妥協無き女の戦い。
イッケイは、伊邪那美の髪を束に取り手の上で傾けると、サラサラ、スルスルっと滑り落ちて行った。それは、まるでヘア・ケア用品のCMでも見ているかの様だった――
「本当に、有り得ないっ! 一本一本が生きているみたいっ!どんだけぇ――――――――――――っ!」
「髪が、一本一本、生きているのは当然の事ではないかぇ?」
「お母さん、私、この仕事を長年やっていますけど、こんなにも美しい髪を見た事が無いんですっ!」
「まぁ、その様に褒められるのは嬉しい事じゃ。しかし、当たり前の事を大声で言うものではない。恥ずかしいでは無いか……お――ほっほっほっほっほっほ」
「ところで、この、お美しい髪を、どの様になさいますか?」
「うむ。その方の思うまま、切って良いぞ」
「そうですか……切らなくても全然、良いですけど? 勿体無いですから、束ねるとか? スタイルを作るだけで十分、美しいと思いますけど……」
「切ってくれと、申しておる」
「あぁっ、はい……それでは、三センチか、五センチ位、切りましょうかねぇ……」
イッケイがハサミを入れ始めると、直ぐに伊邪那美が注文をした――
「その程度では、納得出来ぬのぅ……」
「あぁっ、もっと、切りますか? 本当に?」
「二言は無い」
「えっと……少々お待ち下さいませ」
イッケイは、逃げる様にサロンを出て、応接室で寛ぐ七海に助けを求めた――
「ちょっと、七海ちゃん。お母さんが、切ってくれって言うんだけど……」
「そりゃあ、切りに来たんだから、当たり前だお?」
「七海ちゃん、私、あの美しい髪を切るのが、怖いのよぉ――――――っ! 何だか、罰が当たる様なが気がして、手が震えるの」
「本人が、切ってくれっつぅ――んだから、良いんじゃね?」
「良いんじゃね……って、まるで、他人事よねぇ」
「あ、イッケイさん。あのおばさん、あっシの母ちゃんじゃねぇ――から」
「えぇ? 何で、早く言わないのよっ!」
「聞いてくれなかったじゃんよぉ――っ!」
「てっきり、お母さんだと思っていたから『お母さん』って言っちゃたじゃないの? でも、母親じゃなかったら、否定すると思うけど? どういう関係なのよ?」
「それがさぁ、ちょいと、訳アリなんだわ」
「訳アリって?」
「あのね。父親のせいで、産んだ子供と生き別れ。子供がグレて年少行って、その後、事件を起こして長年ムショ暮らし」
「まぁ、大変……」
「その、息子が網走刑務所を出所して、涙、涙の再会ってぇ、訳なんよねぇ」
「ちょっと、泣けてくる話じゃないの……ぐっすん」
「あ、ゴメンね。湿っぽくなっちゃたお」
「そう云う事なら、力になるわよ。私、頑張るっ! 真剣に生きているんでっ!」
イッケイは、気持ちを切り替え、伊邪那美の髪を切る覚悟を決めた――
「お待たせしました。それでは切らせて頂きます。ところで、お母さん。どんな感じにしたいのか、ご希望が有れば伺いたいのですが?」
「どんな感じと言われも、これまで髪を切った事が無いので、分からぬのじゃ」
「あ――ねぇ。分かりました。それでは、此方のスタイル・ブックの中からイメージに合う髪型を教えて頂けますか?」
覚悟を決めたイッケイは、伊邪那美を押し返す説得力が有った――
「うーむ。コレも良いのぅ……はたまた、コレも綺麗じゃ……迷ってしまうのぅ」
「あぁ、コレは良いですよね。お母さんにピッタリですよ」
伊邪那美は、始めて見るスタイル・ブックに興奮し、イッケイの声が聞こえないほど夢中になっていた。ロング、ミディアムと進み、ショートのページになると、手を止めた――
「コレじゃ……コレにしたい。いや、コレしかないっ!」
「お決まりですか? どれどれ……でえぇっ!」
イッケイは伊邪那美の決めた髪型を見て驚いた。それは、参考写真として掲載された「ローマの休日」のオードリーだった――
「巴投げぇ―――――――――っ! こ、こんなに……こんなにバッサリ? 本当に良いんですか? 後戻りできませんよ? 後悔しませんか?」
「くどい」
「分かりました……」
イッケイは、伊邪那美を見つめ、その瞳の奥に、一点の曇りも無い事を確認すると、グッと奥歯を噛み締め、丹田に力を入れ、鋏を肩まで上げて構えた――
「では、お覚悟をっ! でぇ――――――いっ!」
ふたりの真剣勝負が始まった――
〝 ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク。バサァ―――――――――――ッ! ″
イッケイは、束ねた髪を一気に七十センチも切り、左手で掴んだ髪はウナギの様に見えた。そして、その切り落とした髪を大切に持って壁際に行き、ハンガー・ラックに掛けると、まるで稲の稲架掛けの様になっていた――
「ふぅぅ――――ぅ、こぉぉ―――っ!」
「まだまだ、切りが足りぬぞ」
「フッ、本番はこれからです……私、プロなんでっ!」
イッケイの眼光が鋭くなり、伊邪那美の髪を、容赦無く切り始めた――
〝 アチャ、アチョ、ウヲォ――――ゥ、アタタタタタタタ、タタタタタァ―――― ″
〝 シャキ、シャキ、シャキッ、シャキシャキ、シャキシャキ、シャキシャキ、シャキシャキ、シャキシャキ、シャキシャキシャキシャキ、シャキシャキ、シャキシャキ、シャキ――――――――ッ! ″
激しいカットに、伊邪那美の髪は天空を舞った。そして、全ての髪が床に落ちると、互いに納得し、深く息を吐いた――
「うぅむっ!」
「それでは、流しまぁ―――すっ!」
イッケイは、洗髪をして、ブローを終えると息を飲んだ――
「ゴクリ……切れ毛、枝毛、癖毛の無い完璧な状態……つまり、完璧なカットが出来る反面、ミスは絶対に許されないっ!」
〝 シャキ、シャキ、シャキッ、シャキシャキ、シャキシャキ、シャキシャキ、シャキシャキ、シャキシャキッ! ″
「完璧だわ……自分の技術にうっとりする程。でも、此処で気を緩める訳には行かないわっ! スタイリングしまぁ――すっ!」
イッケイ入魂の仕事によって、伊邪那美は、完璧なオードリーとなった――
「お――ぉっ! お見事っ!」
「私っ! 真剣に生きているんでっ!」
「天晴じゃぁ……大したモノよのぅ。感謝するぞ」
「感謝だなんて、私の方こそ、全人格を掛けて最高の仕事が出来ましたぁ。有難う御座いますぅ――――っ!」
イッケイは、緊張から解放され涙が溢れ、伊邪那美の胸に飛び込むと感動のフィナーレを迎えた。七海は、抱き合うふたりを見て、呆れていた――
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