心に決めたあの人は誰?
大祭が目前に迫る喜多美神社の朝は早かった――
「おはようございまーすっ!」「お早う御座います」「お早う御座いますぅ」
「いやぁ、朝晩はだいぶ寒くなって来たねぇ」
「身が引き締まるって言って下さいよぉ」
朝の挨拶を交わし、皆で和気藹々とお茶を飲んでいると、鳥居の向こう側に黒塗りの車が停まり、降りて来たのは着物姿も堂に入った中年の女性で、その姿を見るや緊張が走った――
「めぐみさん、大変、狛江ばばあが来ちゃったよっ! 逃げる?」
「狛江ばばあが接近中っ! とっ捕またらぁ、なんかぁ、面倒な事になりそうですよぉ」
「本日、やる事が山積みなので、鯉乃めぐみ、逃げますっ!」
「お早う御座いまあ――すっ! あらっ? めぐみさん、何方へ? 逃がさないわよっ!」
「あうっ……捕まった、お早う御座います」
「昨日の話の続きなんだけど、お昼にちょっと御食事でもしながら。ねっ、迎えに参りますので。良いわよね? 断る理由なんて無いもの。それでは後程。おーっほほほっ、おーっほほほほほほ」
「悪い人では無いのでしょうけど…………こっ、怖いっ!」
喜多美神社に黒塗りの車がお迎えに来ると、めぐみは拉致される様に連れ去られ、暫く走ると、料亭に着いた――
「これはこれは大森様、お待ちしておりました。御用意が出来ておりますので、どうぞ此方へ」
狛江ばばあの連れでなければ、大はしゃぎする所だが、下足番が履き物をサッと片付ける所作さえ帰れない圧力に感じていた――
「良い所でしょう? これだけのお庭は中々無いのよ。おほほ。さてと、早速なんですけど、めぐみさん。あなたのお力を貸して頂きたいの。良いわよね? 断る理由なんて無いものね」
「断る理由も有るかもしれませんが……えっと、力を貸すって、一体何の事でしょうか?」
「実はねぇ、私、どぉーしてもっ、纏めたい縁談が有るのっ」
「あぁ、縁談ですか? それなら、喜んで。こっちも手間が省けますから。あははは」
「あはははじゃないわよっ、手間が省ける? 冗談じゃない縁談よっ! あなた、ふざけてらっしゃるのっ!」
「あぅっ……いえ、ふざけてなんて居ませんっ!」
「あらそう? おほほっ、じゃあ、真剣に命懸けでやって頂けるのね。そうでしょ? だって、そうでしょ? あなたって良い人ねぇ――っ、嬉しいわぁ」
「真剣に命懸けって……そんな、大袈裟なぁ……」
「大袈裟ですって! でも、そうね……あなたは超高学歴で国際弁護士の和彦さんとバツイチ、シングル・マザーの麻実さんの縁談を見事にまとめたのだから……はぁ」
「そんなに落ち込まないで下さい。あれは、御縁が有ったと云う事で……私は何もしていませんから」
「私にとって、とても難しい案件を同時に解決するなんて、人間業とは思えないっ! あなたには感服致しました」
「あのぉ……お話が長くなっておりますが、誰の縁談……なのでしょうか?」
「実は、三年前に市議の息子さんの相談を受けたのだけれど、どんなに良い条件のお嬢さんを紹介しても首を縦に振らないのよ。万策尽きてしまって……どうにもならないの」
「ほほぉ、それはたぶん……」
「それはっ!?」
「誰か、心に決めた人が居ると拝察致します」
「そんな人が居る訳無いじゃないっ、勉強一筋で本の虫なのよ。だけど、頭でっかちじゃなくて、音楽や芸術、文学にも造詣が深い、親孝行で本当に賢い良い子なのよ。でも……とっても優しくてねぇ、コッチだけが駄目なのよ」
「本の虫? 小指が駄目って、まさか詰めたとか?」
「あー、ふざけてるっ! しかも、古い言い方やジェスチャーが分からないって、若者アピールして。ババアって言いたいんでしょ? 感じ悪いわねぇー。目上の人にそういう態度はいけませんよっ!」
「いえ、若者アピってなんかいないですよ……ったく独善的な糞ババアだなぁ」
文子はめぐみの上唇と下唇を人差し指と親指で掴むと、捻る様につねった――
「痛っいぃぃ―――っ!」
「今何か言ったでしょ? 言葉遣いに気を付けなさいっ! 神に仕える者が言って良い事と悪い事が有りますよ。ババアは本当の事だから許してあげるけど、糞をつけたでしょ? 糞はダメ! 糞はする物、付けて良い物じゃないのよっ! ばばっちいでしょっ!」
「はい、分かりました。以後、気を付けます……痛たたっ」
暫くすると料理が運ばれて来て、障子の向こうで声がした――
「失礼いたします。お食事をお持ちしました。よろしいでしょうか?」
「はい。どうぞ」
包丁人が腕を振るった、数々の料理が目の前に並ぶとめぐみは上機嫌になった――
「眼福、口福、胃袋満足、心も幸せ、気分は最高。ご馳走様でしたぁ」
「そうでしょ? いつも本当に美味しいのよ。私は何時も此処を利用しているのよ」
「あのぉ……先程の市議の息子さんの件ですが、心に決めた人に心当たりは無いのでしょうか?」
「うーん、それが全く無いのよ。だって、何処かに出かけるとすれば、会社と国会図書館くらいだもの」
「ふ-ん、手掛かり無しですかぁ……」
「これをあなたに預けておくから。後はよろしくね。何かあったら連絡頂戴ね」
めぐみはお見合い写真とプロフィールを渡され、ケ-タイの連絡先を交換すると、解放された――
「お帰り、めぐみさん。月ケ丘茶寮で会食なんて、贅沢出来て良いわねぇー」
「こっちはぁ、おにぎり作りまくりでぇ、たくあんと豚汁ですよぉ」
「食事だけなら良いんですけど。頼まれ事が厄介で気が重いですよぉ」
めぐみは大祭を終えてから、じっくりと取り組めば何とかなるだろうと、のんきに考えていた――
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