小さなカラビナとサヨナラ。
昼食を済ませると、子供用の遊具の有るエリアに行き、ふたりで鬼ごっこをしたり、颯太の見守りをしながら遊ばせていた――
「三時だ。颯太君、おやつの時間だよ。テントに戻ろうよ」
「うんっ」
麻実が持たせてくれたパウンド・ケーキをふたりで頬張った――
「胡桃とキャラメルが旨いなぁ……」
「お母さんが、何時も作ってくれるの。僕の好物なんだよ」
「ふーん、良いお母さんだね」
「うんっ!」
藤田は仕事柄「何故、乳飲み子の颯太を抱えて離婚したのか」が気になってしまった。そして、父親との記憶が殆ど無い颯太にとって、自分の事を父親の様に感じている事がとてもせつなく感じていた――
颯太がバッタを発見して捕まえようとしたが「ぴょんっ」と跳ねて逃げてしまい何時までも捕まらないので、着地点を予測して取り押さえ颯太に渡すと大喜びだったが昆虫採集用の入れ物が無かった――
「良いよぉ、おじちゃん、可哀想だから、返してあげよう」
捕まえたバッタを野に放ち「バイバイ」と言って見送る颯太の後ろ姿を眺めながら、本当は自分の方が我が子の様に感じ始めている事に気が付いた――
「颯太君。おじちゃんは夕飯を作るから手伝ってくれるかい?」
「うん! お手伝いするよっ」
ふたりの初めての共同作業は焚火だった――
藤田は躊躇なく颯太にモーラナイフを持たせ、着火用の小枝の作り方を教えた。颯太は初めてのナイフ体験に興奮していた――
「颯太君、興味が出て来たみたいだね? じゃあ、弓キリで火を起こしてみるかい?」
「うんっ!」
手取り足取り、颯太に弓キリの使い方と火起こしの方法を教えた。六歳の子供の力では難しいので手を添えて一緒に弓を引くと煙が上がり始めた――
「わっ! 火が着いたよ」
「まだまだ、ここからが本番だよ」
火種を麻火口で組「ふう―っ、ふう―っ」と勢いよく息を吹きかけ「ぽっ」と炎が見えると、颯太の削った着火用の小枝に移し、火吹き棒で更に火を煽ると薪へと移って行った。
「わあー、大きくなった、火が付いた! やったー」
焚火の周りを無心で駆け回る颯太を見ていると、嬉しくなって涙ぐんでしまった。
藤田は古代発火法検定一級だった――
日も傾き、気温が下がり始めたので颯太にジャケットを着せて、クーラーボックスから食材を取り出し、夕食の準備をする事にした。
「颯太君、ビスケットを一緒に作ろう」
「うんっ、お手伝いする」
ふたりで一緒に「こねこね」してビスケットを作り、丸鶏を見て驚く颯太をよそに、ダッチオーブンでスタッフドチキンを作った。
小さなお口で大きなもも肉にかぶりついた――
「お行儀悪いって言わないの?」
「これで良いの。これが旨いんだよ。だろ?」
「うんっ!」
夕飯を済ませると、もも肉以外の残りのお肉をほぐして翌日の朝食用にハニー・マスタードで和えた。施設内のお風呂に入りテントに戻ると、再び焚火をして体が冷えない様にした――
藤田が焚火の前でシングルモルトを舌に乗せて飲み込むと、颯太は疲れ切って眠りに落ちていた――
颯太を抱きかかえてテントに入り、ぐずる颯太をシュラフに入れて「また明日。おやすみ」と言うとまるで魔法の言葉の様に颯太は夢の中に旅立って行った――
炎の揺らめきと満天の星空――
「子供って可愛いなぁ、家族かぁ…… こんな風に父とキャンプがしたかったなぁ……」
翌朝、ハニー・マスタードチキンのホットサンドとサラダにコーンスープ、バナナとヨーグルトでお腹を充分に満たすと、テントを撤収した。キャンプ場を後にして、水上バスに乗って湖上を楽しみ、山中湖に別れを告げて、近くの遊園地で遊んで帰路に就いた――
四時位までに送り届ける予定だったが、中央自動車道が渋滞をしていたせいで遅くなってしまった――
「ただいまっ!」
「おかえりなさい。良い子にしてた? 楽しかった?」
「うんっ! カヌーに乗ったり、バッタを捕まえたんだよ」
「良かったね。藤田さんにお礼を言ってね」
「おじちゃん、ありがとーございましたっ」
「あはは、礼なんて要らないよ。おじちゃんもとっても楽しかったよ。麻実さん、少し遅くなってしまいましたね。すみません」
「いいえ、本当にありがとうございました。もし良かったら、夕食を食べて行きませんか? もう用意は出来ていますから」
麻実の提案に颯太が喜んでいるのを前に「帰ります」とは言えなかった――
そして、三人で食事をしながら昨日のキャンプの話や、今日の遊園地と渋滞の話をしていると、あっと言う間に時は過ぎて帰宅する事になった――
颯太は「今度はいつ?」と約束をしようとしたが「お母さんと相談をしてからね」と言って約束を拒んだ――
颯太が泣き出しそうな顔になるのを見て「これを今日の記念にあげるよ」と言って、あの時の小さなカラビナを腰に付けた。そして、ふたりに別れを告げて帰路に就いた――
藤田は帰りの車中で、例え束の間でも「家族って良いなぁ……」としみじみと思った。だが、颯太との約束を果たした事で気持ちを切り替え、数日間の出来事をリセットした――
「楽しい時間もこれで終わり。明日からは元通りの生活に戻るだけさ……」
元の生活に戻れるはずだった――
誰も居ない暗い家に辿り着くと、照明を点けて部屋に入り、キャンプ道具を片付けた。そして、シャワーを浴びて汗を流しダイニングでビールを飲もうとした。照明も点けずに真っ暗なキッチンで冷蔵庫の扉を開けると、良く冷えたビールとグラスが待っていた。手に取って「ぱたん」と扉を閉めると再び闇に包まれた――
「プシュッ!」とやると、お構いなしにグラスに注いで一気にゴクゴクッと最初の一口を飲むとダイニングの椅子に腰を下ろした――
暗い部屋でひとりビールを飲んでいると、時計の秒針の音が「コチッ、コチッ、コチッ、コチッ」と大きく鳴り響き、失われ行く人生と命をカウントして居る様で、孤独感に飲み込まれた――
残りのビールをグラスに注ぎ飲み干して立ち上がろうとした時だった。
「あれは……何だろう?」
ダイニングテーブルの上で白く何かが光っている――
照明を点けて目をやると、それはあの日のおみくじだった。
「ああ、何だ、おみくじか。でも何で光っていたのだろう? 開けてはいけないおみくじなんて持っていても仕方が無いな……」
開けようとして手を伸ばした瞬間だった――
〝 開ける必要はない! 御守りの代わりと思って持っているが良い 必ず助けになるであろう ″
めぐみの声がしたので藤田は驚いて周りを見廻した――
「気のせいか……」
そう呟くと開けるのを止め、そのまま捨てる事も出来ないので、御守りの代わりなら持っていようと、財布の中に仕舞い寝室に向ったが、なかなか寝付けなかった――
「しかし、また気になり始めてしまったなぁ……」
めぐみが呪文をかけたおみくじは、開けた時に新たな物語がスタートする時限装置の様な物だった――