早起きfall in love!
—— 三月九日 先勝 丙寅
その日、恭一の朝は早かった――
「若。今朝は、顔色も良く……ご機嫌ですな」
「爺は、何でもお見通しだね」
「何か、喜び事でも?」
「いや、別に。只、伊勢志摩への出張が、取り止めになっただけさ」
「取り止め? ならば、何故、こんな朝早くから支度を……」
「たまには良いじゃないですか? 今朝は、誰も居ない会社に、一番乗りをしたい気分なのです」
「はぁ……」
恭一の心は軽かった。綾香に「君にとって僕は飾りに過ぎないし、僕にとって君は世間体を保つ存在に過ぎない。お互いに恋愛感情なんて持ち合わせていないじゃないか?」と、押さえていた自分の感情をハッキリと伝えた事で、胸の奥がスッキリとしていたのだった――
「何て、気分の良い朝だろう……」
移動中の車窓から、普段は気にする事も無い灰色の街が、朝日に輝いてキラキラとしている事に感じ入っていた――
〝 ブォオ―――――――――――ンッ、キィ――――ィッ! バムッ! ″
早朝の静まり返った、誰も居ない会社に到着すると、直ぐに、ガーデンに向かった――
「何だか新鮮な気分だな。コーヒーでも飲みながら、のんびり読書。至福の時間とは、この事だなぁ……」
コーヒーを片手に、扉を開くと、誰も居ないはずのガーデンで、突然、挨拶をされた――
「お早う御座います」
「あっ…えぇっ!」
「はぁ?」
「あぁ、お早う御座います……どうして君が?」
「どうしてって? このガーデンは、私が任されていますので」
「そうだけど……それは、この前に聞いたから知っているけどさ、こんな、朝早くからなんで……」
「この前の事を覚えているなら『時間割通りにはいかない』って言ったじゃないですか?」
「あぁ……そう」
「これから、肥料、腐葉土が届くんです。朝一指定なんです。相手の業者の都合なんですよ」
「あぁ……」
「積み下ろし作業をするだけですから、どうぞ、ごゆっくり」
「あぁ……」
恭一は、何時もの様に一人の世界にどっぷりと浸かっていた。そして、暫くすると、業者のトラックが到着した。運転手は沙織の指示で降ろす場所の確認をすると、フォークリフトを取りに行き、助手は、シートを外して畳むとアオリを切った――
〝 ガッチャンッ、 ガッチャンッ、バタンッ! ″
「オーラ、オーライ」
「よっこいしょっと。それじゃあ、コレで全部ですから。受け取りのサインをお願いします」
沙織がサインをするとトラックは去って行き、ガーデンに静寂が訪れた。恭一は読み耽り、沙織も作業に没頭していた――
「はぁ……疲れるなぁ。しかも、暑い……」
午後の作業の為、5kgの袋を均等に分配して準備をしていると、だんだん恭一の傍まで迫って来ていた――
「あ。移動しましょうか?」
「いえ、大丈夫ですよ……ふぅ、ふぅ、はぁ」
「あの、手伝いましょうか?」
「いえ。大丈夫です」
「そうですか。もし、必要だったら、声を掛けて貰えれば手伝いますから」
「有難う御座いますっ! なんだか、元気が出ててきましたよ」
〝 あはははは、あはははは――は ″
互いに見つめ合い、自然に笑い合う二人。恭一は、自分の口から「手伝います」と云う言葉が自然に出た事に驚いた。その二人を、綾香が遠くから眺めていた。伊邪那美の神力は強力且つ、残酷だった――
「やっぱり……あのふたり……」
そして、伊邪那美の神力は、あざとかった――
「よーし、あと少しだから、がんばっちゃおっ!」
沙織が、作業着を脱ぐと、汗で濡れたTシャツがボディ・ラインを際立たせ、しかも、ノー・ブラだったので、恭一の視線は釘付けになっていた――
「よいしょ、よいしょっと」
沙織は、早く終わらせようと、5kgの袋をふたつずつ持って運んでいると、足がもつれた――
「きゃっ!」
「危ないっ!」
躓いて、袋を投げ出して倒れ込む沙織を、恭一は、サッと抱き留めた――
「大丈夫ですか?」
「あぁ、すみません……」
沙織は、間近に迫る恭一の顔に心を奪われ、恭一は、沙織の汗でしっとりと濡れた身体と、バストに目を奪われていた――
〝 タタタァ――――――――――――ン、キンコンカンコンッ! キンコンカンコン、カァ――――――――――ンッ!
ふたりの周囲に、恋の鐘が鳴り響いた――
「怪我が無くて……良かったですね」
「お気遣い……有難う御座いますぅ」
恋に落ちたふたりとは対照的に、綾香の怒りは、憎しみへと変わって行った――
「こんなの、絶対に許さないっ! あの女ぁっ! 泥棒猫がどうなるか、思い知らせてやる、タダじゃ済まさないわっ!」
綾香は、ガーデンに向かう為、階段を勢いよく駆け下りた。ガーデンの扉の前に着いて、開けようとレバーに手を掛けた瞬間、向う側から開けられてしまった――
〝 バァア――――――――――――――――ンッ! ″
「痛っ——!」
「あっ、御免なさいっ! まさか人が居るなんて、思わなかったもので……」
「気を付けなさいよっ!」
「本当に、御免なさい」
恭一は、大きな物音と、聞き覚えのある声に振り向くと、沙織が、一生懸命謝っている姿が見えた――
「どうかした?」
「私の不注意で、ドアを、ぶつけてしまったんです」
「まぁ、間違いは誰にでもある事だから」
恭一は、綾香には眼もくれず、沙織の事を心配していた。その上、扉を気にするものだから、綾香は激昂した――
「ちょっと、恭一さん。扉を気にする前に、私に云う事があるでしょう?」
「あぁ、綾香さん、おはよう。どうして君が? 今日は何か用事でも? しかし、この扉は鉄製で重いし、向う側が見えないのだから、ノックはするべきだよ」
「え、私? 私が悪いの?」
「何方が悪いとか、そんな事じゃないさ。基本的に、此処へは社員も来ないわけだからねぇ……さてと、もう始業時間だ。沙織さん、僕はこれで。では、また」
「あっ、はい、有難う御座いましたぁ」
社長室へ戻る恭一と、通常業務へ戻る沙織の後ろ姿を見送るだけの綾香。恋に落ちた二人を前に、存在感は、全く無かった――
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