燃え上がる炎。
伊邪那美は、沙織と恭一を強制的に引き合わせたが、ふたりには恋心など芽生える筈が無かった――
「しかし、社長も手が早いなぁ……」
「隅に置けないとは、この事だな」
「君達の早とちりだ。まだ、何も分からないじゃないか」
「ほほう。君は、諦めが悪いな」
「いいや、良いかい。社長には、れっきとしたフィアンセが居るんだ。彼女が社長に相応しい女性かどうか、考えなくても分かろうものだ」
「ふぅむ……」
フィアンセと云うのは、日本光学の経営を支える企業の社長令嬢である――
「ほーら、噂をすれば何とやらだ」
「あぁ、山之内綾香だっ!」
「おいおい、修羅場か?」
綾香は、この大雨で通行止めに会い、避難回避的に訪れたのだった――
「恭一さんは?」
「綾香お嬢様、こちらにも姿は見えませんので、恐らく、昼食の為、外出したのかと思われますが……」
「そうですか。外出したのなら、この雨で帰って来れないのも無理は有りませんね」
「はい」
綾香は、窓の外で、滝の様に降る雨を、恨めしそうに眺めていた――
「でも、おかしいですね。恭一さんは、外出する時は、必ずそう伝えている筈です」
「はぁ……」
その時、まるで映画の場面転換の様に雨が止み、突然、雲一つ無い青空が現れ、太陽が何事も無かった様に輝いていた――
「あれ? あぁっ! 晴れたっ! 晴れましたよ」
「本当だ……大変な豪雨だったけど、あれでも、通り雨と言うのだろうか?」
「あはは。でも、コレで作業に戻れます。良かったぁ」
沙織は、使ったティーカップとソーサーを洗って、ティー・ポットの中のお茶を恭一のカップに注いだ――
「ごゆっくりどうぞ」
「あぁ……」
「では、お先に。御馳走様でしたぁ」
〝 ガチャッ! ″
沙織がドアノブに手を掛けると、ドアの向こう側から開けられた。そこには、綾香が立っていた――
「わぁっ! ビックリした。失礼しまぁ——す」
沙織は、綾香を意に介さず、脇をすり抜けて去って行った――
「恭一さん。こんにちは」
「こんにちは」
「今のは?」
「見ての通り」
「は?」
「ビルメンテの社員だよ。何に見えるの?」
「そう……」
女の感と、嗅覚は鋭いもので、綾香は、ふたりの居た空間の、和やかな空気に苛立ちを隠せなかった――
「ねぇ、君。どうして、此処に?」
「先程の雨で、どこもかしこも通行止めになりましたので」
「あぁ。そう」
「歓迎されてないみたいね。私」
「いいや。突然来られても、歓迎の準備が出来なかっただけさ」
「準備しなければならないだなんて……何時いかなる時も、歓迎されると思ってはいけないみたいね」
「何が言いたい?」
「別に……」
綾香は、隣の席に腰掛けると、テーブル上に置いてあった本を手に取った――
「あら? 見慣れない本ね。こんな本を読むなんて……私を、魚釣りにでも連れて行ってくれるのかしら? ふふふっ」
「綾香さん。人の本に、馴れ馴れしく触るのは止めた方が良い」
「あら、どうして?」
「読書家には、無礼な行為だから」
「良いじゃない、それくらい」
「いいや、良く無いね。そして『こんな本』等と言うのは、侮辱だ」
「大袈裟ねぇ」
「キミがやっている事は、人の心の中に土足で上がり込む事だと言っているんだよっ!」
「まぁ、怖い怖い。もう、触りませんよ」
「あぁ、そうしてくれ」
気分を害した恭一は、お茶を飲み干すと席を立ち、綾香から離れた。そして、窓辺に行くと、作業をする沙織を見つめていた――
「そんなに気になるの? あの娘が」
「良い加減にしてくれないか? 彼女は外注の社員だ。だが、社長である以上、何が行わているのか、知らないでは済まされない」
「そんなにムキになるなんて、恭一さんらしくないわね」
「ムキになんか、なっていないさ。君が邪推するからだよ」
「そう? ねぇ。あの娘、あんな所で何をやっているの?」
「花壇を作っているんだ」
「はっは、花壇なんて無意味よ。咲いている一時は綺麗でも、それは束の間。直ぐに枯れて汚くなるわ。散るのは縁起が悪い。企業の庭は常に緑で有るべきでしょう。そんな事も知らないのね」
「あのガーデンを任せているんだ」
「だったら、あなたが、教えてあげれば良いじゃない」
「『たとえ明日、世界が滅びるとしても、今日、あなたはリンゴの木を植える』」
「それは?」
「君の言う『こんな本』の作者の言葉だ」
「それが何だと言うの?」
「明日なんか無いんだよ。人間には今しかないんだ。今を生きているんだよ。フッ、君には分かるまい…」
綾香は、『君には分かるまい』の一言で邪推ではないと確信した。そして、恭一は、嫉妬の炎を燃え上がらせてしまった事に、気付いてさえ居なかった――
「鯛焼きっ、タコ焼きぃ、きんつば――ぁ、大福ぅ。おやつも色々、有るには有るけど――ぉ、今日の―――ぉ、気分は、なんじゃらほいとっ! あの人は、買って買ってしまった。あの人は、買って買ってしまったぁ。もう帰らなきゃ―――ぁ、っと。到着しました。ただいまぁ」
「めぐみ姐さん、遅かったじゃないですか? 待ってますよ」
「待っている女?」
「女じゃ有りませんよぉ。兄貴、和樹兄貴ですよ」
「はぁ? 和樹さん、また来たの?」
「挨拶したいって」
「挨拶って?」
「やぁっ! めぐみさん。待った甲斐が有った」
「あの? 和樹さん。挨拶って、何?」
「別れの挨拶だよ」
「別れって……」
「いやぁ、伊邪那美様から素戔嗚尊の警護をする様にと言われたんだ」
「何だ、ビックリさせないでよ」
「はっはっは。しかし、もしかしたら、帰って来れないかもしれないからね」
「えぇ? そんな事って……」
「素戔嗚尊は伊勢神宮に出向いて、アマテラスの行方を追っているんだ。それで、天鈿女命と猿田彦命と合流したそうなんだ」
「だったら、 猿田彦命が道案内してくれるのだから、和樹さんの出る幕ではないでしょう?」
「うん。オレもそう思うのだが……何でも、影の軍団とか言う、邪神の連中が、命を狙っているそうで、素戔嗚尊だけでは、手に負えないらしいんだ」
「そんなに、大勢が伊勢神宮を取り囲んでいるの?」
「うーん、行ってみない事には、状況は分からない。しかし、天海徹の報告を受けての判断だからね。まぁ、暫く留守にするけど、ピースケを宜しく頼む」
「分かりました、ピースケちゃんは任せて。御武運をお祈りいたします」
和樹は、にっこりと笑うと、ダッフルバッグを左肩に担ぎ、参道を去って行った。めぐみは、見送りながら「アマテラスは、人騒がせだなぁ」と、しみじみと感じていた――
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