恋する乙女、奇跡を起こせっ!
――八月三十一日 赤口 辛亥
亜里沙は未祐が自殺を図った事を聞かされて眠れなかった。気が付くと窓辺に朝日が差し込んで来て、朝になっている事に気が付いた――
「未祐が私のせいで……あんな事、言わなければ良かった。もう、友達にも戻れないなんて言ってしまったから……でも、未祐に合わせる顔なんて無いよっ! もう、無理だよ……」
〝 先生はふたりの仲を戻したいの ″
「お、乙女ちゃん!」
亜里沙はその声に驚いてベッドから飛び起きた――
「未祐……友達にはもう、戻れないよ」
未祐は精一杯のお洒落をして、バスに乗り城西公園に着くと、期待と不安で胸がいっぱいになった。だが、約束の場所に亜里沙は居なかった――
そして、思いつく場所をどんなに探しても、何処にも亜里沙の姿は無かった――
「もう、約束の時間だけど……気持ちが無ければ来ないよね……それが答え。来なくても恨みっこ無しかぁ、本当に好きだったから……後悔なんてしないよ。さよなら、亜里沙」
城西公園を歩きながら、空を見上げると優しく照らしていた月も西の空に消えて見えなくなっていた――
込み上げて来る涙を堪え、その場を立ち去ろうとした時、突然、左手を掴まれた――
「待たせて、御免っ!」
「亜里沙っ!」
亜里沙は驚く未祐の左手を掲げて傷跡を見ていた――
「未祐、乙女ちゃんから聞いたよっ! どうして、こんな馬鹿な事したのっ!」
「えぇっ、だって、友達にも戻れないって言ったから……ふたりの関係を壊してしまったし、嫌な思いをさせたでしょ……だから……」
「未祐、壊したのは私の方だよ……自分の気持ちに正直になる事が出来なかったの、許して。奇跡が起きない限りもう戻せないって、乙女ちゃんに言ったんでしょ? ねぇ、戻ろう? 未祐っ! 戻そうよっ!」
「でも……」
何かを言おうとした未祐の口を、亜里沙が唇で塞いだ――
「どうして…… 奇跡が起こったの?」
「違うよ。ふたりで奇跡を起こしたんだよっ! もう、友達には戻らない! 恋人だよ未祐っ!」
「亜里沙、本当だよね? 嬉しいよぉ、涙が出ちゃったぁ、えへへっ」
ふたりは周囲も気にせず抱き合うと、再びキスをした。そして、見つめ合うと笑顔を取り戻した――
津村と陽菜は新婚旅行から戻り、既に明日の準備に追われていた――
「陽菜、オレは一旦、東京に戻って仕事を済ませて、三日には戻って来るからね」
「ねぇ、あなた、東京まで車で帰るのなら、めぐみさんと一緒に帰れば良いのに」
「あははっ、そう云う提案もしましたけどねぇー、見事にフラれましたよ。写真週刊誌に狙われても困るし、何より飛行機でひとっ飛びで早く帰りたいんだってさぁ。恋人でも居るのかなぁ?」
「そうなんだぁ……メールで『もう大丈夫、後はよろしく』って連絡が有ったから、お礼が言いたかったのよ。もっと、ゆっくりして行けば良いのに。せめて見送りにでも…」
「陽菜、彼女は恋の女神だから、やる事が有るんだよ。きっと、世の中にはオレ達みたいなカップルがいっぱい居るんだよ」
「そうね、あなた……」
「陽菜……」
めぐみはサザン・スカイ・ホテルの高橋さんにお礼を言ってチェックアウトをすると、高知に別れを告げ、機上の人となった――
「ただいまー、七海ちゃんお留守番ご苦労様っ!」
「お帰りぃー、めぐみ姉ちゃん、お土産買うにも限度ってもんが有るからさぁー、冷蔵庫パンパンだお」
「ふうっ、暫くはこれと格闘する事になるわねぇ、これが本当の消化試合っ! なんつって! へけっ」
「ふんっ! 面白くねーしっ! 自分ばっか良いもん食って、あーぁ、あっシも行ってみたいな高知城、歩いてみたいな桂浜っ!」
「あ――――っ!」
「ええっ! めぐみ姉ちゃん、どうしたの?」
「七海ちゃん、大変だよ……隣の城西公園には行ったけど、高知城に行ってないし、浜改田の海岸を歩いたけど、桂浜は歩いていないし、ベく杯でべろべろにもならなかったし、皿鉢料理も食べなかったよぉ―――っ!」
「何しに行ったのよー、披露宴とホテルの飯だけだって? 食いしん坊のめぐみ姉ちゃんが、何やってんだよー」
「お腹いっぱいにする事なんて忘れる程……乙女心に胸がいっぱいだったの……」
「熱でもあんの? あっシがその内、連れてってやっから、元気出してよー」
「本当に? 七海ちゃんが!? そんな事を言うなんて奇跡が起きたよぉ――っ!」
「奇跡なんて、何度でも起こしてやんよっ! 言い忘れたけど、愛してるよっ! めぐみ姉ちゃん」
――九月一日 先勝 壬子
早朝、町には制服姿で通学する生徒達が、新学期の始まりと夏の終わりを伝えていた――
未祐と亜里沙は手を繋いで登校した。それを見た同級生も下級生もザワついたが、そんな事を気にもせず、ふたりは教室に向った――
「よっ、御両人っ! 手なんか繋いで仲が良いねぇ――――っ」
「フゥ――――――ッ! ヒュー、ヒュ――――――ッ!」
教室で皆が冷やかしたり、からかったりしても、ふたりは手を繋いで離さなかった――
「私達、付き合っているんだ。ねっ、未祐」
「うんっ、亜里沙。えへへっ」
教室は突然の告白に静まり返った――
クラス・メイトは戸惑いながら、カミング・アウトだと分かると、何処からか拍手が聞こえた――
「パチパチ、パチパチ、パチパチパチパチパチパチ――――」
何時しか拍手が大きくなり、教室は歓喜に沸いて、泣き出す子もいた――
「うぉほんっ! 皆さん、お静かにっ!」
「倉持先生……じゃなくて津村先生、お早う御座います」
「さあ、皆さん、始業礼拝が始まるわよっ、速やかにチャペルに移動して下さいっ!」
「は――――――いっ!」
陽菜が教室から生徒を送り出し見送っていると、最後まで残っていた未祐と亜里沙が目の前で足を止めた――
「津村先生。先生が言ってくれた言葉を私達、一生忘れません。本当に有り難う御座いました」
陽菜は直ぐにめぐみの言葉だと気付いた――
「先生はふたりが後悔しない生き方を選んで欲しかっただけよ。さぁ、行きなさい」
「はいっ!」
陽菜は新しい人生を歩み始めた未祐と亜里沙の後ろ姿に、成長を感じて幸せに包まれた――
「めぐみさんは『新婚旅行から帰って来るまで、お力をお借りします』なんて言っていたけど、ふたりの生徒に力を与え、導いてくださって…………私は教師としても人間としても、まだまだ半人前ね」
陽菜はめぐみが自分の姿になって、未祐と亜里沙の二年間の苦しみを三日間で解決した神力に畏怖の念を抱いた。そして、めぐみが残していた新婚旅行中のケータイの通話履歴を開いて再生した――
〝 二人が出合い 目が合って時めいた それこそが奇跡なの
奇跡は突然 降って来たりしないわ 奇跡に気付いて 奇跡にするの
あなた自身で 奇跡を掴んだら その手を離さないで ″
チャペルに向う足を止め、雲一つ無い青空を見上げて、心の中でめぐみにお礼を言った――
「めぐみさん、本当に有難う御座いました」
そう呟くと、見えないお星さまが「キラッ」と光った――
お読み頂き有難う御座いました。