お花畑で捕まった。
—— 三月五日 先負 壬戌
沙織は、午前のルーティンを終えて報告をした――
「3A室は問題ありません。会議室Aのカーペットにコーヒーのシミが有ります。後、壁の数か所に傷が有りました」
「了解。お疲れ様でした。では、午後の仕事も宜しくお願いしますね」
「はい」
「あぁ、それから、沙織さんの要望通り、廃棄物は撤去されましたよ」
「え、本当ですか? 良かったぁ」
「思う存分、お庭を造って下さいね」
「はい」
沙織は、昼食にガーデンに行くと、先客がいた――
「こんにちは」
「あ……」
「どうも有難う御座いました」
「え……?」
「社長さんに、言って頂いたお陰で、綺麗になりましたよ」
「いやぁ……」
「良いんですよ、謙遜しなくても。私ひとりの要望では、叶いっこありませんから」
「あぁ……」
「やっぱり、東側に障害物が無くなると、陽が入って、明るくなりましたよねっ!」
「あぁ……」
恭一は、元々、無口な方だったが、更に無口を加速させていたのは、「あなたは、どうして最高な社食に行かないのですか?」「何故、こんな所で、ひとりでお昼ご飯を食べているのですか?」と、無邪気で解放的な沙織から素朴な疑問を向けられたら、返答に窮する事は自明であるから、何よりもそれを恐れていたのだった。青相手沈黙のうちに食事を終えると、沙織は立ち上がった――
「さぁて、早速、ここから始めようかなぁ……」
「あの……何をする気ですか?」
「え? ここに花壇を作る予定です」
「あぁ、花壇ですか……頑張って下さい……では」
恭一は、逃げるように去って行った。心の内では「花を植えるなんて馬鹿げている」と思ってはみたものの「此処は私が任されているので。嫌なら、どうぞ余所へ行って下さい」と言われたら、唯一の息抜きの場所さえ失うと考えたからだった――
「ピースケちゃん、あんた最近、感じ悪いわよ」
「何がですか?」
「とぼけて。紗耶香さんとイチャイチャし過ぎなのっ!」
「え? 別にイチャイチャなんてしていませんよ。いや、仮にイチャイチャしていても良いじゃないですか? 愛し合う若いふたりなんですから」
「ほらほら、その態度。愛し合うふたりのイチャイチャは、周囲にとっては、公害なんですよ」
「あ。嫉妬ですかぁ? 嫉妬は止めて下さいよぉ」
「笑うんだぁ」
「いや、笑ってないですよっ!」
「人の注意が、耳に入らないほど熱上げちゃってさぁ」
「めぐみ姐さん、恋をする事は、仕事の生産性を上げるって、科学的に証明されているんですよ? 御存じ無いんですか?」
「えー、えー、存じ上げませんよ。あー、そうかい、そうかい。あんた、何時から、そう云う事を言える立場になったんだろうねぇ……」
「立場の問題じゃ有りませんよ。めぐみ姐さんも、恋をすれば分かりますよ。クックック」
「はい、はい、僻んでますよ、妬んでますよっ!」
めぐみとピースケが、痴話喧嘩をしている頃、恭一は、有る事に気が付いて、大いに慌てていた――
「無いっ! 本が無いっ! 何処へ……」
何処へと問うても、本を持ち歩くのは、昼休みだけと云う事を知っていた――
「あぁ、何て事だ……」
思うより先に、身体はガーデンに向かっていた――
「しまったっ! 手遅れか……」
周囲を見渡すと、何時ものベンチに沙織の作業着が置いて有り、そこに、沙織はいなかった――
「あぁ、まさか、落とし物として取りに行く破目になるとは……」
恭一は、自分の事がバレる事より、愛読書を知られる事の方が嫌だった――
〝 ビュ――――――――――――ッ! ヒュル――――――――――――ゥ! ”
突然の突風に沙織の作業着が足元に飛んで来たので、それを拾い上げると、内ポケットから飛び出そうになった物を、慌てて掴んだ――
「ん? これは……神社の御守りか?」
作業着を左手に、右手には御守りを持っていると、沙織の匂いを感じていた―――
「なんだろう……心が安らぐ、この香りは……」
「あの。私は、香織じゃなくて、沙織ですっ!」
恭一は、突然、背後から沙織に声を掛けられ、狼狽した――
「いや、これが、風で……だから、匂い袋かな、と、思って、良く見たら、御守りだったので……」
「はぁ? 作業着を拾って頂き有難う御座います。その御守りは特別な物なんです。肌身離さずと言われていたのに、手が汚れて洗いに行っていたので、罰が当たったのかもしれません」
「罰?」
恭一は、「罰なんて、有る分けが無いのに」と呆れつつ、作業着と御守りを沙織に手渡した。すると、沙織は本を差し出した――
「はい」
「うっ……!」
「コレを取りに来たんでしょう?」
「あぁ……」
恭一は、沙織の目を見れなかった――
「ねぇ」
「え?」
「その本、どんな本ですか?」
「どんなって……」
「ホラー? 推理物? ハード・ボイルドとか?」
「いやぁ……」
「それとも、可愛い感じ? 恥ずかしがらなくても良いじゃないですか? 私は拾って貰った御守りの事を言いましたよ? 教えて下さいよぉ」
「まぁ、何って……」
「恋愛小説だって良いじゃないですか? 男の人が読んだらいけない分けでは有りませんよ?」
「恋愛小説なんかじゃ、無いよっ!」
感情を出さない恭一が、思わず感情的に反論した。そして、その事に一番驚いていたのは、恭一自身だった――
「あはは。そんなに、ムキにならなくたって良いじゃないですか。やっぱり、男の人って、そう云うのが恥ずかしいんですね」
「だから、違うって!」
「はいはい。分かりましたよぉ」
沙織は、作業着に袖を通すと、作業を再開した。そして、軽くあしらわれた恭一は、気分を害し、背を向けて立ち去ろうとしていた――
「あっ! ねぇ」
「はぁ?」
「此処ね、お花畑みたいにしたいんですよっ!」
「あぁ、御勝手に……」
沙織は、足早に立ち去ろうとする恭一に追い打ちを掛けた——
「ライ麦畑じゃなくって、御免なさいねぇ―――っ!」
恭一は、沙織が遠くから大声で言うものだから、顔が真っ赤になり、反論さえ出来ずに、逃げる様に去って行った――
お読み頂き有難う御座います。
気に入って頂けたなら
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援と
ブックマークも頂けると嬉しいです。
次回もお楽しみに。