居場所の無い男。
沙織は、食事を済ませて休憩をしていた。食事自体は大変美味しく、舌を喜ばせ、胃袋を満たしたが、人間関係の後味の悪さが災いし、心までは満たせなかった――
「なんとなく、分かりました」
「え? 何がですか?」
「若い人は、この環境は、耐えられないだろうなって……」
「あぁ、それね。年寄りだって、同じですよ……もう、嫌になりましたか?」
「いいえ。私は、全然、気にしませんから」
「そうですか?」
「但し、お弁当を持って来た方が良さそうですね。社食は、デザートが食べたい時だけにします」
「それなら、良かったぁ。うちの会社は、アット・ホームだから居着きが良いんですよ。でもねぇ、この現場だけは、皆、嫌で逃げ出しちゃうの。労働環境は最高なはずなんですがねぇ……皮肉なもんですよ」
午後の仕事のルーティンを教えて貰い、最後にガーデンに案内された――
「此処なんですがねぇ……」
「酷いですね……」
「最早、廃棄物置き場と化してます」
「コレを、どうしろと??」
「まぁ、雑草の駆除をやっているフリをしていれば良いんじゃないですか? それ以上、やり様が有りませんからねぇ」
そのガーデンは、敷地の一番奥に有り、殆ど、誰も利用しない為、何時しか手入れ不足になり、廃棄物のコンテナとパレットが、日当たりの良いガーデンを廃墟の佇まいに変えていた――
「兎に角、やりましょう」
「まぁ、無理せず、気楽にやって下さいよ」
会議室にて――
「外国人労働者は要りません」
「しかし、労働力が不足しています」
「日本人を雇えば良いでしょう?」
「人件費が高過ぎます」
「高過ぎるとは?」
「我が社の製品の、コストが上がる事で競争力が失われます」
「つまり、我が社の製品は、他社と横並びにするか、それ以下に下げないと競争力が無いと?」
「はっ、マーケティング的に……」
「その程度の製品しか作れないなら、研究棟の連中をリストラして、浮いた人件費で製造部の増強をした方が良いのではありませんか」
「そんな……」
「人件費の安い外国人は麻薬と同じです。永遠に奴隷を探し続ける事になり、経営が不安定になり、結果として高く付くと思います。我が社の未来に、暗い影を落とすと云うのが私の判断です。後は、会長と皆さんで話し合って決めて下さい。これ以上、申し上げる事は御座いません」
役員に背を向けて会議室を出て行った男は、社長の稲村恭一である。風貌は二枚目なのだが、産まれてこの方、一度も笑った事が無いのではないかと思う程、表情筋は硬く、口角が下がり、生気の無い瞳は気味が悪い程だったが、何故か、不思議な色気を醸し出していた。二年前、弱冠二十七歳で社長になったのは、現会長である父親の不正とスキャンダルを隠す為であり、その上、会社の業績不振の言い分けにされる毎日で有るから、常人でも笑える状況では無い事だけは間違いが無かった――
「やっと、お昼だと思えば、もう二時半かぁ……」
稲村は、何時も一人で、例のガーデンでランチ・タイムを過ごしていた。人と一緒に食事をするのが苦痛で、社員と顔を合わせる事無い、誰も寄り付かない廃墟の様な庭で、一人きりで過ごす時間が心の慰めで有り、憩いの時間だった――
「おや? どうなっているんだ……どうして、こんな……」
雑草らしき物は、綺麗に刈り取られ、テラコッタのタイルが陽光に照らされていた―—
「ちょっと、君。此処で何をしているの?」
「はい? 見ての通り、清掃ですが?」
「勝手な事をされては困ります。此処は、そのままにしておいて下さい」
「あの、お言葉ですが、此処は、私が任されているので」
「任されているって、君……」
「高橋ビル・メンテナンスの滝沢沙織と申します」
「あぁ、管理会社の方ですね? 此処は、管理はしなくて良いですから、他へ行きなさい」
「いいえ。この場所の管理は私が担当ですので、社員の方に指示して頂かなくて結構です。それから、此処は、出入りの業者のためのフリー・スペースです。社員の皆様は、彼方の噴水の有るガーデンを利用して下さい。それでは仕事中ですので、失礼しますっ!」
恭一は、言い返そうと思ったが、西日を背に佇む沙織の姿に見惚れてしまった。若くて健康的で溌剌として、肌は浅黒くピンと張り、制服の下で窮屈そうなバストとヒップ、何よりも自分とは全く違う、キラキラと輝く瞳を直視する事さえ出来ず、視線を落とした鼻の下の産毛の汗に言葉が出なくなってしまった。そして、沙織の一言が止めを刺した――
「あの、社員さんですよね? 社長さんに言って貰えませんか?」
「え?」
「あんな風に、産廃のコンテナを東に置いたら陽が当たりません。何より、薬品の匂いが不快です。あのパレット積みのゴミも酷いです。まぁ、出入りの業者なんて、どこの会社も酷い扱いですけど、せっかくのガーデンが台無しです。直ぐに撤去する様にお願いします。勿論、私も先輩に要望書は出しますけど」
「あ、あぁ、社長に会ったら、伝えておくよ」
「有難う御座いますっ!」
恭一は、自分専用の物置が高橋ビル・メンテナンスの詰め所になり、やっと見つけたガーデンも、高橋ビル・メンテナンスに奪われようとしていた――
「クソっ! 何て事だっ!」
恭一は、とうとうトイレで食事をする羽目になり、正にクソッタレの気分を味わっていた――
喜多美神社は神聖な空気と静寂に包まれていた――
「さぁてと、今日も帰りに多摩川でショーティと遊んで帰ろっと」
「めぐみ姐さん、その前に、ちょっと聞いても良いですか?」
「何よ? そういう言い方の時って……アレよな」
「めぐみ姐さん、素戔嗚尊って、どうしているんでしょうね?」
「えぇ、夏、碓氷から霧積へゆく道で 谷底に落とした あの麦藁帽子ですよ」
「姐さん、あれは好きな帽子でしたよ……って、違いますよっ!」
「ままぁ―――ぁ、どぅゆぅりぃめんばぁ―――――っ、ってか?」
「心配じゃ無いんですか?」
「はい。全く」
「呆れた」
「ピースケちゃん。素戔嗚尊だよ? なぁ―――んも、心配要らないから。なんなら、もう帰って来なくても良いのよ」
「じゃぁ、伊邪那岐夫妻が、ずっと此処で?」
「さぁ? 人間ならば破天荒と言われる出来事も、神様の場合、武勇伝のひとつにも、なりゃしないんだからさぁ」
「でも、淋しく無いですか?」
「あのね。そんな事を言っていられるのは今だけよ? もしかしたら、何百年も、顔を突き合わせることになるかもしれないよ」
「あぅ……」
遊び人のスーさんは、ピースケの心配を余所に、その名の通り、ミコトと遊んでいた。令和の不倫事件である――
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