春の嵐。
—— 三月六日 仏滅 癸亥
恭一は、昨日の沙織の言葉に、酷く落ち込んでいた――
「若。顔色がよろしくない様ですが?」
「死人の様な僕の顔を見て顔色だなんて……良く分かるね?」
「何か御座いましたか?」
「僕の『華やかな人生』において、人に揶揄われたのは初めてだから」
「若、それでは、シャンパンでも御用意致しましょうか?」
「揶揄うのは止めて下さいっ!」
「揶揄ってなど居ません。人生に於いて初めて経験する事は貴重な体験と云えましょう」
「あぁ、そう解釈すれば、その通りですね。僕は、日々、他人の期待する『華やかな人生』を演じるピエロだからね」
「若、否定的過ぎます」
「いいえ。『金持ちが羨ましい』と言っている人達を見て下さい。彼等は皆、自分の人生を手に入れているでは有りませんか? 恵まれている人達だからこそ、お金が欲しいんですよ」
爺は返す言葉が無かった――
「若、今日の予定ですが……」
「会議でしょう? 何かを話し合っているフリをして、考えているフリをして、理解をしたフリをするだけの茶番です」
「そんな風に、言うものでは有りません」
「どんな風でも同じです。誰も答えなんか求めていないんですから」
午前中の会議は、恭一の言う通り「私達社員は、問題を問題と捉え、問題意識を持っています」というアリバイ工作にしか感じなかった。そして、重い足取りでガーデンに向かった――
「こんにちは」
「あ……こんにちは」
恭一は、沙織から目を逸らし、沙織も恭一に興味が無かったので沈黙の時が流れた。そして、その頃。喜多美神社では、伊邪那美に呼び出された竹見和樹が、十二時の時報と共に、本殿から出て来た――
「あれ? 和樹さん、お久しぶり」
「やぁ、めぐみさん、こんにちは。相変わらず元気そうで何よりだ」
「和樹さんは、随分、逞しくなりましたねぇ」
「まぁ、日頃の鍛錬の賜物だ。あっはっはっは」
「今日は、何か御用でも?」
「あぁ。伊邪那美様に呼び出されたんだよ」
「伊邪那美様に?」
「何でも、今から雨を降らして欲しいと」
「雨ですか??」
「そうなんだ。それも盛大に、雷も轟かせて欲しいと……」
「はぁ……妊娠中なのに、変な事をお願いするものですねぇ?」
「まぁ、兎に角、そうするとしようっ!」
和樹は、拝殿の前で剣を抜くと、青空にぽっかり浮かんだ雲を目がけて振り下ろした――
「でぇ――――――――ぃっ!!」
すると、ぽっかり雲が真っ二つに切れ、切り口から血が流れるかの如く、黒い雲が湧いて、空は真っ暗になり、雷鳴が轟いた――
〝 ゴロゴロゴロォ――――――――――――――ォッ! バリバリバリッ! ″
「きゃぁ――っ!」
「めぐみさん、こっちへ」
和樹は、めぐみの腕を掴んで引き寄せると、お姫様抱っこをして授与所の軒下に駆け込んだ――
「和樹さん……」
「これで、安心だ」
〝 ポツ、ポツ、ポツッ! ババババッ、ババババッ、ザアァ―――――――――
ッ! ッザバァ――――――――――――――――――――アッ!! ″
和樹の神力で、正にバケツをひっくり返したような大雨になった――
「おふたりさん、熱いですねぇ。ヒューヒュー。兄貴もやっぱり、やる時はやるんですねぇ」
「ピースケ。大人を揶揄うモンじゃぁないっ!」
「そうよっ! まだ何もやってないんだからっ!」
「え……めぐみさん……」
めぐみが、早とちりで顔が真っ赤になっている頃、ガーデンでは、恭一の顔が蒼褪めていた――
「雨!?」
恭一は、広げたお弁当を慌てて片付けたが、雨は容赦なく降って来た――
「天気予報では、快晴のはずだったのに……」
「はい。コレ使ってっ!」
沙織が、目の前を通り過ぎる時、ノー・ルックで段ボールを渡して駆けて行った――
「あぁ……コレかっ!」
恭一は、段ボールを雨除けにして、建物の軒下に駆け込んだ。沙織のお陰で、お弁当と携えた数冊の本を救出する事に成功した――
「ふぅ。助かったぁ……」
「こんなに雨が降るなんて……ガッカリだなぁ。それに、これからどうしよう……」
「あぁ……」
恭一は、少しの間考えて、沙織に声を掛けた――
「あの、社員食堂の横にラウンジが有るのだけど……そこなら、静かに食事が出来るけど?」
「えぇ? そんなの有りました?」
「有るんだよ。通常はクローズドだから、知らないだけさ」
「そうなんですか? この雨だと、午後の作業が出来そうにないし。それなら、そこに行きましょう」
「あぁ……案内するよ」
社員食堂のガラス越しに、恭一と沙織が歩いているのを社員は見逃さなかった――
「なぁ。社長とあの娘は、どんな関係だい?」
「あの娘は、ビル・メンテの社員だろ?」
「お前、良く知っているな」
「そりゃぁ、年寄りだらけの社員の中に、あんな若い子が入れば、皆、大騒ぎさ」
「大騒ぎ?」
「もう、営業部から製造部、研究室の人間まで、彼女の話題で持ち切りだ」
「そんなに?」
「彼女は一夜にして、我が社のトップ・アイドルになったって分けさ」
「ほほう。それじゃあ、そのトップ・アイドルが、社長の持ち物ともなれば、さぞや落胆している事だろう……でぇっ!」
若い社員達は、ガラスにへばり付いていて、沙織の行方を追っていた――
〝 ガチャッ! キイ――――――――――ッ! ″
「どうぞ……」
「あら? 随分と、落ち着いた雰囲気……」
「そうですか? 落ち着きますか。アール・ヌーボーは良いですよね」
「なんだか、昔のまんまみたいな?」
「えぇ。このラウンジだけは、会社設立当時のまま、保存して有るんです」
「へぇ。どおりで、アンティークな感じがします」
「給湯器くらいしか有りませんが」
彫刻が施された大きな銀色の給湯器から、お湯をティー・ポットへ注いだ――
「どうぞ」
「あ、有難う御座います」
言葉を多く交わさない二人の心の中に、何時しか不思議な安心感が生まれていた。それはまるで、長年連れ添った夫婦の様であり、そうさせているのは伊邪那美の神力だった。そして沙織が肌身離さず持っている御守りは、めぐみの物よりも遥かに強力だった――
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