イタズラ電話と予期せぬ訪問者。
颯太の家は美容室で店舗の裏側に住居が有り、母の麻実がひとりで店を切り盛りしていた為、予約客の対応に追われて迎えに行く事が出来なかった――
「お客様、流しますのでこちらへ」
シャンプーをしていると、駐車場に見慣れない車が停まり、男が助手席のドアを開けると、颯太が降りて来た――
颯太は嬉しそうに手をつないでスキップしている。そして指をさして店舗裏の自宅に案内をしているのがウインドー越しに見えた――
「ピン・ポーン」「ピン・ポーン」
シャンプーを終えてタオルを巻くと「しばらくお待ちください」と告げてその場を離れた――
玄関を開けると颯太が元気良く「ただいまっ!」と言ったが麻実は怒っていた――
「颯太!また勝手な事をして、どうして母さんの言う事が聞けないのっ!」
颯太を叱ると冷静になって、藤田に謝罪をした――
「うちの子が御迷惑をお掛けした上、わざわざ送って頂いて、有り難うございました。本当に申し訳ありませんでした」
「まぁ、颯太君のお母さん、お怒りも御心配も、ご尤もなのですが、どうか叱らないで下さい。今回の件は私のせいで万引きの疑いを掛けられたので、颯太君は被害者でも有るのです。許してあげて下さい」
颯太は大人たちの心配をよそに、ゲームセンターで獲ったおもちゃを手にして楽しそうだった――
「まぁ、こんな物まで……颯太、ちゃんとありがとうが言えたの?」
「うんっ!」
「颯太君がゲームセンターで獲ったのです。とても上手でしたよ。あっ、メダルが預けてありますので、これをどうぞ」
そう言ってゲームセンターの会員カードを渡した――
「こんなに良くして頂いて、有難う御座います」
「お店は大丈夫ですか? 待たせているのではありませんか?」
「はい、仕事中なもので、お茶も差し上げられず、申し訳ありません」
「いいえ、私はこれで失礼します。颯太君、お母さんの云い付けは守って下さいね。楽しかったよ。さようなら」
麻実は仕事に戻り、颯太は「バイバイ」と手を振って車が見えなくなるまで見送っていた――
藤田は帰りの車中で、先程まで横に居た颯太の事を思い出していた。ソフトクリームを嬉しそうに食べる颯太の笑顔が浮かんでは消え、車の中を汚しながらハンバーガやポテトを食べたり、ゲームセンターで一緒に遊んりした事で何時に無く心が軽くなっていた――
神社での不愉快な出来事をすっかり忘れていた――
藤田は自宅に戻り車を降りようとすると、颯太が助手席のドアやシートをベタベタに汚している事に気が付き掃除をした。そして、コンソールとカーペットの汚れを確認して掃除を終えようとした時、紅い小さな物がシート下の奥に落ちているのが見えたので、手を伸ばして取り上げると、それは喜多美神社の「恋愛成就」の御守りだった――
「ふーっ、嫌な事を思い出してしまったな……」
トランクを開けて購入したサマーテントとシュラフを持って家に入り、リビングで中身を確認すると店長がオマケを入れた事を思い出し、見ると袋の中には小さなカラビナが入っていた――
「あーっ、なんだよ……買わなければ良かったな、同じ物がふたつ有っても……なんて日だっ!」
カレンダーに目をやると「先負先んずればすなわち負けるという意味があり、午前は凶、午後からは吉になる」と書いてあった。
「関係無い、関係無い」
この時、藤田は恋愛成就の御守りの力だとは知る由も無かった――
日が暮れて、一日が終わる頃、めぐみは何時もの様に「日報」を書いて神官に送ると、丁度、七海が遊びに来たので、一緒にお風呂に入って、風呂上がりに玲子に貰ったタフウーマンを飲んだ――
「ふぅーっ、ん旨いっ!」
「めぐみ姉ちゃん、コレは力が出る感じだねっ!」
「七海ちゃん、学校はどう?」
「今のところ順調です! あっシは勉強も仕事も頑張るよ!」
「順調? 何をニヤけているのかなぁ……さては、気になる子が居たとか?」
「お見通しかよぉー! 出会ちゃったのよねー、これが! 今度デートすんの。うふふっ」
「早っ! 若いって……素晴らしい!!」
めぐみは七海を送って行き、部屋に戻りパソコンを開いた。すると「532Error」着手・進行中と表示されていて目を疑った――
「まだ何もしていないけど? 知らない内に何かが進んでいるみたいね。まぁ、勝手に進めば良いよ。今回はスルー、華麗にスルー! 他の案件にする。あんなのと関わりたくないからねっ」
――数日後
藤田は分刻みの日々を送っていた。総合法律事務所で主に国際法務を担当していて時差のある相手との話し合いも多く、時間の管理は徹底していた――
遅い昼休み、昼食を終えて事務所に戻った――
「藤田先生、佐藤麻実様から連絡が有りました」
「誰? 知らないな」
「息子さんが『約束が有る、話がしたい』と言っているそうで。どうなさいますか? 折り返すなら連絡先は承っておりますが」
「息子? 分かった! 颯太君か! 時間が出来たら連絡しますので番号を教えて下さい」
藤田は私用の電話は一切拒否していたが、颯太を思い出して心が弾んだ。だが、警備員に渡した名刺を「ちょうだい」と言ってポケットに入れた事は思い出せたが、約束は思い出せなかった。約束したら守り切るのが信条で、軽々に約束などしなかった。そして、一日の仕事が終わる頃には気が変わっていた――
「子供の電話に折り返す必要も無いだろう……イタズラ電話みたいなものさ」
そのまま電話をせず、帰路に就いた――
颯太との約束も電話の事も忘れ、分刻みの日々を送っていた――
そんなある日の午後、会議室でミーティング中に「コツ、コツ、コツ」と秘書がノックをした――
藤田は会議を中断された事で不機嫌になり、冷たい表情になった――
「会議中はノックはしない決まりです。何ですか?」
「藤田先生、狛江署の方が事情を伺いたいとの事で、正面玄関でお待ち頂いております」
「警察? 何の事か分かりませんが、今直ぐ参ります。皆さん会議は続けて下さい。斎藤先生、先へ進めて下さい」
そう言い残して退室すると、会議室はザワついた――