後は若いお二人に任せて。
喜多美神社は神聖な空気と静寂に包まれていた――
「おはようございまーすっ!」「お早う御座います」「お早う御座いますぅ」
「あー、忙し忙し、前夜祭の奉納はやしが待ち遠しいわ。その後はみこし巡幸に里神楽。あっ、めぐみさんっ! 縁日もやるって。良かったじゃないの」
「えぇっ! 本当ですかっ! 楽しみぃー。うふふっ」
「でもぉ、有形文化財にぃ、グラフィティとかするぅ、変な輩に気を付けないとぉ、いけないんですよぉ」
「模擬店がガードする事にしたみたいだから、大丈夫よ。それより神楽は確りね、緊張しないでよっ、何時も通りで良いからね」
「朝から大忙しですね。でも、何だか楽しい!」
お昼を過ぎた頃、鳥居の向こう側に黒塗りの車が停まった――
「あらららら、まーた、来ちゃったわよ。狛江ばばあ」
「めぐみさん、頑張って下さいねぇ」
「いや、頑張るって……」
大森文子が参道を足早に歩いてやって来た――
「めぐみさん、こんにちは。先日は色々教えて頂いて有難う御座いました」
「いえ、とんでも御座いません」
「お陰で、黒田菜月さんに会えて良かった」
「そうですか。上手く行ったみたいで良かったですねー」
「えっ? ちょっと、まだ何も話していないじゃないの。上手く行ったかどうか、分からないから来たのよ。一輝さんのお見合い写真とプロフィールは渡したのだけど、アルバイトから帰ってくるのが遅いでしょう? 具体的な話は何も出来なかったのよ」
「ん? と言うと……一輝さんは、この事を知らないのですか?」
文子は何も言わず、めぐみの目を見て頷いた――
「何をやっているんですかっ! 信用して安心して任せていたのにっ! 今夜、本屋でふたりが会ったらどうするのですかっ!」
「どうするって? どうしよう……どんな感じかしら?」
「どんな感じかしらって……もう、例えばですよ、ずーっと片思いで慕い続けた人に『私、無理ですからっ!』と突然言われたらどうなるの? 傷付きますよ、えぇ、そりゃぁ、もう。しかも、自分の知らない内に、勝手に話を進められて、大切にしてきた恋心を、おもちゃにされた事を知ったら……一巻の終わりですよ」
「脅かさないでよぉー、もっと、ほらっ、良い例えだって有るでしょ?」
「そぅさなぁ『あのぉ、私で良かったらぁ、全然オッケーですぅー、よろぴくっ!』なーんて言われたら、どうでしょう?」
「どうなるのっ?」
「何も知らない一輝さんの大切にして来た淡い恋心が、しゃぼん玉の様に……『パッ』と壊れて消えてしまうね……男の純情と云うのは儚いものなのです。踏みにじる様な事をしちゃあ、いけませんよ」
「そんなぁ……どうしよう? ねぇ、一輝さんに連絡すれば良いわよね?」
「仕事中に部外者が突然、お見合いの件で呼び出せますか? ケータイ鳴らしても顰蹙ですよ。トーシロはコレだから困るよ。駅で帰って来るのを待ち伏せして、菜月さんに会う前にシッカリ話を通して下さいっ!」
文子は無言で、雨に濡れた子犬の様にめぐみの瞳をじっと、見つめた――
「……………………」
「そんな風に見つめないで下さいっ! 私も協力しますから、すれば良いんでしょっ、もうっ!」
狛江の駅前で待ち合わせの約束をすると、文子は帰って行った。そして、めぐみは一日のお務めを終えると、急いで狛江駅に向かった――
「ふぅっ、文子さん、お待たせしました。もうこんな時間だけど……まだ帰って来ていないのですね」
「そうなのよ。私ねぇ、痺れ切らして、さっき連絡しちゃったの。そしたら、今夜は遅くなるみたいなのよ」
「まーた、余計な事をして。根気強く待つしか有りませんよ、焦りは禁物ですから」
ふたりは駅前のカフェで時間を潰していたが、蛍の光が流れて来たので、仕方なく居酒屋へ移動した――
「しかし、零時を過ぎたら、お話って言うのも何か変ですし、解散と云う事で……」
「めぐみさん、大丈夫かしら? 心配だわ『後は若いおふたりに任せて、失礼しまーす』って言えば纏まる様に準備がしたかっただけなのに……」
「今更そんな事を言っても駄目ですよ。第一、黒田菜月さんのお見合い写真もプロフィールも用意出来て無いのに、一輝さんのお見合い写真を置いて来てしまうなんて。何を考えているんですかっ!」
十時が十一時になり午前零時と、無情に時は過ぎて行った――
「めぐみさん。遅くまで付き合わせてごめんなさいね。もう、帰りましょう」
「うーんっ、残る電車は四十五分と五十三分の二本だけ……お話が出来るとしても、私が居ても仕方ないですしね……それでは文子さん。おやすみなさーい」
「どうも有難う。気を付けて帰ってね。おやすみなさい」
その後、文子は終電まで待ったが、一輝は帰って来なかった。自分の勇み足を猛省しつつ、諦めて帰宅する事にした――
終電で駅に着いた人々の中にはタクシーの列に並ぶ者、徒歩で帰宅する者、本屋に寄って、コミックのレンタルや立ち読みなどをする者が居たが、午前一時半を過ぎると駅前には人影は無くなり、静寂に包まれた――
「菜月さん、品出しまでやって貰って申し訳ないね」
「あ、全然平気です。今日は発注も大して無かったですし。注文のお客さんがまだ取りに来ていないのですけど……後は陳列だけですから、直ぐに終わりますから」
菜月は注文主の一輝の事を意識していた。そして、気が付くと何故か心が弾んで、何時しか来店を心待ちにしていた――
「彼氏いない歴が実年齢の私……こんな感情を抱いても無駄なのに。お見合いなんて出来る訳が無いのに……」
店の後片付けをして、引継ぎの連絡ボードに「田中一輝様が注文の本を取りに来ていません」と記入をすると、外へ出てシャッターを下ろし、入り口だけ半分下ろして、レジの終局をしようと店内に戻ろうとした時、一台のタクシーが停まった――
「あのっ! もう、閉店……ですよね?」
降りて来たのは、終電を逃してタクシーで帰って来た一輝だった――
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