているのですが今日は隣にいるので不思議な気分です。お忍びとはいえ、周りには護衛もそれなりにいるので大丈夫かと思いますが。
やはり少し離れたところから見ているのと隣にいるとじゃ視野が違いますね。これでは不審者が殿下に近づいても発見に遅れるかもしれません。周囲の気配をつかもうと神経を尖らせたところで我にかえります。
「ついつい仕事してしまいますね」
苦笑が漏れました。やっぱり染み付いた生き方は消せないんですかね。
「なにか言ったか?」
「今なら不意打ちで殺せるかなって」
「やめてくださいお願いします」
のんびりした町並みなのに、どこか空気がピリついています。
以前より王国がきな臭いと強く感じていました。だから影もひっきりなしに使われ、裏切りの臭いを嗅ぎつけては粛清していました。その中でも民衆を隠れみのに使う自称革命軍は厄介な存在です。なんでも、王を倒して民衆の中から指導者を立てるそうな。殿下が王城から離れていらっしゃるのも何か関係あるのかもしれません。
人混みの中。一瞬、刃物の反射光が見えました。
「殿下!」
咄嗟に殿下の体を突き飛ばし、振り向きざまに相手の人間を蹴り倒します。少し油断していたようです。周囲に鋭い殺気が増えました。素早く見渡せば護衛のうち三人が消えています。寝返った可能性がある以上、この場にとどまるのは下策。
「逃げます。お捕まりください」
「オリヴィア、おまえ……」
特別仕様の体なので、短時間ならば成人男性を抱えて動き回ることができます。消耗はひどいですが背に腹はかえられません。嫌がる殿下をかつぎ、跳躍し屋根に上がって、私はそのまま駆け出しました。
「止まれ! 命令だ、聞けオリヴィア!」
どれくらい移動したでしょうか。肩にかかる殿下の重みがしんどくなってきたので適当に入った林で下ろします。ついでに足に力が入らなくなってそのまま地面にくずおれました。鼻先でつんとした土の匂いがします。
「やっぱり習性は抜けないものですね。つい殿下を助けてしまいました。ここまでくればひとまず大丈夫でしょう。先ほど救助連絡を入れましたから、いま別の影が殿下をお守りするべく向かっています。しかし時間はかかるでしょう」
見上げることしかできませんがご容赦を。
「追っ手の気配を感じます。今はお逃げください」
殿下ったら顔色が悪い。ああ、服も赤く汚れてしまいましたね。すみません、私としたことが至りませんでした。
「殿下、お早く」
逃げてください。
もう役に立たない私は捨て置いて。
「いやだ」
「わがままをおっしゃらずに」
「いやだ、おまえも連れて行く」
「……しつこいと殺しますよ」
「できないだろう! そんな大怪我で!!」
泣かないでくださいよ。殿下ともあろうお方が。
無様に避けそこなっただけですから。
「もう、いいんですよ。殿下は狂犬を可愛がってくださいました。それで十分です」
もう面倒は見なくていいんです。私が知ってる王族は、影の命なんてなんとも思ってない人たちなんですよ。だから殺してやろうと思いましたし。
でも、殿下は……
「はやく」
意識が朦朧としてきました。出血を放置してあんなに動いたら、まあそうなりますかね。でも刃物を腹に入れたままだったら動きづらいし、抜くしかなかったんですよ。
「オリヴィア!」
私の名前なんか呼んでるヒマないですよ。
お願いですから、逃げてください。
じゃないと、殺してやります……から……
◇
王国は倒れた。
王を討ち取った革命軍は王政廃止を告げ、そのリーダーが指導者として名乗りを上げる。主だった王侯貴族らは彼らに降るか否かを問われ、否と答えた者の首には容赦なくギロチンが落とされた。
彼は万人の平等を訴え、そして改革を行った。しかし突如様変わりを強いられた国は混乱を極め、周辺国の視線も日に日に捕食者のようになっていく。
ある者は新しい指導者を喜んだ。
だがある者は王政復古を望んだ。
当初はまとまっていた内部も次第に摩擦が起こり、理想を掲げた指導者は、理想を求めるあまりに独裁を振るうようになった。
これではかつての王朝よりひどい。
そう嘆いたのは水車小屋の萎びた老父であった。
そういう者はこぞって言う。
リチャード殿下がご存命なら、と。
「さっきから何を言ってるんだ」
「いえ、ちょっとした予言を」
「しっかりしろよ。ああそうだ、しばらく野宿続きだから覚悟しておけオリヴィア」
「えー」
「えー、じゃない。念願叶って自由になれたんだ。嬉しそうな顔くらいしろ」
そう言った殿下は、だいぶ日に焼けてたくましい顔つきになっていました。
あの時、殿下は倒れた私を担いで奔走したらしいです。らしいと言うのは殿下があまり当時のことを話してくれないからです。何度ねだってもダメだと言われます。だいたい「おまえが特別頑丈だったから運よく助かった」で終わりです。
でも私は覚えてるんですよ。
夢うつつの中、甲斐甲斐しく世話をやいてくれた殿下のことを。あんなコトやこんなコト、してましたよね? 恥ずかしいから言いませんけど。
「殿下」
なんだか呼びたくなってしまいました。
「もうそう呼ぶな」
「私の中で殿下は殿下です」
たとえ玉座から落とされても、追われて流浪の旅を続けていたとしても、私の主はこの方だけです。
「俺は時々、おまえに犬耳と尻尾が見えるよ」
「今はどうですか」
「尻尾ぶんぶん振ってる」
そう言って柔らかく笑う殿下。
尻尾はもっとぶんぶんしたことでしょう。
わたくし、名をオリヴィア・ダークリズと申します。
命令あれば西へ東へ、どこまでも駆けてまいります。
主と決めた、この方のためなら。