条件VS条件。
藤田は元通りの生活に戻った――
何もかも時間通り、計算通りの日々の中で、たったひとつ戻らなくなっていたのは自分の心だった。束の間の家族団らんが藤田を変えてしまった。園児や小学生を見れば颯太を思い出し、ひとりで夕食を作っては颯太を思い出し、そして、食事中には麻実と颯太の顔が浮かんで、楽しい笑い声や温かい家庭を思い出して喪失感を感じていた。
――そんなある日
藤田は所長室のドアをノックした。
「はい、どうぞ」
「失礼します。所長、有給休暇の事なのですが……」
「ああ、良いよ。休み給え」
「有り難う御座います」
「しかし、藤田君。月曜も一緒に取って四連休にした方が良いのではないかね?」
「いいえ、火曜日だけで充分です。皆さんに御迷惑は掛けられませんから」
「ふーん、迷惑か……まぁ良いだろう。好きにし給え」
「失礼します」
颯太は三時間毎に「お母さん、そうだんしたの?」「おじちゃんは、ねぇ、まだぁ?」と麻実を攻め続け、根負けして藤田に連絡をしようと思っていた――
「リリリリリーン、リリリリリーン」
受話器を取ると藤田の声が聞こえて驚いた――
「麻実さん、こんにちは。颯太君は元気にしていますか? 有給を取ったので、もし良ければ今度の火曜日、颯太君と一緒に出掛けませんか?」
「藤田さん、元気過ぎて困っていました。颯太も落ち着くと思いますから、是非、三人で出かけましょう」
藤田も麻実も「ほっ」と胸を撫で下ろした――
めぐみは何時もの様に「日報」を書いて神官に送り、泊りに来た七海と一緒にお風呂から上がると、コーヒー牛乳を正式な作法で飲んだ。
「ふうーっ、ん旨い!」
そして、パソコンを確認すると、『ミッション進行中』と表示されていた――
「ほーら効いてる効いてる。何もしなくて良いから楽だなぁ。フフフッ、これぞ働き方改革! リモートの術なのだ!」
「めぐみ姉ちゃん、最近ダラけてね? ゴロゴロしてるっつーかさぁ、やる気あんの?」
「はぁ? 誤解している様だけど、私、元々祀られて鎮としている『元祖、引きこもり系』なんで!」
「そんな『私、失敗しないんで!』みたいな言い方してもダメだよ! 失敗しなきゃ人間成長しないんだから」
「七海っ! 学校へ行く様になって、成長したなーっ!」
「まぁねっ! 最近、あっシは何処に行っても、何故か『褒められっぱの七海』なの。でも、めぐみ姉ちゃんに褒められるのが一番、嬉しいよっ!」
「うん、うん、よしよしっ」
めぐみが頭を撫でると七海は甘えた。
大安 新月の夜だった――
火曜日の朝。三人は潮干狩りに向っていた。潮の時間に合わせ出発が早かったため、海ほたるで朝食を摂った。アクアラインを下りれば千葉県木更津市だ。
「颯太、海が広くて大きいねー。木更津ってこんなに近くだったんですね」
「そうなんですよ。颯太君の事を考えていたら思い付いたのです、潮干狩りが良いなって」
「ぼく、お母さんと、海に来たのはじめてだよ!」
大喜びの颯太に対して麻実は過去を思い出して少し悲しい表情をした。藤田はその事に気付いたので、出来るだけ明るく振舞った――
「誰が一番獲れるか競争だよ!」
「うんっ!」
三人で夢中になって潮干狩りをしていると、あっと言う間に時は過ぎ、潮が満ちて来て終了となった。昼食を済ませて金谷港からフェリーに乗って久里浜へ行き、油壷マリン・パラダイスでイルカとアシカのショー観て帰路に就いた――
麻実がアサリの砂抜きをすると、深川飯と酒蒸しを作って二人に食べさせた。食べ終わると疲れたせいなのか、颯太は眠ってしまい、ふたりきりで差し向かいになった。
「麻実さん、実はお話ししたい事が有るのですが、聞いてもらえますか?」
「はい、何でしょうか?」
「颯太君と出会ってから人生が変わってしまいました。ワクワク、ドキドキしたり、週末が待ち遠しかったり……今日、麻実さんと一緒に過ごして決めました。結婚を前提にお付き合いをさせて頂きたいのです。如何でしょうか?」
「ありがとうございます……でも、颯太ももう少し大きくなれば、父親の居ない理由が分かると思うのです。ですから……今は、返事が出来ません」
「分かりました。父親の居ない淋しさから、なついているだけかも知れませんからね。気を悪くなさらないで下さい。忘れて頂いて結構ですから……」
藤田は颯太の寝顔に「さよなら」をして帰路に就いた。帰りの車中で颯太の事を思い出すと、何故か淋しさよりも明るい気分になれた――
「これで終わり。本当に終わりだ。良い学びの時間だったな……」
そう言い聞かせて走っていると、給油のサインが気になって、ガソリンスタンドに寄った――
財布からカードを取り出して給油を始め、満タンにしてキャップを締めてレシートを財布に仕舞おうとした時に、あの時のおみくじが目に入り、何の躊躇も無くおみくじを開いた。
〝 大凶。お金持ちになったら慈善を施したい、条件が揃えば結婚がしたいと云う人は何時まで経っても出来難い。お金が無くても出来る慈善をして、条件など考えずに人を愛すれば道が開ける ″
「あっははは、弁護士とバツイチの子連れなら条件は悪くないのに……フラれましたよ、神様」
藤田は誰も居ない真っ暗な自宅に着くと、暑いシャワーを浴びてリビングでビールを飲んだ。酔いが回ると颯太の事を思い出し、颯太を好きになればなるほど麻実が好きになり、麻実が好きになると颯太が可愛くて仕方が無くなる無限ループに落ちて行った――
「全てをリセット出来たなら、明日から元通りの生活に戻れるのに……」
藤田は同僚や同業者の友人にシンママの再婚について意見やアドバイスを求め、データを調べれば調べる程「条件」に行き着く事に疲れ果てた――
「家柄が良く、若くて教養が有る未婚女性」を選ぶ立場の自分が、選ばれる立場になったら「拒否」された事で目が覚めた――
「麻実さんは『今は、返事が出来ません……』と言っていたが、離婚した原因に何かあるのだろうか……?」
リセットして忘れるはずの恋が、愛に変わっている事に気付き始めていた――